不条理に向き合う
──有森さんが撮影中に読んでいたという本(ガルシア・マルケスの『エレンディラ』、『シェリー詩集』、シオランの『思想の黄昏』)が、この映画にとってとても重要だと思いました。
有森 3章と4章をどう表現していけばいいのかずっと悩んでいたんです。『犬婿入り』という物語をどう捉えたらいいのか。世界観を共通認識として言葉にできるものがあったらいいなと。撮影現場にいるとわからなくなっちゃうんです。特に3章は、人間のエゴや自然のエネルギーに飲み込まれちゃう感じがあって。マルケスの本もシオランもシェリーも、自然と対峙しながらもきちんと立っていられる人間が書かれている。そこに勇気づけられました。これらの本を読んで、私はこの映画の中で立っていられるんだってことを確認できたんです。
──確かに映画の後半は人間の存在そのものが問われますよね。3章では「小さな命を殺すことを覚えたら、もっと大きな命を殺すようになる」、4章では「人間がいる限り世の中はよくならない」というセリフが印象に残りました。
有森 そういうことです。エゴと欲の中でしか存在しない人間達が、自然とどうやって関わっていくか。それが彼らの本に書かれているんです。
──特に『エレンディラ』の、権力者、搾取される民衆、革命家という設定は、今回の映画に近いものがありますね。
有森 そうなんです。この本は前から自分の本棚に置いたままだったのを、映画の参考になるかなと思って読んでみたらぴったりで。私、そういう鼻は利くんです(笑)。今回、本当にこの3冊には助けられました。不安定な時は何か確かなものが欲しくなるんです。文字って確かじゃないですか。
──映画のパンフレットの中で有森さんは「不条理に向き合って生きるのが人間。どうしようもない埋まらない何かに立ち向かっていくのが、映画であったり、音楽や絵画、芸術だったりする」と言ってますね。
有森 いつもそう思ってます。だってそうじゃなければ、絵画も生まれないし、音楽も生まれないし、もちろん映画も生まれない。芸術ってそうやって続いてきた。例えば、クラシック音楽って生まれたての時はロックだったと思うんです。だから今でも残っているんじゃないかなって。
──この映画も社会の不条理に対して真正面から向き合っている映画と言えます。若松孝二監督や鈴木清順監督の映画がそうであったように。
有森 それには私達が作品をどんどん出していかないと引き継げない。こういう映画が好きっていう人を絶やさないような映画を作っていかなければと思います。