ロフトプロジェクトが初めてマネジメントに携わったバンド「4-STiCKS」のボーカリストとして、バンド解散後はゲームソフトの音楽レーベル「GEORIDE」のプロデューサーとして活躍した故・南野信吾率いるbillionのファースト・アルバム『Memories Of Last』が彼の誕生日にあたる4月26日に発表された。録りおろしのスタジオ音源と南野のデモ音源が4曲ずつ精選された本作、その制作から発売を一手に担ったのは、BOICE〜4-STiCKS時代から南野の盟友である"SMILEYyagi"こと柳沼宏孝。南野に対する柳沼の熱い思いが音の隅々にまで込められたこのメモリアル・アルバムはいかにして生まれ、あれから5年の歳月を経たいま柳沼は何を思うのか。6月10日の『MINAMINO ROCK FESTIVAL』開催を前に彼を直撃した。(interview:椎名宗之)
良い歌はいつまでも良い歌だから唄い続けるべき
──billionのアルバムを出す構想はいつ頃からあったんですか。
柳沼:5年前からありました。4-STiCKSの『STICK IT OUT!』はエピックソニーから再発してもらったので、billionのアルバムもいつか形にしたかったんですよ。信吾の形見分けとしてもらったデモ音源もたくさんあったので。
──そもそもこのbillionというバンドはどんな経緯で結成されたんですか。
柳沼:いつの頃からか勝手に始まってました(笑)。第二期boiceが解散した後に僕はバンドから退いたんだけど、信吾はそれからソロ名義でライブをやっていたんです。それがいつからかbillionと名乗るようになったみたいで。で、ある日突然信吾から電話が来て、「ライブが決まりました」と報告を受けたんです。へぇ、そうなんだ、くらいに思っていたら、「じゃあ、よろしくお願いします。曲が決まったら送りますので」なんて言う。要するに僕にベースを弾けってことなんですよ(笑)。あいつの話はいつも急なんです。それが2006、7年くらいの話かな。
──その頃は南野さんとの交流が途絶えていたんですか。
柳沼:いや、しょっちゅう会って遊んでましたよ。ただ当時はお互い裏方の仕事をやりだした頃だったので、バンドの会話はしませんでした。信吾が僕を誘ったのは、またバンドをやりたくなったからなのかな? その辺はよく分かりませんけど。
──個人的に印象深いのは、2007年12月に南野さんと柳沼さんがネイキッドロフトに出演したイベントですね(『「ついにあの男がロフトに帰ってきた!!!」〜今までの分全部喋って歌って弾いてやる!〜』)。
柳沼:あれも名義はbillionでしたね。当時、「メンバーは誰なの?」って信吾に訊いたら、「僕と柳沼さんです」って言ってました。
──他のメンバーは流動的だったんですか。
柳沼:今回のレコーディングに参加してくれたKANZIは、そのネイキッドロフトの後にモーションでやったライブに信吾が連れてきたんです。「すごくギターが上手くて性格もいいヤツなんです」って。その時のドラムは仲野茂さんのゲタカルビとかで叩いてたハローで、彼はboiceでも叩いてたんですよ。お兄ちゃん(坂巻聰)はサポート的な感じで信吾のライブを手伝っていて。今回のbillionのアルバムを構想した時に、ハローも忙しいし、KANZIとお兄ちゃんに声をかけたら是非にと言ってくれたんです。
──billion名義のアルバムでありながらも、収録されているのは4-STiCKSや第二期boice時代の曲が多いんですよね。
柳沼:今回は信吾の形見分けのデモ音源からいろいろと探して形にしたかったんです。billionの曲もあるんだけど、それはまた別の機会に出せばいいかなと思ったし、やれる限りは何枚かアルバムを出そうという構想もあったので。信吾のデモはMDとかカセットなんだけど、録音状態も良かったんですよ。そこから厳選したのが今回のCDというわけです。
──南野さんの埋もれていた名曲に光を当てる側面もありますよね。
柳沼:僕はよく信吾にこう言ってたんです。「良い歌はいつまで経っても色あせない良い歌なんだから、ずっと唄い続けるべきだよ」って。それは僕の持論で、彼にライブを誘われた時の条件としても言ってたんですね。「あの曲をやるならベースを弾いてもいいよ」と。信吾はよく新曲をやりたがったんだけど、売れてる人は何千回もヒット曲を唄うわけじゃないですか。信吾にも4-STiCKS時代の「If」とか良い曲がいっぱいあるわけだから、昔の曲でも唄うべきだと話してたんですよ。
──「If」はこれまでの『Shingo Minamino “Pure” Night〜すべては彼のために〜』でも幾度となく披露されたポップな名曲ですよね。
柳沼:「If」の作曲は高田(佳秀)なんだけど、信吾の唄ってる姿がすごく格好良かったし、それをステージのちょっと後ろから見るのも好きだったんです。
信吾の歌声や楽曲を残しておきたかった
──柳沼さんが唄うテイクと南野さんのデモの2バージョンが収録されている「魂は眠らない」は、まさにこのアルバムを象徴するような曲ですね。
柳沼:今回のアルバムは「魂は眠らない」に尽きると思ってるんです。信吾の曲の中でも名曲の一つだと思うし、「魂」は彼の口癖だったので(笑)。実は信吾と一緒に演奏したことのない曲なんですけどね。ネイキッドロフトに出た時もなぜか信吾がアカペラで唄っていたので。
──「魂は眠らない」もメロディのポップさが際立つ曲で、一度聴くと口ずさみたくなる親しみやすいメロディが南野さんの作風なのを改めて感じますね。
柳沼:そう、すごくポップなんです。ただ、信吾はポップな作風と言われるのがイヤだったのかな? と思うこともあるんですよ。ロックの殿堂と言われる新宿ロフトのスタッフでもあった彼としては、ポップでキャッチーなイメージを持たれることに対してコンプレックスがあったのかもしれない。ロフトには無骨なロックのイメージがあったので。でも、彼が大好きだったBOØWYにもポップな曲はたくさんあるし、僕はいいと思うんですよ。彼が落ち込んだ時に書いたと思われるバラード曲でもポップさは抜けてなくて、せつなポップみたいな良さがあるんです。信吾がポピュラリティのある曲を作るセンスがあったのは、人知れず研究熱心だったのもあるんですよ。彼はビルボードのヒット曲を毎週チェックして、トップ20の曲を全部ダウンロードしてましたからね。それをまとめたCD-Rをよく僕にくれたんです。まぁ、それもBOØWY時代の布袋(寅泰)さんが(高橋)まことさんに最新の洋楽テープを頻繁に渡していたというエピソードと重なるんですけどね(笑)。
──今回は南野さんのデモが4曲、何の手も加えられていない状態で収録されていますが、膨大な数のデモを厳選するだけでも大変な作業ですよね。
柳沼:MDが2、30枚、カセットも2、30本ありましたからね。お気に入りの曲は自分でも演奏していたり、歌詞を変えて唄い直していたり、信吾のお気に入りなんだなと分かる曲もありました。20年以上前に作られた第一期BOICE時代の「I LOVE YOU」は何度も唄い直していて、信吾にとって大切な曲なんだと思ったし。
──それだけ大量のデモを残していたというのは、南野さんが「GEORIDE」のレーベルマスター兼プロデューサーという裏方の仕事をしていた時も歌への情熱を忘れていなかったことの何よりの証明ですね。
柳沼:そうだと思います。晩年の信吾は喉を壊していたので声も出てないし、キーも外れてるんだけど、それはそれで味わいがあるんですよ。そうやってずっとボーカリストとしてあり続けた信吾の声や曲を残しておきたかったのがこのアルバムを作った一番の理由ですね。
──このアルバムのリリース元である「BAD RIDE RECORDS」は、もともと南野さんが立ち上げたレーベルだそうですね。
柳沼:そうなんです。法人登録も何もしてないんだけど、「GIG STAR RECORDS」とかいっぱい個人レーベルを作ってたんですよ。ある時、信吾が音源を聴けるサイトを作って、そこでbillionとか昔の曲をアップしてたんです。そのサイトのアイコンが、裏ジャケットにも使ってる「BAD RIDE RECORDS」のロゴなんですよ。おそらく「BAD RIDE」の「RIDE」が「GEORIDE」に受け継がれたんだと思うんですけど。
──『Memories Of Last』というタイトルは、南野さんが柳沼さんに「この曲の詞を付けてください」とお願いしたという「Last Song 〜for SMILEYyagi〜」から名づけたところが大きいんですか。
柳沼:大きいですね。それと、信吾が敬愛していた某アーティストのアルバムに『Memories Of Blue』という作品もあるので(笑)。僕も大好きな作品だったので、ジャケットのフォントもそれに似せてみたんですけど(笑)。まぁ、その辺はちょっとしたギャグですよ。