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INTERVIEW

トップインタビュー〈暮らしやすさ〉の都市戦略 ─ポートランドと世田谷をつなぐ─ 保坂展人(世田谷区長)

〈暮らしやすさ〉の都市戦略 ─ポートランドと世田谷をつなぐ─

2018.12.13

 全米で住みたい街No.1として知られるポートランド。北にワシントン州、南にカリフォルニア州に接した、西海岸に位置するオレゴン州最大の都市(といっても人口は60数万とアメリカでは中規模都市)で、全米で最も人と環境に優しい街と言われている。公共の交通機関が発達し、徒歩と自転車が中心の街中には公園や緑が広がり、都市特有の窮屈さを感じさせないコンパクトな街作りがされている。古い街並みを残したままリノベーションした建物にはカフェやレストラン、書店やファッションブランドが点在し、ライフスタイルの発信源としても魅力を放っている。

 いまや国内のみならず海外からも多くの人が訪れるポートランドだが、しかし、1970年代は重工業の街として深刻な公害問題を抱え、治安も悪く街は荒廃していたという。ポートランドを典型的な公害都市から全米一の環境都市へと変えたのは、住民自治を基本とした市民運動と行政の力だった。

 2011年の震災以降、日本でも地方自治の重要性が増してきている。2011年4月に世田谷区の区長選挙に立候補し、わずか一週間の短い選挙戦を制して当選した保坂展人も住民の自治による開かれた区政を強く訴えた政治家だ。市民による街づくりに強い関心を寄せる保坂が、2015年にポートランドの地を訪れたのも至極自然な成り行きだったと言えるだろう。初めて行ったポートランドから深い感銘を受けた保坂は、それ以来、毎年のようにポートランドを訪れ、その成果を『〈暮らしやすさ〉の都市戦略 ポートランドと世田谷をつなぐ』という一冊の本にまとめた。暮らし、環境、自治をキーワードに都市戦略を考える保坂展人に話を伺った。(TEXT:加藤梅造)

「自然破壊」から「環境都市」への再生

 
 今回、ポートランドをテーマに本を出した狙いは何だったのだろうか?
 

保坂展人保坂 初めてポートランドに行ってから、一言では語りきれない「街づくり」の多くのヒントを得たという実感があって、自分の得た知識や経験をぜひ多くの人に共有してもらいたいと思ってこの本にまとめました。ポートランドは、豊かな自然環境や高度な自治、食文化、カフェなど、いろいろな切り口で紹介されているのですが、それらを貫いているのが「街づくり」であり、そこに行政と市民運動の関係がきちんとあった。そうした特長と対比しながら東京の街づくりを考えるのがとても有益なことではないかと。

 都市計画・再開発の模範とも言われているポートランドだが、保坂がポートランドのことを知った1つのきっかけは、あるジャーナリストからの助言だった。
 
保坂 世田谷区でも下北沢の道路計画をどのようにしていくかという激しい議論があったんですが、そこで精力的に活動していたジャーナリストの高橋ユリカさん(2014年没)からずっとポートランドの魅力について聞いていたんです。小さな商店街を歩いて回ることが魅力でもある下北沢の街にとって、ポートランドが目指した「徒歩20分の生活圏」というコンセプトはとても参考になりました。
 
 そこでシモキタの再開発問題も、対立の図式から一緒に街を作っていくラウンドテーブルの場に転換しようと、ワークショップや100人規模の区民集会をかなりの回数やりました。そういう市民主導の形で街を作っているのは、東京でもあまり例がないんじゃないかと思います。そこまで持って行くのにはかなりの労力が必要だったのですが、ポートランドでは地域住民の検討と同意を得ることは都市開発の前提条件になっています。
 
 ポートランドの街づくりにおいて象徴的だったのは1969年に街の中心を流れるウィラメット川沿いの高速道路を撤去させた住民運動だ。日本以上に「車優先社会」であるアメリカにおいてはまさに画期的な運動だった。数年間続いたこの高速道路撤去の運動が、ポートランドの市民活動を活性化させ、その後には革新派で32歳の市長ニール・ゴールドシュミットを誕生させた。
 
保坂 都市を変えると言葉で言うのは簡単ですが、特に日本の場合、都市計画は迷走してきた。都市が抱えている問題を分析してビジョンを立てて作り替えていくというのはとても難しい。空から見るとそれがよく分かります。昔は東京の周りにグリーンベルトを作ろうという計画もあったのですが、小泉内閣当時の規制緩和もあり、どこへでも高層ビルが建てられるようになった結果、東京は非常にまとまりのない街になってしまった。
 
 ポートランドでは、市街地が無限に拡大しないように「都市成長限界線」という住宅地と農地の境界線を設定しています。ポートランドの都市の魅力をつくりだしているのは、豊かな緑と近隣で生産される新鮮な食材です。都市成長限界線があることで、中心市街地の再開発が積極的に行われ、荒廃から再生へと向かったのです。
 
 都市の無秩序な拡大を強い意志で制御することの大切さについて、保坂は本の中で以下のように説明している。
 
 産業優先の「自然破壊」を転換し、人間とともに生態系が尊重される「環境都市」として再生しようという強い意志が、この街を変えてきた。ヒッピーが社会性を獲得し、ミーイズム=自己中心主義から脱却して、既存の社会システムの歯車をまわしながら、漸進的に変革していく粘り強さを持ち、なおかつ現実に妥協しないで理想の旗を掲げて進めていく「行政権」を握ったらどんな社会になるのか。その回答のひとつが、ポートランドではないかと感じて、もっと深くこの街を知りたいと思うようになった。
(『〈暮らしやすさ〉の都市戦略 ポートランドと世田谷をつなぐ』より)

ポートランドの懐かしい匂い

 
 本書の中で何度も言及されているのは、ポートランドの街づくりの考え方と、60年代後半にアメリカやヨーロッパをはじめ日本でも盛り上がった学生運動や市民運動、そして当時のヒッピーカルチャーとの関係だ。保坂は世代的にはその下の世代になるが、その思想や行動には大きな影響を受けている。
 
保坂 1960年代後半には日本でもアメリカでも学生運動や市民運動の高まりがあって、その時のポートランドは日本と同じように大気汚染や河川の汚染に悩んでいました。日本では1970年にいわゆる公害国会(※公害問題に関する法令の抜本的な整備を行った臨時国会)が開かれ、公害を規制する法律が作られ、環境庁ができた。ポートランドでも高速道路の撤去運動や、立体駐車場を公園に変える運動が実現する。ここで1つ指摘したいのは、日本の場合は規制を作るまでは行きましたが、ポートランドは開発を止めた後、さらに別の計画で街を作りかえていったんです。その違いは大きい。学生運動をやっていた世代が、反対運動だけで終わらず、実際に行政を遂行する立場に就いて社会変革の波を継続していった。あれはダメ、これはダメということに終始することなく、その先を作り出していくことの大切さをポートランドに行って再発見しました。
 
 僕はヒッピー世代ではありませんが、10代の頃にジャズやロックを聴くようになってから自然とその世代の人達に出会いました。20代になってからは仕事として多くのロックコンサートに関わるようになり、1988年8月8日には八ヶ岳で喜納昌吉さんと一緒に「いのちの祭り」という、今で言う音楽フェスのはしりのような祭りを開催したこともあります。その主体はやはりヒッピー世代の人達でした。ヒッピーの到達した大事な考え方の1つは、アメリカ先住民の思想に敬意を払っているということです。
 
 ポートランドの歴史は、通常1800年代の開拓時代から語られるのですが、実はそれは白人の歴史であって、その遥か昔からネイティブ・アメリカンの人達がその地域には住んでいた。今年8月にポートランドに行った時は、もともとウィラメット川流域に住んでいたネイティブ・アメリカンの居留地にも行きましたが、ポートランドの街づくりにはヒッピー達が影響を受けた先住民の自然観や世界観が色濃く反映されている。例えばオレゴン州では、民間のデベロッパーが海岸をプライベートビーチとして柵で囲ったことに抗議する運動から「海岸保護法」という画期的な法律が成立するのですが、海岸を企業や個人が所有してはいけないという考えの根底では、大地や地球は人間のものではないというネイティブ・アメリカンの思想と深く繋がっている。
 
 また、このような自然観は、世界中の先住民に共通する考え方でもあって、アイヌや沖縄の人達の信仰や文化とも似ています。僕は80年代に何度も沖縄を訪れていたのですが、ポートランドにある種の「懐かしい匂い」を感じたのはその経験からかもしれません。半世紀前の若者達の問題意識を、住民自治に支えられた改革プログラムとして進めてきたポートランドの街づくりの手法はまだまだ掘り下げていきたい所がたくさんあります。こうした交流を通して、世田谷だけでなく、東京や日本の都市の未来像を共有できるステージを作っていきたいですね。
 
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保坂展人

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ポートランドは全米一暮らしやすい街として人気を集めるだけでなく、著者が区長を務める世田谷区でも関心が高まっている。他の大都市と同様に、かつて環境汚染が進行していたポートランドの街は、どのようにして今日の姿に再生したのか。ポートランドの街づくりの哲学に学び、本当の暮らしやすさを追求する。

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