まだ、やなモンが20代の頃は、バンドが目指すのは、日本武道館と新宿LOFTでのワンマンと月9のドラマの主題歌になるという夢をバンドマン達はライブハウスで大きな声で語り合っていた気がする。今みたいにサブスクなども無かったし、you tubeの再生回数なども無かったし、そもそもyou tubeが無かった。しかしいつの時代も良い歌というのは、変わらずにあると思う。例えそれがヒットチャートに入らなくても、無名なバンドの歌でも。自分の中でのそんな良い歌を聴ける事は、私は贅沢だと思っている。そんな歌の一つ中村パーキングの歌も入る楽曲がある。そんな彼等がLOFTでワンマンをするという事で、なぜLOFTなのか? 話を聞いてみたくなった。
中村パーキングメンバー全員に、今回のLOFTワンマンに対する意気込みやバンドの調子などを聞いた。 そこには、音楽愛に溢れた真っ直ぐなバンドマン達の姿があった。[interview : 柳沢英則(新宿LOFT店長)]
その時に付けたのが『中村パーキング』なんです
──石川君とはLOFTで4年ぐらいの付き合いになるんだけど、結成の経緯とか知らないんだよね。そのあたりを最初から教えてくれる?
石川 愼:結成自体は高校の頃ですね。元々違うバンドをやってたんですけど。『infinite space』っていう。
渡邊 圭:無限空間ってね(笑) 。いかにも高校生らしい。
石川:それで一人が大学受験の勉強するからってなって。そのとき12月ぐらいで地元のクリスマスコンテストがあったんですよ。それにどうしても出たくて3ピースで出たんですけど、その時付けたのが『中村パーキング』なんです。
久田将也:そのときは愼はリードギターでボーカルが抜けたんだよね? それで3ピースになってギターボーカルになって。
──その時から2人はいたの?
渡邊:いや、元のメンバーは愼だけなんですよ。
──皆、同級生か何か?
久田:僕は地元のバンド界隈を通じて知り合った感じですね。
渡邊:面識はあったんだよね?
久田:対バンとかはしてましたね。
──地元はどこだっけ?
石川:愛知ですね。
渡邊:僕は同じタイミングで東京出てきて、地元は違うんですけど同じ専門学校に通っていて。白井君もそう。卒業間際になってもう1本ギターが欲しいってなったので俺がサポートっていう形で加入して。そうこうしてる内に前のドラムが辞めてしまって。で、地元に帰っていたけど将也君を誘おうとなって、愛知のマックで話しまして。でサポートという形で入ってもらって、俺と同じタイミングで正式メンバーとして入ったんです。その後、去年の9月にベース辞めてしまったので同じ学校だし仲良かった白井にやってもらうってなって、今の中村パーキングになりました。
──石川のボーカルが全面にあるバンドだと思うんだけど、音楽性は最初から変わらない?
石川:音楽性って意味では結構変わってますね。
──皆が高校生の頃ってどんな音楽が流行ってたの?
渡邊:BUMP OF CHICKENとかRADWIMPSとかELLEGARDENとかですかね。
──パンクとかメロコアも選択肢にはあったと思うんだけど、こういう歌モノをやろうと思ったの?
石川:そもそもパンクとか通ってないんですよね。
渡邊:その世代に流行ってるものを聞いてない側だったよね。
石川:パンクが流行ったのは少し上の世代だと思うんですよね。なので選択肢にも入ってなかった。
渡邊:誰々みたいなバンドになりたいってのはそんなになかったと思う。
──曲にはファンクっぽい要素もあるけど、あれは誰発信なのかな。
石川:スタジオで入って合わせて自然と生まれていく感じですかね。
渡邊:ああでもないこうでもないってね。
石川:だから曲の原型とは全然違ったりします。
──曲は石川が作ってるんだよね、そうなると結成は何年ぐらいになるの?
渡邊:2012年なんでもう7年ぐらいになりますね。
石川:将也くんが入ったぐらいからガッと動き出しましたね。
──どこらへんでライブやってたの? 下北沢のモザイクとかは聞くけど。
渡邊:上京したての頃は埼玉の西川口Heartsで良くやってて。4人になってからもっと東京でやろうと下北沢のモザイクになるようになって。