盲ろう者、路上で声をあげる学生、レズビアン・カップル...。社会的マイノリティや若者と同じ目線で、時に寄り添い、時に客観的な視点で静かに対象を映し撮るドキュメンタリー作品に定評のある西原孝至監督が、今年創立百周年を迎える日本共産党(以下「共産党」)にカメラを向けた。そうして完成した『百年と希望』は、コロナ禍が続く2021年、夏の東京都議選、秋の衆院選にのぞむ議員たちのほか、職員や支援者、周辺の人達の声や思いを拾い集める中から見えてくる日本社会の問題を浮き上がらせる。格差社会や気候危機、人種差別などの問題に立ち向かうジェネレーション・レフトと呼ばれる世代が生まれ始めている現在を西原監督はどのように捉えているのか? 監督に聞いてみた。(INTERVIEW:加藤梅造)
──西原監督は2015年、安保法制に反対するために立ち上がった学生組織SEALDsを1年間追ったドキュメンタリー映画『わたしの自由について〜SEALDs 2015〜』を撮ってますが、それが今回の作品のきっかけですよね?
SEALDsに出会った時、社会に対して自分の言葉で声をあげている若者がいることを知ったのが衝撃でした。それで1年間SEALDsを追いかけて完成したのが『わたしの自由について』でしたが、その後もデモや集会の撮影は時々していたんです。そのうちに何人か、共産党の議員や職員と知り合い、2022年が共産党の百周年だということを聞いたんです。その時、100周年に合わせて外からの視点で共産党を撮ったらおもしろいんじゃないかと思ったのが最初ですね。
そんな折、2020年にコロナ渦になり、僕も撮影どころではなくなってしまった。つぶれそうなミニシアターの窮状をなんとかしようと「SAVE the CINEMA」という団体を立ち上げて、政府に働きかけを始めたんですが、その時にいろいろと力になってくれたのが共産党の議員の方で、そこで親近感が湧いたということもありました。そういう経験もあって、やっぱり映画にしたいという思いが高まっていきました。
──SEALDsと出会う前はもともと政治に関心はあったんですか?
20代の頃はデモにも行ったことなかったですし、身の回りで政治的なことを話す機会もほとんどなかったんです。ただ2011年の震災で、社会の不確かさを実感して、それからはニュースも意識的に見るようになったのかな。決定的だったのは、2015年の安保法制で集団的自衛権の行使を容認するというニュースを見た時で、憲法を無視して法律を変えるというのはかなりまずいんじゃないかと危機感を覚えましたね。それでSEALDsを撮ろうと思い立った。
──新作『百年と希望』は、共産党の中の若い議員やスタッフを中心に撮っていて、『わたしの自由について』と同じような監督の目線を感じました。
百年を迎えるという党の長い歴史の中で、たまたま自分がそこに居合わせて映画を撮ることになったわけですが、そこで何を撮るかを考えた時に、これまでの99年の歩みよりも、今の共産党の人達がどういう思いで日々活動しているのか、とりわけ若い世代の思いを映画に込めたいなと思ったんです。
──若い世代ということで言えば、池内さおりさんは被写体としてベストだと私も思いました。特に彼女が熱心に訴えてるジェンダーの問題は、若い人達ほど関心が高い問題です。
私も池内さんが訴えている女性の権利、ジェンダー平等の問題は、数ある社会問題の中でも特に重要なテーマだと思っています。共産党の中でも彼女がそれを熱心に取り上げていることは知っていたし、なにより池内さんの気さくな人柄は被写体としてもおもしろいので、是非撮影したいと真っ先にオファーしました。
──前作『シスターフッド』はフェミニズムをテーマにしてますが、そうした監督の興味と合致する部分もありますよね。池内さんは子どもの頃、家事は女性のものというのが当たり前の家で苦労した母親の姿を見て、この社会を変えたいと思ったそうですが、共産党に入った時に、その母親から「あんたをアカにするために産んだんじゃない」と反対されたというのはなんとも皮肉な話ですね。
自分も地方出身なのでわかるんですが、やっぱりものすごく保守的なんです。はみ出す者は許さないという雰囲気もあるし、ましてや共産党という言葉を聞いただけで、拒否反応が起きるんでしょうね。
──あのシーンは、池内さんの孤独な側面が伝わってきますが、共産党に限らず、日本で社会運動をすることは、孤独な闘いをすることなのかなと思いました。
社会をよくしたいと思って声を上げているだけなのに周りから変な目で見られるというのは日本特有かもしれないです。みんなが政治に興味を持つ必要はないと思いますが、何か政治的な発言をする人に対するバックラッシュがすごく大きい。今回、共産党を撮っていて感じたのは、自分がこれまでずっと撮影してきたマイノリティの立場の人達に近いということです。こんなこと言うと共産党の人は怒るかもしれないけど、やっぱりものすごく差別されてるし、虐げられてる。逆に僕はそこにシンパシーを感じたし、共産党の議席が伸びない日本社会というのはどういうものなんだろうと思ってカメラを回しました。
そこで痛感したのは、男性優位の家父長制と経済優先の新自由主義が社会に生きづらい人をどんどん増やしているという実感です。それは共産党の中にもある根の深い問題で、共産党自身も変わらないといけない。そこも含め、この作品は2021年の日本社会の縮図みたいな映画にしたいと思いながら作りました。
──実際、映画の中では共産党に対する批判もたくさん出てきますね。特に辛辣なのは、十代の女性を支援する立場から池内さんを応援している仁藤夢乃さんが「ジェンダー平等を謳っている政党なのに東京選挙区の比例の順位が男、男、女なのはおかしい」と訴える場面でした。
僕も聞いていて本当にそうだなと思いました。共産党は組織としては上から下まで統制がしっかりしているので、逆に現場の不満もいろいろあると思うんですが、現場の意見や外部の人の叱咤激励を受け入れる柔軟性があって欲しいですよね。
──党員ではない西原監督が撮ってるため、批判も込めてのニュートラルな映画になっていると思います。実際、志位委員長や小池晃さんのような幹部には一切取材してないですね。
志位さんや小池さんを取材して映画がうまくまとまっちゃうのは避けたかったですね。
──あと予想はしてたと思いますが、暴力革命の総括はどうなってるんだみたいな批判もきますよね。
さっきも言った通り共産党の歴史にはあまり興味がないし、それは僕の仕事ではないと思います。むしろ、共産党の百周年って非常におもしろいテーマなので、テレビドキュメンタリーも含めて、もっといろいろな人が様々な視点で取り上げればいいのになと思います。
──衆議院選の開票後のシーンはこの映画のハイライトだと思いますが、落選してしまった池内さんの選挙事務所で、支援者の女性が一人一人、池内さんに励ましの言葉をかけていくシーンは感動的でした。全然しょんぼりした感じがなくて、むしろそれぞれの強い決意のようなものが垣間見える瞬間もあって。
こういうシーンが撮れた時、ドキュメンタリーをやってよかったと思います。あの時は、池内さんの存在が希望というか、声を託すことができる政治家がいることの希望というのを肌で感じました。
──監督は制作ノートに「諦める必要は全く無い。希望は死なない」と書いてますが、確かに、こういう場面を見ると絶望するのはまだ早いかなと。
絶望はずっとしてるんです。僕がこういう社会運動に関わってからもずっと自分が望む結果にはなってないんですが、絶望の中でも自分がやれることをやるしかないと思っています。今回の映画は、2015年から社会運動を映像にしてきた自分にとってひとつの到達点にもなっています。観た人が「いまの社会でいいのだろうか?」と考えるきっかけになると嬉しいですね。
西原孝至 (監督)