逆境を撥ね除けた分だけ物語の激しさが増していった
──その思いを託す設定としてホームレスの若者が選ばれたわけですね。
石井: 劇映画をやるならば若いホームレスの話にしようと思って、いろいろと調べたんですよ。彼らが非常に厳しい世界の中でどうやって生き延びているのかを。その一方で、そんな世界とは無縁で幸せな日常を送る人たちが厳然として存在する。その両者のことを考えつつ、ホームレスの男女の話をシナリオライターも交えて作り上げていったんです。その過程では予算面での問題や製作委員会の要望とかいろいろとバトルがあったんですけど(笑)、“ナニクソ!”という思いはずっとありましたね。支えとなったのはメインスタッフや俳優さんたちが撮影を待っていてくれたことなんです。染谷君も渋川君も村上君も『待ちますよ』と言ってくれて、それは凄く心強かったですね。ブッチャーズの音楽が軸としてあって、俳優さんたちも待っていてくれる。神戸には大学の教え子たちという仲間もいる。だからどういう状態であっても撮影に入れる態勢が出来上がっていたし、現実との闘いはありつつも、こうなったらもうやるしかないだろうと思っていました。他にもここでは語れないアクシデントがあったんですけど、その分、より激しい作品になりましたね。現実とシンクロするように、逆境を撥ね除けた分だけ物語の激しさが増していったと言うか。
──映画の冒頭はブッチャーズの楽曲が爆音で鳴り響く中で染谷さんと渋川さんが全力疾走するシーンで、いきなり息を呑む展開ですね。監督の代表作のひとつである『シャッフル』(1981年)を彷彿とさせる部分もあって。
石井: 冒頭はできるだけ全力疾走で行きたかったんですよ。過去の自分の作品に対するオマージュみたいなものはなくて、全力で走るシーンがある以上は『シャッフル』を超えなくちゃいけないと思いました。私が高校の頃に見ていた『仁義なき戦い』でも中島貞夫さんのチンピラ映画でも、テレビの『傷だらけの天使』でも、俳優さんが当たり前のように全力疾走していたんです。ホントは頭の画が映ったところから全力疾走の場面にしたかったんだけど、今回はライブが始まる前のチューニングみたいな意味で冒頭に黒バックのセリフだけのシーンを入れたんです。あの抑え方がいい意味で緊張感と胸騒ぎを与えるし、後の全力疾走の場面がより効くと思うんです。それが始まったら2曲ぶっ通しで聴かせるという。
──公開直後なのであまり多くを語れませんが、まさかの結末もあり、全体の構成自体がまさにパラレルな世界ですよね。
石井: そうですね。シナリオライターともいろいろと意見交換をしたんですが、最後の結末がどうしても面白くならなくて煮詰まっていたんです。結局、私が絶対にこうしたいという意見を通させてもらって、ああいう結末を迎えるんですけどね。実を言うと、あの構成は『シャッフル II』でやろうと考えていたものなんです。後半だけの話なんですけど。
──その当時から色を落としたシーンを部分的に取り入れるアイディアがあったんですか。
石井: はい、ありました。デジタル技術が発達したことで、今までできなかった新しい撮り方ができるようになったんですよ。お金をかければできることはたくさんあるんですけど、そういうことではなく、低予算でも大作に匹敵するくらいの撮影ができることを今回はいろいろとやれました。中でも音の面が一番大きくて、あの迫力ある音はデジタル音響だからこそ実現できたものですね。
──前2作の経験と集積の成果があって、ようやく現在進行形のデジタル映画の撮り方、見せ方の最前線が見えてきたと監督は仰っていましたよね。
石井: 前の2作でもいろいろと追求したいことはあったんですよ。たとえばそれまでにBlu-ray上映をした時、真ん中の音が抜けてしまうことが多かったんです。それで『シャニダールの花』の時に3ch音響を試したら上手くいった。そういう小さな試行錯誤の積み重ねを経たからこそ、今回はロック映画の名に恥じない音作りができたんです。マーティン・スコセッシが撮ったローリング・ストーンズの『Shine a Light』は、劇場でいい音を出していたんですよ。あれがデータの音ならば、自分たちにもできるんじゃないかという計算もありましたね。
──キャストの真に迫る演技とブッチャーズのヒリヒリする爆音も相まって、画はデジタル特有のつるっとした質感が少ないような気がします。
石井: それもデジタルの進化だと思うんですよね。どれだけ画を豊かに魅せられるか、どれだけ音を豊かに聴かせられるか、どれだけ基本のアナログ感やノイズ感も大切にしつつ最新形かが肝なんです。それもちょっとした配分の差なんですよ。音の最終ミックスをやったスタジオでは古いアナログ卓を使わせてもらえたんですけど、それを通して鳴らすとやっぱり凄く音がいいし、ふくらみが出ているんです。どうすれば豊かな音を映画館中に響き渡らせることができるかということにかけて、今回の音のスタッフは日本でもトップクラスだと思いますよ。すべてのパートにおいて、そういう私が絶大な信頼を置いているスタッフが『こんなことをやっていいのか!?』と面白がって作業したのが吉と出たんじゃないですかね。
映画が完成したことで吉村君には永遠に生きて欲しい
──ブッチャーズの音楽の特性を引き出す難しさもあったんじゃないかと思うのですが。
石井: 凄く難しかったですよ。やっぱりブッチャーズの歌も歌詞も独特だし、ちゃんとした世界観があるから、それを画に被せるとセリフとぶつかりますからね。2時間近いドラマの中でシーンごとに音楽が果たさなければならない役割があるし、音をどう聴かせるかが悩みどころでした。なるべくブッチャーズの歌を聴かせたいんだけれども、画やセリフと合わなくて流せないことが多々あったんです。たとえばアクション・シーンでは『イッポ』を絶対に流したいと思っていたので、実際の現場でも個人的に『イッポ』を聴きながら撮影したんです。そういう肝心な場面で『イッポ』をかけるには前後の差し引きや全体のバランスを考えなくちゃいけないんですよ。
──『ソレダケ / that's it』というタイトルにも関わらず、「ソレダケ」が劇中で一切使われていないのが「分かってたまるか!」な吉村さんイズムに溢れていていいなと思ったんですよね。
石井: ホントは『ソレダケ』も使いたかったんです。あと、『youth パラレルなユニゾン』も最後に使いたかったんですけど、それも『ソレダケ』と同じく使いどころが見つからなかったんですよね。やっぱり曲が強すぎて、全部がそこに集約されてしまうんです。そうなると、せっかくそこまで映像や使用曲で語ってきたことや訴えてきたことが相殺されてしまう。でもそれだけ強い曲だからこそ、『襟がゆれてる。』や『イッポ』、『10月 / october』や『アンニュイ』が劇中で重要な意味を持って響いていると思うんです。本当はどの曲も映画用にミックスさせてもらうのが一番だったんだけど、リーダーである吉村君が亡くなっている以上、原曲をいじるのはどうなんだろうという話になって。
──本来なら楽曲を映画用にミックスさせてもらうのが手法としてはラクだし、そうすればもっとブッチャーズの曲を流せたのかもしれないけど、それはかなわなかった。そんな制約の中で試行錯誤の末に完成に漕ぎ着けたわけですから、真の意味で誠心誠意のコラボレーションと言えますよね 。
石井: ファンにはそれぞれの特別な想いがあるでしょうが、私は私なりに真っ正面からブッチャーズの音楽と向き合って自分の表現を拮抗させた自負はあります。『ソレダケ』という曲は使っていないけど、なぜ『ソレダケ / that's it』というタイトルを付けたのかと言えば、『ソレダケ』の歌の世界観やメロディが私の中で奥深くまで染み込んでいて、「正しくも間違えもない、ただそれだけで」という歌詞が凄く好きだからなんですよ。正しくも間違えもない世界。だからこそホームレスの若者を主人公にした物語を構築したかった。尚かつ、私がブッチャーズのライブに足繁く通っていた頃…吉村君が亡くなる前の1年くらい、ライブのセットリストに『ソレダケ』がよく入っていたんですよね。最初は曲名を知らなかったんだけど、凄くいい曲だなと思って特に印象に残っていたんですよ。当初の映画の企画段階では『ソレダケ』はセットリストに入っていなかったし、『youth(青春)』の全曲と『NO ALBUM 無題』から『ocean』や『curve』など数曲を+αでライブ演奏する予定だったんです。確か、最後の最後に入れたんだと思う。でも、結果的には『ソレダケ』を劇中に使わなくても良かったと思いますね。『ソレダケ』という曲を知らない人は、この映画を見てから聴いてもらえたらいいですし。
──吉村さんがこの『ソレダケ / that's it』を見たら、どんな感想を抱くと思いますか。
石井: 分かりませんね。もしかしたら、吉村君が生きていたら有り得なかった映画なのかもしれないし。『なんでここにいないんだよ!?』という思いが今も強くありますけどね。でも、こうして映画が完成したことによって、吉村君には永遠に生きて欲しい。『サンダーロード』や『爆裂都市』を撮った頃、映画は一期一会のものだと思っていたんですよ。当時はまだビデオも普及していなかったし、一度封切られればそれでオシマイ、消えてなくなるものだと思っていた。映画は劇場こそがライブと言うか。ところが不思議なことに、現在の映画というのは後世まで残る創作物になったので、吉村君にはこの映画と共に世界中へ羽ばたいてブッチャーズの音楽を存分にぶちかまして欲しいです。ただ“ソレダケ”ですね。
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