2014年5月、自身の名前をつけた冠的イベントを初開催し、2016年11月までに、ゲストを交えながらではあるが全12回ものイベントをこなした俳優の山内秀一。イベントの相方には『大好き! 五つ子Go!!』で共演していた柳澤貴彦氏が第一回目から欠かさずに務めていて、二人の織りなす空気感はライブでしか体感ができないものであり、毎回、来た甲斐があると感じさせてくれる。だからこそ、この回数をこなして来られたのだろう。2016年11月26日にロフトプラスワンで開催された山内氏の芸能生活20周年記念トークライブでは、共演していた五つ子が全員揃い、話題を呼んだ。
初めましてのご挨拶からすでに変わり者の匂いがプンプンしていた山内秀一氏に、これまでのことと、来年の大きな挑戦について聞いてみた。(interview・構成:鈴木恵[LOFT / PLUS ONE]/高橋啓[Naked Loft])
華々しいスタート
——生い立ちから聞いていきたいと思うのですが、俳優に興味を持ち始めるのはどのくらいからですか?
山内:小学校3年生くらいの時に、母親の友達が手がけているファッションショーで、たまたま子役キャストを募集していたんです。その時にプロデューサーの方が学校の授業参観に来ていて「この子、目が大きくてかわいいわ」とスカウトされて、そのファッションショーに出ました。そうしたら、またそこで以前所属していた事務所にスカウトをされて、偶然に偶然が重なってこの業界に入ったんです。当時はちょっとやってみよう…くらいの気軽な感じだったので、こんなに長く続ける気はなかったんですけどね。なぜかここまで続けてきちゃいました。
——じゃあ華々しくスカウトで業界入りされたんですね。
山内:そうなんですよ、スタートは良かったんですよ(笑)。
——最初のお仕事はなんだったんですか?
山内:『ギンガマン』という特撮で、一言二言セリフがある仕事でした。そのあとは『さくや妖怪伝』という映画だったんですけど、そのオーディションで準主演になっちゃって、そこから朝ドラの『ちゅらさん』など、仕事が増え始めて。その辺りからちょっと歯車が狂い始めまして、辞めどきを見失っちゃいましたね。
——楽しくはなかったですか?
山内:当時、お芝居が楽しいというよりは、オーディションで人に勝つというのが楽しくてずっとやっていたような気がします。
——その当時は今の事務所ですか?
山内:前の事務所です。いつまでも子役のイメージを引きずっちゃダメだと思っていて、今の事務所のサンミュージックに移籍したんです。そしたら移籍早々に決まった仕事が子役のイメージを引きずりそうな『大好き! 五つ子』で(笑)。 そこから兄弟役で共演したあいつらと、五年間を過ごしました。
——五年間演じて、何か変わりましたか?
山内:当時は当たり前だと思っていたんですけど、街を歩くと反応がすごくて、マジで歩けなくなるぐらいでした。嫌だとか嬉しいとかいう気持ちもなくて、こういうものなのかと思ってたんですけど、今になって思うとめっちゃ嬉しいことですね(笑)。
——周りの環境がかなり変わってきましたか?
山内:そうですね、その時期に初めて自分を応援してくれるファンっていう存在を自覚し始めた気がします。それまでは子供だったので目の前のことしか見えてなくて、ファンがいるということまでは考えられてなかったですね。
——学校は行ってたんですか?
山内:ちゃんと行ってました。僕、実は成績が良かったんですよ。ほとんどオール5とかでした。体育と音楽と美術は常に1か2でしたけど(笑)。
——成績優秀だったんですね。
山内:でも運動は本当に全然ダメで。それと僕、超音痴です。
続ける意思はなかった
——『大好き! 五つ子』の撮影時は皆さんとはどんな感じでしたか?
山内:楽屋がみんな同じで、スケジュールも過酷なので、会えばずっとセリフ合わせをしている感じなので、仲が良かったです。仲が悪くなりようがないという環境でしたね。撮影は週6回あって、それが3ヶ月間続いていたんですが、終わって家に帰ったら勉強して、という生活はかなり大変でした。
——なんでそこまで成績にこだわってたんですか?
山内:何かになりたいというのはなかったんですが、付属高校に通っていたので、そこの大学の法学部政治学科という響きがすごく引っかかってて、そこに行きたいなって思っていたんです。そこに行けないのであれば、大学には行かないという謎の目標を立てちゃったから、勉強はちゃんとしなきゃいけないと思ってました。
——実際の成績はどうでしたか?
山内:700人くらいいる学校で20人くらいしか行けないんですけど、なんとか入れました。
——すごいですね。大学にも合格して、でも俳優を続けようとなったきっかけは何だったんですか?
山内:辞めるという選択肢がなかったっていうのと、周りが就活を始める時期に僕はドラマの撮影があって、就活をできる状態ではなかったので、必然的にこのまま俳優をやるんだなという感じでした。続ける意思は特になかったです。たぶん今もないです。だからこそ、ここまで続いてるのかなとも思っています。でもさすがに芸能生活を20年もやってきて、何が楽しいことなのかが分からなくなってしまっているので、楽しいことがやりたくて2月に自分が作・主演という舞台をやることに決めたんです。
——イベントの相方である、柳澤さんと決めたんですよね。
山内:そうです、磯丸水産で決めました。飲んでる場のノリもありましたけど(笑)。
——柳澤さんとずっとイベントを続けていただいていて、毎回2人の絆を感じています。
山内:本当ですか? 裏では殴り合ったりしてますよ(笑)。彼とずっといられるのは、切磋琢磨する関係性じゃないのが大きいと思います。強いモチベーションじゃないからここまで俳優をやってきたっていうのと一緒で、お互い切磋琢磨せず甘やかし合うみたいな関係です。でも、それが何も生み出さないのかっていったら、いろいろ生み出せてきていると思ってるので、これはこれで僕らはいい関係性なのかなとは思ってます。
——舞台のお話はどう進めた感じだったんですか?
山内:実は、柳澤から舞台をやってみたらどうかと言われたのがきっかけだったんです。話をしてすぐ、そばにあった空いてるスペースで30分くらい立ち稽古みたいに合わせました。そこでなんとなく概要が見えてきて、会場をすぐ調べたりして、3日くらいで決まりました。
——その行動力がすごいですよね。会場も押さえて、脚本・演出も山内さんですし。
山内:本音を言うと、言葉のマジックだったりするんです。役者って、演出家が言うことにベストを尽くす「パーツ」みたいな仕事なので、僕が演出家という肩書きを付けた瞬間に、全役者が自分の言うことを聞くな、と思ったんです。この言葉のトリックを活かそうと思って演出家っていう肩書きを付けました。
——脚本のイメージにはもうありますか?
山内:人と人って信じ合うけど結局、最後は自分だけで。本当に信じ合うのって無理があると思っているんです。内容は変わるかもしれないんですけど、ある山小屋に2人の人がいて、それぞれは違う目的、違う理由でここに来るんだけど、ここから出るという目的だけは一緒で、出る時には同じ扉を開けるけど、全くもって違う動機で扉を開ける…みたいな絵はちらっと浮かんでるんでいます。
——公演時間が60分ということや、こういったことをやりたいイメージはありますか?
山内:時間に関しては自分のできる範囲で、というのと120分やったからといって満足できるかどうかは別かと思って。自分がお芝居をあまり好きじゃないから、持っている疑問を1回やってみようという思いで『実験』っていうタイトルをつけました。なのでいろいろと実験をしたくて。お客さんの公演中の飲食不可を禁止にしようと思ってます。それと、僕は本番中にビールを飲みたいんです。お金を払っているお客さんの目の前にいるのに飲むビールって絶対うまいだろうな、と思うんで。そこはもうマストなんです。
——今後の展望はありますか?
山内:自分のために芝居を作るので、自分が面白いというものを純度100%で出したいなと思っています。
——早々と舞台の反省会トークも決めてしまったので、どちらも楽しみにしています。
山内:反省するってことは先に決まってるので、どんな失敗をしても大丈夫ですね(笑)。舞台が終わった2月末には、柳澤とハワイに行くことも決まっているので、ハワイ報告会も織り交ぜようかと思います。