パンクバンド the JUMPSのボーカリストであり弁護士でもあるロックンローヤー、島キクジロウ率いる、島キクジロウ&NO NUKES RIGHTS主催イベント『REBEL BANQUET』が、2023年5月にFlowers Loftでスタートした。かつてthe JUMPS主催で1982年〜2002年の間に計300回開催した『JUST A BEAT SHOW』に比べ、民族色の強い音楽性や、憲法9条などの文面をそのまま歌詞に取り入れて歌うNO NUKES RIGHTS含め、全体的にレベルミュージック色が強い。しかし、そこで見られるのは、〜集会的な怒りなどではなく「反抗の"宴"」と掲げるにふさわしい明るいムード。大衆を巻き込んでいくために必要なものとは何か、社会を変えていくことの途方もなさと、諦めず継続していくそのモチベーションは何なのか。島が、今後の『REBEL BANQUET』を引っ張っていく中心的存在と語る2人、3.11の翌月から今日まで10年以上毎月福島に通い続け、60年〜70年代のブリティッシュロックやその時代感を体現したようなピースフルな4人組ガールズバンド、新月灯花のBa&Vo 山崎優子、アイルランド民謡を日本語にして歌うところから、様々なルーツミュージックの持つ多様性と反骨性に影響をうけた3ピース・アイリッシュ・パンクバンド、バラッドショットの硬派なGt&Vo 岩井里樹を交え、銀座にある島さんのお店ハウリンでお話を伺いました。(Interview:小野妙子)
シーンの中心でもう1回ロックンロールしたい
──まず、『REBEL BANQUET』はどういうふうにして始まったイベントなんですか?
島:2020年2月にFlowersが出来たのと同じ頃にLOFT Xも出来て、NO NUKES RIGHTSはFlowersで『REBEL BANQUET』、the JUMPSがXで『PUNKS BANQUET』っていう、似たような時期にイベントをやったんだよね。そのときに梅ちゃん(ロフトプロジェクト / 加藤梅造)が「『REBEL BANQUET』っていいタイトルですね」って言ってたわけよ。その一言に背中を押されてさ(一同笑)。そのままコロナになっちゃって。だから俺の中では、そのときにやったのがVol.0で、今年の5月からVol.1として始めたっていうイメージ。
──今年再開するまでの間に『REBEL BANQUET』を趣旨を持ってシリーズでやろうというふうになっていったんですか?
島:うん、そうだね。NO NUKES RIGHTSは原宿クロコダイルがホームな感じでやってたのね。必ずトークも入る形で毎回いろんなテーマを持って。飲み食いしながらじっくり聴いてね、みたいな感じだったんだけど、やっぱりロックのシーンとは離れてやってる感じがあってさ。別に俺たちも大人になったわけじゃないし(笑)。シーンの中心でもう1回ロックンロールしたいっていう欲求が大きくなった。
▲島キクジロウ&NO NUKES RIGHTS
──NO NUKES RIGHTSはもともと「脱原発」を訴えることを目的に結成されたバンドなんですか?
島:俺が弁護団長として、2014年に約4,200人の原告らとアメリカのGEなんかを被告にして闘った「原発メーカー訴訟」の中で、「原子力の恐怖から免れて生きる権利」という新しい人権を主張したんだけど、これを「ノーニュークス権」と名付けて、多くの人たちに知ってもらおうと考えたのがきっかけだね。
──NO NUKES RIGHTSというバンド名や、憲法の条文を入れた歌詞など「権利」という言葉を掲げています。そこにはどういう想いが込められているのでしょうか。
島:俺は、護憲派ってわけじゃないけど、憲法ラブなんだよ。個人の尊重を定めた13条をはじめ、素晴らしい条文が並んでる。多様性を認め合う成熟した社会を実現するためには、国民一人ひとりが自身が持つ権利をしっかり理解して、主張していくことが大切なんじゃないかって思ってるんだよね。
──ロックンロール、レゲエ、ラテン、ブルース、ジャズ、様々なルーツミュージックの要素が詰まった曲と直接的なメッセージ性が強い歌詞ながら、どの曲も明るくポップで耳に入ってきやすいなと感じます。曲を作る際に重きを置いている点は何ですか?
島:嬉しいね。そんなふうに感じてもらえるのは最高。自分の音楽的好奇心を大事にしたいと思っていて、実際に多様なバックグランドを持つ素晴らしいメンバーに恵まれているんで、俺が言葉でイメージを伝えるだけで、ちゃんと音にしてくれるんだよね。
▲新月灯花
──新月灯花は7月、10月と2回出演されていますよね。もともとME-ISM(新月灯花の前身バンド)と並行して活動されていたんですか?
山崎:最初はそうなんですけど、ギターの中野がいるかいないかの違いになっちゃって、新月灯花一本にしていこうってなりました。ME-ISMはとにかく私が窮屈だと感じる部分から自分を解放することが全てのバンドだったし、ややパンクっぽい要素があったんです。新月灯花ではアコースティックのスタイルで、意図的に毛色を分けて最初はやってたんですよね。メンバーが変幻自在で。今も誰が入ってもいい部分はあるんですけど。
島:男でもいいの?
──入ろうとしてます?(笑)
山崎:新月灯花の“花”っていう字が、Flowers Loftのwebサイトの文章にも書いてあったように、平和の象徴と同時に女性の象徴でもあったんで、“花”って付けたのはそういう意味もあるんです。
──3.11の翌月から10年以上も毎月福島に行かれたり、どういうふうに今の活動スタイルになったんですか?
山崎:ME-ISMがツアー先でライブした後、夜、繁華街でストリートをやっていたんです。これから新月灯花、本腰入れようかっていう矢先に3.11だったんですよ。「この出来事を無視してやれるか?」みたいな話にメンバー内でなって。とにかく現場に行こう、行くならずっと通い続けようみたいな感じでライフワークに、気づいたらなっちゃった(笑)。
──『福島JuggL』はどういう活動なんですか?
山崎:2015年に始まったんですけど、ライブハウスで出会った高校生から「自分たちの声なんか大人は聞いてくれないし関心持ってくれないから、こっちも関心持たない」っていう話を聞いて。福島の未成年の子たちの声って世界的に影響力があるはずなんです。でも、そう思わせてしまうムードが福島県内にはあったんですよね。原発のことに対してタブー感があったり。だから、子どもたちの声がかき消されない場所を作りたいと思ったんです。だけど、自分の若い頃とか考えると、知らない大人に「本音を話してごらん」とか言われても、何でオマエに話さなきゃいけねぇんだよ! って絶対思うし(笑)。
──でしょうね(笑)。
山崎:信用できる友達になれなきゃ意味がない。じゃあ、楽しく誰でも参加できる、なにやってもいいっていう、道端の文化祭みたいなことをやってみようって。その代わり、うちらじゃなくてみんなが主催だよ、みたいな感じになったらいいなと思って始めたんですね。
▲バラッドショット
──バラッドショットはどういう活動をされているんですか?
岩井:バラッドショットとしては、アイルランド民謡を日本語に直してやろうっていうのが最初で。メンバーが変わりながらアイルランド民謡に限らずいろんなカバーから、フォークソングとかそういうものに影響を受けたオリジナルが出来てきて今になったっていう感じですね。
島:80年代のアイルランドっていうと、ザ・ポーグスとかU2とか。
岩井:アイルランドでいうと、最初はスティッフ・リトル・フィンガーズと、シネイド・オコナーと、ザ・ポーグス。この3つだったんですよ。僕自身、最初はセックス・ピストルズだったんですけど。そのときはクラッシュとか聴いても全然分かんなかったです(笑)。でも、中学生ぐらいのときに『アメリカン・グラフィティ』とか、『グローイング・アップ』のサントラとかすごい聴いてたんで。そういうポップなものは求めてたんですけど。それでしばらく経ってようやく『London Calling』で。
島:よく分かんないけど(笑)。『アメリカン・グラフィティ』から入って、クラッシュも分かるようになったってこと?
岩井:そうですね。だから、バラッドショットになるぐらいでフロッギング・モリーとか、ドロップキック・マーフィーズとかが日本に来たりしてアイリッシュ・パンクが盛り上がってたときに、やっぱりアイリッシュ・ミュージック、アイリッシュ・パンクっていうとドリンキング・ソングとか、飲めや歌えや的なのが多い中で、本場のアイリッシュって言ったらレベルミュージックとかけっこうやってるし。そういうところを突いていきたいかなっていうのがあったんですよ。
島:そっからアイリッシュ民謡に遡っていったわけ?
岩井:そうですね。それで何も知らないでアイルランド行って。『地球の歩き方』に書いてあったんですよ。「大きさ的には自転車で周れる」って(一同笑)。
──演奏はせずに純粋に旅をされていたんですか?
岩井:普通に。どうせ行ったんなら隈なく周りたいなって思ったから自転車っていうだけで。それが92年かな。
島:30年以上前ってことだ。バラッドショットは何年からやってんの?
岩井:2003年か2004年だと思います。
島:ちょうど『JUST A BEAT SHOW』が区切りをつけた後だ。300回が2002年の11月だから。