シンプルなことがフレッシュな作品に
──ほんとコロナでやる気なくなりましたもんね(笑)。
古川:そうだよね。SHELTERもそうだし、日本全国のライブハウスが続いていることが本当に奇跡だし、踏ん張ってほしい。こんなにライブがダメとか言われてさ。それでブーブー言っててもしょうがないからさ。ライブないから、ライブハウス行く機会も減るし。でもそれはもうしょうがないし。僕にとっては毎日クラブに行ったり、ライブハウス行ったり、そういうのが自分の活動のテンションが上がる部分だったわけよ。それを転換する捌け口がなかったから、2年間ぐらいね。悶々としてたけど、羽太が持ってきたスケートボードの存在がでかいね、ここ数年の中で。脳内、頭の中が整理されるからすごく良くて。その新しい感覚が加わったことによってフレッシュな作品になったというか。いろんなことがシンプルになった。あんま無理しなくても良いかなみたいな。スケートボードで無理してるから(笑)。スケートの練習で、初心者すぎて毎日大コケしてて、全身打撲で全関節痛いし、ギリギリの挑戦の連続でさ…。その勢いを反対側に使って、アコースティックピアノに向き合った静かな曲作りとか、肩の力を抜いたバンドの表現でもいろいろ成立してきてさ。力は抜けたよね。ここ数年の中で一番抜けてきたというか。
──全曲スッと身体になじむような感覚でした。
古川:あれぐらいが良いかなみたいな。前作の『Music is Love』ぐらいまではバキバキの内容にしてきたからね。けっこう頑張ってやってきたけど、そこも含めてそこまでやらなくて良いかって。やりきったかもしれないよね。この10年のバンドのグワーっとやりたかったことはWWWでやりきった感はあって。だから良かったかもしれないね、逆に。止まることがあって。たぶんあのまま止まらないで行ってたから。
──止まらなかったらどうなってたんでしょうね。
古川:止まってみるのもありなのかな? っていう。けどそこで何を自分に入れれるかじゃん。だから逆に僕は最近良かったのかなーっ思ってて。新しい興味も湧いてて。川本君ともそんな話したじゃん? スケートボードの面白い感じがうまくピアノと反映できればなって。駒沢公園で滑ってると音楽が好きな人とかもたくさんいるしさ、そういうつながりから得るものが大きくて。例えばdiaspora skateboardsってブランドの人が駒沢の近くにSHOPをオープンしてさ、そこの人たちと一緒になることが最近多々あって。diaspora skateboardsが花柄のニット作っててびっくりして。それがトッド・ラングレンのジャケットのサンプリングなのよ。そのトッド・ラングレンのアルバムは僕らもすごく影響受けてて、KONCOSのルーツでもあるのよ。それをスケートボードのブランドが取り上げてて。KID FRESINOとC.O.S.A.のアルバムでサンプリングしてる曲がそこに入ってるっていう目線もあったり。同じトッドラングレンに、ここまで違う方向から入ってくる感じが面白くて。共通するものがいろいろ交差するも部分があって、とても刺激的で。だからバンドが動いてないわりには新しい繋がりが出来て、全部フレッシュにアップデートされた。公園にいるみんなはパワーがあるから。小学生とか中学生たちとか。そのパワーをもらった感じはあるよね。
このまま世の中が拓けていったら
──歌詞に関しては変わった部分とかありますか?
佐藤:自分一人でソロ用に作ってた曲に関していうと、完全にバンドについては考えてない歌詞で。今回の『Waltz for April』、「4月のワルツ」に関していうと、バンドで作ったからやっぱバンドの歌詞として考えて作っていて。本当に4月に出来た曲なんだけど。コロナ禍で長く作り続けてきた曲で。最初は太一のピアノのフレーズがあって、揉みながら何回もスタジオでやってたんだけど、なんかしっくりこないね、っていうのをずっと繰り返しながら、やっとキタねっていう瞬間があって。それが今年の4月かな。基本的にKONCOSは曲もメロディも先にある程度作ってから歌詞は書き始めるんだけど。コロナ禍でずっと止まっててモヤモヤしてた感じと俺も太一も息子がいてちょうど今年小学校に上がる年だったんだけど気付いたらもう大きくなってて、もう小学生かみたいな。
古川:歌詞も曲も気持ちもすごい拓けてるよね。
佐藤:でもその裏で戦争とかあったり、いろんなモヤモヤがずっとあったけど、曲も出来て息子も入学して、桜咲いててとか。家の隣にでっかい公園があるんだけどその公園に行ったらちょうどめっちゃ桜咲いてて、コロナでみんなお花見とか自粛してたのが今年はすごい人が集まってて桜の木の下にブワーッとさ。それを見てやっと拓けてきてるなっていう感じがあって。それをそのまま歌詞に落とし込みたいなって思って。
古川:公園はいいよね! 僕ずっと駒沢公園にいるし、駒沢行けないときは砧のほうの大倉公園に行くんだけど。あとは若林公園とか。スケートボード+公園なんだけど公園の四季感って良くてさ。絶対家に居たくなかったここ数年間、公園にしか居なかったわけで。だから寛が言ってるその公園の感じはわかるね。だからすごい拓けてて良いなって思う。超自然でフレッシュだし、良い氣が回ってる感じの歌詞と内容というか。
佐藤:このまま世の中が拓けて行ったら良いなーって曲だね。
公園とスケートボード
──今はライブハウスより公園にいるんですね。
古川:毎日いるよ。朝から晩まで公園にいる。で、小学生と中学生と大体遊んでるから(笑)。超フレッシュでしょ? 毎日連絡し合わないでも会う友達がいて、朝にいる仲間、夜にいる仲間もいたりして、みんなに挨拶して。クラブとかライブハウスとあんまり変わらなくてさ、僕の中では。ライブハウスたまたま行くと川本君とかにうぃーっすって感じと同じで。あと子どもが出来て時間帯が変わってきてさ、深夜のライブハウスに行ける機会が減ってきたりとか。ちょっと下北から離れた所に引っ越したっていうのと、そのタイミングでコロナ禍になったっていうのもあって。そして偶然、駒沢公園が近くなったいうのもあったり。でも別にライブハウスに行きたくないとかそういうんじゃなくて。その雰囲気は失わずにいるから。本当に、1曲でも曲が出来て良かったよね。出来ないかと思ってた。コロナの中どうやって過ごしてきたかみたいなインタビューになっちゃうね。
──そうなっちゃいますよね。
古川:でもそれがちゃんと残るっていうのが重要な気がするけどね。10周年もそうだけど、まだ引きずったコロナ禍が続きそうだし。
──密が売りでしたからね、KONCOSは(笑)。
古川:そうだよ! 密が売りだったのと、人との繋がり、あとコールアンドレスポンス、全部取られて、何を考えるかだから。自分たちの大事なところ全部やめろって言われてさ、声出すな、ってさ、SHELTERでやってきたのもそういう意味じゃん。自分たちが大事にしてたアイデアを全部取られた時代。みんなそうだとは思うんだけど。音楽家とかはやっぱ考えるよね。かといって僕は静かなことがしたいわけでもないし、バンドのテンションは崩したくないしさ。文句ばっかり言ってられないし。
──毎週末いなかったわけですもんね。
古川:本当に。だって毎週末、予定全空きになるんだよ? そのときに何ができるかじゃない? このままだとさ、何もメイクしないまま終わっていきそうで、曲も作る目的もなくなって。絵を描くのもそうだけど。WWWで終わってさ。その話が。もうなんもないまま日々が過ぎていくなって思ってるときに、羽太とスケートボードだったね。僕にはできないことがあったほうがいい。いろいろ繋がったよね。だから感謝してるんだよ、公園とスケートボードと小学生と中学生に。
SHELTERにピアノを入れよう!
──今後のKONCOSは?
古川:3人でバンドやる方向で拘ってきたけど、ホーン隊とか入れて、今回はホーンアレンジして一緒に録ったんだけどやっぱホーンいるの良くて、SHELTERでライブやるときとかももっとホーン呼べたらいいなとか。なかなか予算もあるから大変なんだけど。そういうアレンジがあるライブとか。グランドピアノがあるライブとか。LOFTがグランドピアノあるライブハウス下北沢に作ってくれないかな(笑)。グランドピアノがあるバンドのセットとかって、頻繁にできないから。ピアノも始めて10年経って、やっぱりピアノって表現として素晴らしくて。だからその雰囲気を伝えられるようなライブもあっても良いのかなって、ちょっと思ってるね。ピアノの雰囲気をもう少し表現できるライブが来年は増えたら良いかなって思うけど。だからSHELTERにピアノ入れてもらって。その周りでライブやるみたいなさ(笑)。
──酒こぼされたら怖いですね(笑)。
古川:すごい怖いよね(笑)。でもずっとやりたいと思ってるんだよね、SHELTERにグランドピアノ。そんなのなかなかやってる人いないじゃん。すごい面白いと思うんだよ。なかなか実現するのは難しいけど。けど、そういうようなことを頑張ってやってみたい。僕の目標なんだよ。ちょっと調べてみて(笑)。