イギリス人。ロフトではもうかなりお馴染みのバンドだが、彼らのことをよく知らないという人でも、この、「バンド名としてどうなんだ?」と突っ込まずにはいられないおたんちん度合いから、とにかく名前だけは知っているという方も多いのではないだろうか。ならばこの際、彼らのサウンドも知ってみませんか?
いや別に怪しい勧誘ではない。彼らは実際、かなり良いバンドなのだ。むしろ、めちゃめちゃ良い。ライブを見てくれると話が早いのだが、このたび配信されるシングル「などわ」(短編映画『などわ』主題歌)を聴いてくれてもいい。聴けばたぶん「もうちょっと聴いてやってもいいんだからね。てゆうかもっとないの?」と、なぜかちょっとツンデレ状態で要求し始めること請け合いだ。
パンクの心意気でパワフルにアグレッシブにバーストするのは、アイリッシュでトラッドでフォークでメロディックなロック。そこに乗っかるのは四畳半風呂なしトイレ共同で育んだかのような、せつなくもおバカでハートフルなリアル男心。甲斐性は微塵もないが夢なら任せとけとばかりに天井を突き抜けていくその様は、なんだかよくわからんが激しく胸を撃つイギリス人。来年2月には、満を持してのニュー・アルバム『SMILE』の発表も予定されているので、この機会にぜひ彼らのことを知ってほしい。というわけで、今回はあえてベーシックなところからインタビューしてみた。ボーカルのたつ子りんと、バンジョー&マンドリンを忙しく持ち替える多才なリーダー、サコに話を聞く。(interview:中込智子)
一人に対して唄ったものは他の人にも共鳴する
──まず、何年にどのような形でバンドがスタートしたのか、教えていただけますか?
サコ:えーと、初ライブが2008年?
たつ子りん:イギリス人と名乗ってライブをやったのが2008年ですね。サコとはその前からのつながりを入れると、かれこれ12〜13年の付き合いになります。そもそも僕、東京でバンドをやりたいなと思って、学校卒業して一人で東京に来たんですよ。行きゃあどうにかなるだろ? って思ってたんだけど、まったく誰ともどこともつながりなんてないし、ライブハウスもロフトと武道館しか知らなかったし。
──武道館はライブハウス違います。
たつ子りん:でもしょうがないんですよ。ヒムロックがギャグで言ってたなんて思ってなかったんです。まだネットとかもなかったから、ロフトがどんな見た目なのかも知らないし、武道館も、外の写真は雑誌とかで見たことあったけど、そもそもライブハウスの定義もよくわかんないから「へぇー、武道館っていうライブハウスがあるんだ」みたいな。それで、その2個しか知らないそこに出たい! と思って上京したんです、静岡から。でも、知り合いなんていないから、まず最初はコンビニの店員と友達になって、廃棄をもらうってところからスタートしました。
──廃棄。コンビニで賞味期限切れで捨てられるお弁当とかの廃棄。
たつ子りん:はい。そしてその店員がイエロー・モンキーのファンだったってところから、ほんとにちょっとずつ、音楽をかじってるような人と出会い始めて。んで、スタジオの場所とか相場がいくらとか教えてもらって。そうやってちょっとずつちょっとずつ知り合いが増えていったんですよ。そんななか、知り合いや、知り合いの知り合いがやってたバンドの解散が出始めて。ほら、高校卒業するとか就職するとかって、バンドを辞めるタイミングじゃないですか。そんで、そもそも地元で知り合ったいろんなバンドの知り合いと、変わった楽器を使って演奏してた時があって、じゃあそれを母体にして「一緒にやるしかないんじゃない? イギリス人」っていう始まりです。
──元は複数バンドの集合体だった。
たつ子りん:はい。まぁでも集まりは辞め、集まりは辞めで、結局17人くらいメンバー・チェンジを繰り返すんですけどね(笑)。
──それは多いっす(笑)。ちなみにその始まった2008年の頃のサウンドは、いまと比べるとけっこう違う?
サコ:いえ、わりと一緒なんですけど、ただ下手だったんで…下手でした(笑)。
たつ子りん:みんな一人なら上手かったりしたんだけど、6〜7人いるバンドとして各々の立ち居地がよくわかってなかったっていう、立ち位置の下手さでしたね。6〜7人で同時に音を鳴らしちゃいけないとか全然わかんなかったし、こんだけ人がいるのに全員でなんか同じことやってるっていう(笑)。
──はははは。でも、基本路線はいまと同じだったんですね。
たつ子りん:はい。ただ、始めた頃は意味のない歌詞を唄うっていうコンセプトでした。
──そこはいまとずいぶん違うんですね。いまは意味ありまくりじゃないですか。
たつ子りん:そうなんですよ。僕、逆に言葉をすごく重く受け止めてたんですよ。言葉に掛ける気持ちが大きいからこそ、陳腐に聞こえたくないっていうので…それで全部、動物の歌とかにしてたんです。動物シリーズとか虫シリーズとか。図鑑の動物の行動をそのまま歌詞に乗っけるとか、そういうことやってた。メロディはいまと全然変わらない感じなんですけどね。でも、やってる途中で気づきました。「何をやってるんだ俺は!」って(笑)。
──はははは。ちゃんと言いたいことがあるのに! と?
たつ子りん:言いたいことっていうか、僕、不特定多数に対して「がんばれ!」って言っても伝わらないと思ってて。ただ、一人に対して唄ったものは、その他の人にも共鳴するんだと思って、そう考えたら「もう意地を張らずに、一人に対して唄ったものを今後は作っていこう」って思うようになって。そしたら、意味のない歌が1曲もなくなりました!(笑)
侘びさびを知った上でパンクを知ったのは財産
──そこで開けた! って感じなんですね、ユーリカ! みたいな。
たつ子りん:そうですね。きっかけは、サンボマスターの使ってる個人スタジオみたいな小さいスタジオがあって、そこって素人の人も使ってるんですけど、マルコシアス・バンプの人とか、友川カズキさんとかわりと大御所の人も使ってて、僕らもそこ使ってたんですよ。で、サンボマスターの機材片付けたり一緒にテレビ見たりしてるなかで……僕ね、当時、青春パンク・ブームみたいのがあって、それ全然響かなかったんですよ。「いや俺、そんなの知ってるし」とか思っててロクに聴いてなかった。でもサンボマスターは当時、曲や歌詞をよりシンプルに転換し始めた時期だったみたいで、そのスタジオで話したんですよ。で、音源をちゃんと聴いてみたりして「あ、この人はちゃんと作ってる!」って思って。僕、上京してからいろんなバンドの人に会ったりして、興醒めみたいなこともあったけど、サンボマスターとイナズマ戦隊だけは同士みたいな感じで付き合ってくれて、一緒に下ネタ言ったりして、「ああ、この人たちってこんな感じなんだ。じゃあ歌詞も全然嘘じゃないじゃん!」って気づいて、「じゃあ俺、もともとコッチ派だったんだから俺だって!」って(笑)。
──はははは。当時の青春パンクと呼ばれた人たちの根っこには、たとえばブルーハーツやジュンスカといった80年代ビートパンクからの影響がありました。イギリス人も、実はそうだった。ただ、パンクが好きな人はどこか斜に構えて当たり前のところがある。影響なんて素直にそのまま出せないぜ、という意地もあったでしょうし。
たつ子りん:小中学校くらいまでは素直すぎるほどにすんごい素直だったんですが、そこから大人の闇を知ったので(笑)、「これは隠そう」とずっと隠していたものを、そこで開いた感じですね。
──なるほど。そこで現在の、リアルに胸を打つ歌へと正面から向かっていった。ではサウンドのほうはどうでしょう? 結成当初からいまと近しいという話がありましたが、お二人はどんなものを聴いてきたんですか? 音楽の趣味はわりと近い?
たつ子りん:地元で初めて会った時に、サコはテレキャスターを持ってて、そんで「テレキャスターといえば誰々」っていうのがわりとある楽器なんですけど、「それ、ブルース・スプリングスティーンのやつ?」って言ったら「そうだよ」って言うから、「だよね、佐野元春じゃないよね!」って盛り上がって(笑)、そこから二人ともビーチ・ボーイズが好きだったり、ルーツ・ミュージックもわりと被ってて。
──ちょっと待て。あんたたち何歳ですか!?
たつ子りん:す、すいません。
サコ:僕ら、実は年齢内緒にしてて。
──あ、そうなんだ。でもまぁ話の流れでおおよそ見当つけますが、あなたたちの世代でその辺をちゃんと聴く人とか、たとえばクラスに同士なんて一人もいないですよね?
たつ子りん&サコ:いないです(笑)。
サコ:俺はわりと、親父の影響が強かったんですよ。それでクラプトン、クリーム、スプリングスティーン、ビーチ・ボーイズ、ビートルズとか聴いてて。でもお前は親父の影響とかじゃないよな?
たつ子りん:ない(笑)。
──イギリス人のサウンドを解説するなら、まずオリジナル・パンクやブリティッシュ・ビートロック、アイリッシュやトラッド、さらにメロディック的な要素もありつつ、フォークもでかくありますよね。そこに昭和歌謡や童謡の要素も混じりつつ、ただいちばん色濃く感じたのは80年代日本のインディーズ・ムーブメントからの継承的な感覚なんですよ。で、この混じり方異常じゃね? っていう実感があったので聞いてみたんですが、まさかその辺から掘り下げてるとは思いませんでした。
たつ子りん:はははは。好きなバンドやサウンドがどんどん足されていった結果、こうなっちゃったのかもしれません。僕、家の向かいがレンタルビデオ屋さんだったんですよ。両親は働いてたので、500円渡されてそれで過ごしてたんですけど、その500円でビデオ借りて。もう片っ端からすんごい数の映画を見てて。そのなかでニール・ヤングの映画だったりドアーズの映画だったり、自分で気づかず音楽のジャンルに入って見てって、そこからですね。もらった500円を使わずに貯めて、CDとかを買うようになったんです。最初に買ったのがクリーデンス・クリアウォーター・リバイバル、小学4年生の時でした。多分『イージー・ライダー』見た時に、メチャクチャ長いバンド名のバンドあったなぁって買った気がする(笑)。で、小5になると楽器も買ったりしつつ、その後はロックで、バンド名がカッコいいバンドを名前買い。特にVから始まる名前カッコいい! とか思ってヴァン・ヘイレンとか…ジャンルはよくわかんないからもちろんヘヴィメタもソウルもブルースも無茶苦茶です。
──すごい……(笑)。
たつ子りん:そんなぐっちゃぐちゃに聴いてたなか、パンクに出会うんですが、パンクはCDが半額くらいの値段で買えるんですよ!(笑) で、2枚同時買いしたのがピストルズとラモーンズ。確か小6の時でした。いま思うと、いろいろ聴いた後にパンクを聴けて良かったなぁって思います。単純な初期衝動とかじゃなくて、侘びさびとか知った上でパンクを知ったのは、財産なのかもしれないって。