「BAZOOKA!!!」「全日本コール選手権」「とにかく金がないTVとYOU」など、数々の"ヤンチャ"且つ"青春狂"なバラエティー番組を手掛けてきたTVディレクター・岡宗秀吾が初のエッセイ集『煩悩ウォーク』(文藝春秋刊)を刊行。バナナマン、バカリズムらも一目置く、テレビ界随一の"鉄板エピソード"を持つ氏とは一体、どういった人物なのか? これまで経歴と共に振り返ってもらった。(interview:石崎典夫[LOFT9 Shibuya])
よくわからないんですよ、なぜ本を頼まれたのか
――岡宗さんといえば、2008年から大根仁さんとのイベント『テレビマンズ』でお世話になってますけど、岡宗さんが本を出すと聞いてビックリしたんですよ、全くそのイメージが無かったので(笑)。
岡宗:去年末に、文藝春秋の臼井さんという編集の方から突然お電話頂いて、「エッセイ本を出しませんか?」と。テレビマンが書いた本ってたまにあるじゃないですか、そういう本って大体、視聴率を取る企画術とか……。
――ハウツー本が多いですよね。
岡宗:ちょっとビジネスにも置き換えられるみたいな。そういう本もいいと思うんですけど、そんな威張れるキャリアもないし、ロジカルな番組作りもしていないから、そういうことじゃなくて人生の中で起きた面白い話とかがいいという話になったので、じゃあやりましょうとなって。
――それまで臼井さんとは繋がりがあったんですか?
岡宗:臼井さんは、みうらじゅんさんのマネージャーでもあるから。
――あ、そうなんですね。
岡宗:2005年に『全日本コール選手権』ってDVDを出した時に、みうらじゅんさんに出てもらっているので、その時にお仕事してるんですけど、よくわからないんですよ、なぜ本を頼まれたのか(笑)。
――僕らは岡宗さんがおもしろいのを知ってるじゃないですか、大根さんが出てるラジオ番組で阪神大震災の日にホテルで3Pしてた時の話をしたり、『テレビマンズ』でもこんなにエピソードトークが面白い裏方さんを見たことがなかったので(笑)。
岡宗:そういう人間に、本出しませんか? って言うのは、すごい勇気がいることですよね。でもプロデュ―サーって本来そうあるべきで、皆が書いて欲しい人に頼んでそれが売れたとしてもそこまでの達成感はないだろうし、売れてくるとどうしても疲弊してくるから、一番初めに手を付けた人が得しないとホントはダメなんですよ。それを今は恐がって、ものすごい保険の掛かった状態にしたいというか。
――今は特にその傾向が強い感じがしますね。
岡宗:そうじゃない人にチャンスを渡さないと、これからの人って一切前に出てこれないと思うんですけどね。
YOUさんの一言でTV業界へ
――岡宗さんの経歴を聞いていきたいんですけど、そもそもタレントのYOUさんに勧められてテレビの世界に入ったってwikiに書いてあったんですけど、これってホントなんですか?
岡宗:その辺りのことも含めて、たっぷり本に書いてあるんですけど(笑)。まぁ要は高校中退して、阪神大震災をキッカケに、以前から仲が良かった“脱線3”とか、“ナオヒロック”と一緒に上京して、その当時、LB Nationという大きな流れがあって、そこにスチャダラパーとか、TOKYO No.1 SOUL SETとか、タケイ・グッドマンとかがいて、よく一緒に遊んでもらってたんですよ。で、その繋がりでYOUさんと、GO-BANG'S の森若さんとかもいて、「やりたいことなくて東京に出て来ちゃったんですけど、何やったらいいですかね?」って聞いたら、「テレビマンになったらいいんじゃない?」って言われて。
――それでテレビの世界に入ったんですか?
岡宗:そう(笑)、その前からタケイ・グッドマンが作ってるPVの現場を見に行ったり、周りにラッパーとか洋服屋とか表現する人が多いから、自分も何かを表現をしたかったけど、何をしていいのかわからない。そんな時に、YOUさんがそう言ってくれるならと思って、人づてに『元気が出るテレビ』のADの仕事を紹介してもらって、東京に居られればいいかなと思ってやり始めたんですよね。
――実際、入ってみてどうでしたか?
岡宗:毎日、色々起きるんですけど、忙しすぎてあんまり記憶がないぐらいシンドかったというか(笑)。じゃあ嫌な思い出だったかと言うと、そんなことはないんですよね。怒られたし、寝れなかったし、悔しい思いもしたけど、じゃあ何がって言われても忘れちゃってる(笑)。きっと記憶を上書きしてるんだと思う。
――それからディレクターになるわけですか?
岡宗:ADで入って3年目(25歳)の時にディレクターになって、26歳の時に、古舘伊知郎さんが司会の『クイズ赤恥青恥』で総合演出にしてもらいまして。
――3年って早いですよね?
岡宗:今はADさんって10年選手の人もいるんですけど、僕らの時は3年ぐらいでディレクターになる雰囲気だったんですよ。あと若いし、やる気もあるんで、少しずつ周りの人から評価してもらって、総合演出になったんですけど、31歳の時に自意識が高まってというか……。テレビ番組ってタレントとか内容とか制作会社が先に決まった上で、参加しませんか? という話が来て、それを何本も抱えるのがディレクターにとって一番ギャラがいいんですけど。
――先方の発注ありきのやり方ですよね。
岡宗:でもそれって結局、自分の番組じゃないんですよね。お手伝いというか、全部内装が決まった上で入るチーママみたいな(笑)。
――既にやることが決まってるわけですね。
岡宗:それがイヤになってきたというか、もっとやれんじゃないかなという気持ちになってきたというか。すごいと思う人は一杯いるし、自分にはできない番組を作る人にはホント尊敬するけど、そうじゃない人がトップに立って、俺が作ったVTRを「こうだろ!」って言いながら直していって、妙な番組タイトル付けて、なにこれ? と思うような曲を付けて……。俺ならこうやるけどなと思うことが、めちゃくちゃ出てきたんですよ。
――具体的な例がありそうですね(笑)。
岡宗:でも、それが正解かもしれないじゃないですか。それくらい自分は生意気だったし、正解だと思っていたんですけど、でもそれを証明するためには、今までの参加する側にいたら出来ないわけで……。というわけで、自分たちで『全日本コール選手権』を作って出すわけです。
――あれは衝撃でしたよ。あれを見てすぐに「イベントやりませんか?」と岡宗さんに打診させてもらって、ロフトプラスワンで2度、イベントやらせてもらいましたね(2007.12.12『全日本コール選手権 後夜祭』、2008.12.3『全日本コール選手権後夜祭2』)。
岡宗:あのDVDは当てようと思ってやったし、当たらなきゃ意味がないと思ってて、自分たちの力を証明する名刺代わりだと思って作ってました。ただ、企画段階では「当たらない」ってよく言われてましたよ。
――なんでですか?
岡宗:コールが流行ってないから。
――あー、内容とかではなくて。
岡宗:DVDって基本的には“二次的”なもの、要は中身が分からないものを買うか? って話ですよね。有名で面白かったテレビ番組とか、誰か有名な人のライブとかを保存版として家に置いておく。アウトプットがDVDだけって当時も今もすごく少ない。そういう状態のものを当てるというのは、自分らに課せられた使命だったし、でも絶対イケると思ってたんですよ。あの数年間だけ面白いものにお金を出す喜びというかムードがあったんです。それを嗅ぎ取っていたし、僕らには守るべきものが何もなかったからやれた。で、本当に当たったから「ざまーみろ!」と思いました(笑)。どんなに劣悪な環境でも自分がやれば、魔法が掛かったみたいに売れるんだってことを、めちゃくちゃ強く信じていたというか、自信があるんでしょうね。そういった話が全部この本に書いてあるので、是非読んでみてください(笑)。
大根仁との出会い
――「テレビマンズ」の相方である、大根仁さんとも、もう付き合い長いですよね?
岡宗:大根さんとは2003年ぐらいに、タイに行くグルメ番組のディレクターでなぜか一緒になって、大根さんは深夜に『演技者』という番組をやっていて、僕はペーペーのディレクターだったんですけど、タイに行った際に、震災で3Pしてた時の話をたまたましたんですよ。で、大根さんがその話を大好きになって、色んな所で、あの話して欲しいと言われて、そうしたら大根さんが出てるラジオ番組ですることなって……。なのでいわばこの本は、大根さんが書かせてるみたいな所があると思う(笑)。
――「テレビマンズ」ってお二人が持ってくる映像ネタも面白いんですけど、岡宗さんと喋っている時の大根さんがすごく楽しそうで(笑)、そこもいいですよね。
岡宗:僕も大根さんも、いわゆるテレビマン的な、女子アナと合コンしたいとか、キャバクラ行きたいみたいな人を全く受け付けないので、そのせいでテレビ界の端っこを歩くことになったんですけど(笑)。僕と同一人物かと思うぐらい大根さんは近いというか、同業者ならではのすごく細かい話が出来る、『テレビマンズ』とは、そんな稀有な2人がお送りするイベントなんだと思います(笑)。