不死身のラッパー、ダースレイダーが自身の半生を綴った自伝本「ダースレイダー自伝NO 拘束」を出版!LOFT9 Shibuyaにてトークイベントを開催するということで、改めて壮絶な闘病記を伺ってみた。(INTERVIEW:本田智也/LOFT9 Shibuya)
自伝本「ダースレイダー自伝NO 拘束」
──本を発売してから、反響はどうですか?
ダース:ありがたいことにAmazonでは在庫が足りない状態です。週刊新潮に吉田豪さんが書評を書いてくださったんですよ。吉田さんとは杉作J太郎さんの主催の『男の墓場プロダクション』の映画に出演させていただいてから縁があって、その後も、AbemaTVの番組にゲストとして出演いただいたり。昔から吉田さんと杉作さんとのやりとりが好きだったんですよね。杉作さんは僕の中ではある種の師匠筋みたいに思っているところがあります。杉作さんならこういうとき何て言うだろうとか、考え方の判断基準の中に杉作さんや吉田豪さんがいます。他にもその周りにいる住倉カオスさんや、掟ポルシェさんだったり。みんなそれぞれ別のことをやっているんですけど、なんとなくベースとなる価値観や視点は共通していて、そこは自分も大事にしている部分です。ロフトプラスワン感というか(笑)。石丸元章さんとは、先日の姫乃たまちゃんのライブで久しぶりに会って「トークイベントやりたいね」なんて話をしてたんですよ。石丸さんは脳卒中で倒れて現在も闘病中で、僕もちょうど本を出したタイミングだったので是非“脳トーク”しましょう!という流れです。
──それぞれ「脳梗塞」と「脳卒中」の経験者ということで脳トークなんですね。
ダース:どちらも血管が弱って起こるというのは一緒なんですけど、脳の血管が詰まっちゃって血流が止まっちゃうのが脳梗塞で、血管が破れちゃうのが脳卒中。原因は色々あるんですけど、僕の場合はフリーランスあるあるで30代まで健康診断をほぼ受けていなかったので、データがあまりにも少なくて何が原因でそうなったのか分からないんですよね。しかも両親を早くに亡くしているので、遺伝的なものなのかも調べることができないし。血糖値が高かったので糖尿が悪化して脳梗塞になった可能性もあれば、脳外科的な側面で脳にダメージがあって起こった可能性もある。なので入院中は脳外科と内科を行ったり来たりしていました。
──どのくらい入院されていたんですか?
ダース:3か月の予定でしたが、1か月半で退院しました。最初はクラブで倒れたから急性アル中じゃないかと思われたけど僕はお酒を飲んでいなかったし、検査したら脳梗塞だったので、そのまま入院することになりました。三半規管という身体のバランスをとるための器官がおかしくなっちゃったんです。僕は片方が狂っちゃったので、ずっと目が回っている状態で歩くことができなかったんですけど、左右に二つある三半規管はどちらも機能自体は同じなので、ハードディスクのデータ移行みたいに乗り換えることができるんですよ。勝手に反対側へデータ移行を行ってるんで、その間1か月半ぐらいはまともに歩くことができませんでした。毎日激しい船酔いを体験しているような感覚。病院食も残さず食べていたんですけど、全部戻しちゃうので点滴で栄養を補っていました。地獄でしたね。本当に骨と皮だけになっちゃって。
──自然に回復するのを待つ感じなんですか?
ダース:いえ、運動もしました。ずっと寝たきりで筋力も衰えてるし、三半規管もやられてるので、歩き方を忘れちゃってたんですよ。
──…歩き方を?
ダース:最初のリハビリの時、5メートル程の距離を普通に歩こうとするんですけど、足をどうやって動かすのか分からなくて。ズルズルとすり足状態で歩いたり、足と腕を同時に前に出したりしていて「あれ?どうやって歩いてたっけ?」って。人間の歩き方を最初から説明してもらいながら練習しました。3、4日かかってようやく歩けるようにはなったんですけど、その次は歩きながら曲がるという練習、あとは階段を上る練習とかもやりましたね。基本的な動作を全部忘れちゃってたんです。病院を1周できたときなんて、達成感で「やったー!」って声が出るくらいアガっちゃってました。
──退院後はすぐに復帰されたんですか?
ダース:退院後もしばらくは体力的に杖を突かないと歩けなかったですね。電車に乗り換えるときとか人の流れが速くて、隅っこをゆっくり歩いたりしていました。その時に気付いたのが、年配の方が僕と同じくその流れに乗れなくて隅っこを歩いているのを見て、健常者だった時は見えてなかった人達のことを改めて意識するようになって、それまでの傲慢さは確実に無くなったと思います。歩けなくなった時、『この場にいる生物で自分が一番弱いんじゃないか』という気持ちだったから。偉そうにしている場合じゃねぇなって。
目から水が…
ダース:入院中、眩暈が収まっても視力が回復しなかったんですよ。ずっと白い靄がかかっているような状態で。目が回っているせいで見えないんだろうと思っていたら、実は視神経が損傷していたので手術したんですけど、右目は視界がなくなる直前でなんとか留まったけど、左目はもう完全に見えなくなってしまったんですね。もうしょうがないなと、左目は諦めて右目を大事に使っていこうとおもっていたら、次はまた右目の毛細血管から出血しちゃって3週間両目が見えなくなって。一度、脳梗塞をやっているから全身麻酔は使えないということで、右目だけ局部麻酔で手術を行ったんですけど、それが4時間かかったんですよ。
──意識はあって、身動き取れないまま4時間ですよね?キツイですね…!
ダース:手術中に面白かったのが、医者が血のことを水って言うんですよ。業界用語的な感じで、「水が出ています!」「水拭いて!」って。
──それは患者を不安にさせないために?
ダース:けど、さすがに分かりますよね、身体から水なんか出ないし(笑)。無事、手術は終わったんですけど、明るさや色の認識が変になりました。なので、濃い青と普通の青の違いが分かりづらかったり、ライブの時にステージの裏って真っ暗なんですけど、壁に手を付いていないとちょっと不安だったりしますね。例えば、クラブとかで誰かに「久しぶりー!」って言われたりしても誰だか分かっていないときもあります(笑)。まあ、今では慣れたというか、しょうがないって感じで思っています。僕の場合、言語障害とかじゃなくて視力とか身体的なダメージだったし、ラップには影響がなかったので、そこは良かったです。石丸元章さんも、高次脳機能障害といって味覚が無くなったりしてますよね。
入院と音楽
ダース:手術中って医者がリラックスして手術を行えるように好きな音楽をかけてるんですよ。それがスーパーで流れているようなJ-POPのインスト曲で…。「趣味悪ぃな、これで4時間キツイな」て思ってました(笑)。
──本の中では入院中に聴いていた音楽も紹介されていますね。
ダース:目が見えないから本も読めなかったし、歩けなくて寝たきりだったので、入院中はずっと音楽を聴いてたんですよ。紹介している音楽は、ただのディスクガイドじゃなくて、闘病中にこれをどういう気持ちで聴いていたのか、聴いてどういう効果があったのかという視点が入っています。ローリング・ストーンズの「スタート・ミー・アップ」という曲は、初めて病院を一人で歩いて1周した時に聴いていた曲で、自分を鼓舞するために聴いていた音楽でした。寝たきりだった頃は、ビートルズ、ボブ・ディラン、ニール・ヤングなど、ロックのクラシックスをよく聴いていました。「ホワイトアルバム」を丹念に聴いて、「こんな音がここで鳴ってるんだ」なんて、改めて楽曲の良さを噛み締めるような生活をしていましたね。HipHopは音が強すぎて体調が良くなってからじゃないと聴けなかったです。回復の過程に合わせて聴く音楽の幅も変わっていきました。気持ち悪くて病室で寝ている夜に聴いている状況にはドアーズのサイケでぶっ飛んだ感じが良く合うんですよね。なんとなく夜の音楽という感じもあって「いま闇の中に俺はいるぜ」とカッコつけるのにちょうど良かったですね(笑)。あと、ライターの高木君(高木"JET"晋一郎)が落語を持ってきてくれました。桂米朝とか立川談志とか色々入ってるやつなんですけど、やっぱり初めは談志は聞けなかったですね。弱っている時は米朝の上方落語のほうが言葉のリズム感が優しくて聴きやすかった。『体が弱っているときは米朝が良い』というのも発見でしたね(笑)。
──それがキッカケで落語にも興味を持つようになったんですか?
ダース:そうですね。ラッパーって日本語をどう使うかとか言葉の専門家になるべきだと思うんですけど、言葉の専門家という観点では日本だと落語家というのが歴史的にも達人の集まりなので、日本人が心地良いリズム感であったり、感情を動かすツボというのを落語家さんは知っているんですよね。落語とラップはリズムがちょっと違うけど、言葉選びとか流れというのは意識するようになりました。入院で一回ストップしちゃった時期があったからこそ、自分の引き出しを増やすことができたと思います。
混ぜる。そしてカレー。
──復帰されてから曲作りもの変化したと感じますか?
ダース:周りがどう感じるか分かりませんが、あまり強いことを言わなくなったかな。
──優しくなった?
ダース:優しくなったというか、覚悟ですね。それまでは割と調子良く生きてきたけど、「逝くときは逝くんだな」っていう。自分が弱っている状態でも、「それでもやるんだ!」という覚悟が強くなりました。運命って自分では変えられないし、全部受け入れてやれることは全部やっていこうと。世界の見かたも変わったし、何を発信するべきか考えるようになりました。ポップスを作っているわけじゃないから、多くの人に共感されるようなものは作れないけど、ピンポイントで僕が感じたことや見た景色を発信して、その人たちに気付きや発見になると良いなと思っています。本を出したのもそういうことで、みんなが脳梗塞にならなくていいけど、なったらこうなるという事は知っておいたほうが良いと思うんです。自分が体験しなくても知ることができるんだったら、僕が代わりに体験してきたから、話だけ聞いてみてよって。自分が生きていて体験できることってたかが知れてるけど、体験を共有することが大事だと思んです。僕が読書が好きなのも、誰かの体験を通して世界を知れるからで、自分にはできないようなことを代わりにやって伝えてくれている。それは享受したほうが良いですよね。
──人や作品を通しての疑似体験。
ダース:それが社会で生きるという事ですよね、みんなが同じ経験をしていたら世界の幅も広がらないし、それぞれの経験を交換して混ぜ合わせることで面白くなる。なるべくみんなが同じ話をしないほうが良いと思いますよ。こういうとき自分だったらどうするかというヒントにもなるし、選択肢を増やすのが大事。そのほうが生き延びやすいし、世の中楽しいですよね。選択肢がひとつしかないものは危険。今回のトークイベントは、同じ脳の病気だけど僕と石丸元章さんで後遺症や向き合いかたなども違うし、そういった違いも是非、知ってほしいですね。僕の経験談ならいくらでも話すので是非、聞きに来てほしいし、知らないことを知るということは、そのほうがたぶん世の中が面白くなりますよ。
──本の中でカレーについても書かれています。
ダース:あ、カレーに関しては、もともとカレーが好きということもあるんですけどね。病院では水曜日のお昼だけカレーが出てくるんですよ。カレーだけは一回も吐かずに食べられたんです!全て僕のエネルギーになってくれました。カレーは『恩人』ですね。今は炭水化物を取らないようにと医者から言われているので、お米やナンが食べられないという中でどうカレーを楽しむかというのを紹介しています。唯一カラーページなのがカレーのところなんです(笑)。
──そんなに、カレーに対する強い想いがあったんですね(笑)。イベントでは是非、カレーを食べながら脳トークを楽しんでもらえれば!
ダース:そうですね!カレー食べましょう!