体温を感じるような言葉の闘い
──僕はもっと政治的な議論をしていたという先入観があったんですが、実際の討論は、哲学の話や解放区の話など、非常に文化的な内容だったんですね。
豊島:三島は聴衆が期待したことと全然違う話をしたんですね。当初は右翼の三島が来て憂国の話をすると思ったら、芸術や哲学の話になっていって、ついていけなかった人も多かったと思います。特に芥さんの声はTBSのマイクは拾ってたけど、会場にはよく聞こえてなかったから。
──途中で「俺は三島をぶん殴りに来た」って乱入する学生がいますが、その時は、三島と芥さんが共闘関係にもなったりもしていて、すごくスリリングな場面でした。
刀根:僕も最初に観た時、対決しているはずなのに共感もしているのがすごく奇妙に思いましたね。
──討論の中で「反知性主義」という言葉が出てきますが、最近のポピュリズムに対する説明とは全然違う意味で使われてますね。
豊島:旧来の知性に対するアンチテーゼとして使ってました。今は単に物事を考えないのが反知性主義ですが。
──いわゆるネトウヨ的なネットの書き込みなどは反知性主義の象徴だと思いますが、この映画に記録された討論は、反知性どころか、非常に豊かで知的なものですね。
豊島:もちろんドキュメンタリーなので結論は決めないで撮影していったんですが、最初の段階で頭にあったのは、SNS上のコミュニケーションだったんです。ネトウヨ的な言説や匿名の罵詈雑言の浴びせ合いみたいなものって僕は一番醜いと思っていて、その対極にあるのがこの討論なんじゃないかと。正々堂々と顔を合わせた、体温を感じるような言葉の闘いがこの時代にはあったんだというのが、この映画で伝えたいことのひとつですね。
──芥さんは「本当に憎んでたら会話する必要はない。人間と人間のあいだに媒体として言葉に力があった時代の最後」だと回想しています。
刀根:本当に最後なのかな。僕はまだ言葉を信じたいし、最後にはしたくないですね。
──内田樹さんは、現代の日本は「非政治的な季節」のうちにいる、と書いてますが。
豊島:僕はこの国はもっとひどい事態にならないと、自分が政治的な人間だという実感、つまり自分の行動が国を動かすという気持ちにはならないんじゃないかと思います。その時、言葉の重要性にもう一回気づくことになるんじゃないかと。現在の日本人はみな「非政治的」な人間になっちゃってるような気がしますね。
──いまの政治状況を見るとどうしても絶望的になってしまいます。今回、豊島監督は三島由紀夫という非常に「政治的」な存在を映画にしたわけですが、映画や表現はまだ社会を変える力があると思いますか?
豊島:そこまですごいことは思ってませんが、自分も客として映画を観ることでパラダイムシフトが起きる瞬間はあって、いつか人の気持ちを大きく変えるような作品を作りたいという野望はありますね。今回、三島由紀夫という世界中に知られた人物の映画を作ることで、すごく多くの人に観てもらえるチャンスがあるのはすごくありがたいことで、いつも僕の映画は映画秘宝しか取材に来てくれなかったのが、今回はAERAとか文藝別冊とかたくさん取材が来て、既にすごいシフトチェンジが起きてるなと(笑)。
──今の時代の中で、この映画がどこまで波及していくのかがとても楽しみです。
豊島:最後にROOFTOP的な話をすると、今回の話をもらった時に、自分がやれるかもしれないと思ったのは、『怪談新耳袋 殴りこみ!』でドキュメンタリーをやっていたからなんですね。あの作品では一切嘘をついてなくて、撮った映像をどう構成するかで、なにかしらの物語を作るという作業をひたすらやってきたので、今回もその手法でいけるんじゃないかと。だから『殴りこみ!』のおかげだと書いておいて下さい(笑)
© 2020 映画「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」製作委員会