去年、奇跡の復活を果たした日本最大級のサイコビリー・イベント『TOKYO BIG RUMBLE』。今年も去年と同じく5月3日(日)に新宿LOFTで開催決定。その中心人物であり、近年では柳家睦&THE RAT BONESとしてライブハウス以外でも大活躍中の柳家睦に今回の『TOKYO BIG RUMBLE』の見所と近況を聞いた。[interview:大塚智昭(新宿LOFT店長)]
日本のバンドだけで集まるのは賭けだった
──まず『BIG RUMBLE』の歴史を知りたいんですが、何年から始めたんですか。
睦:確か95年…いや、94年かな。その年末に横浜のCLUB24でやったのが最初で、次の年にオンエアの大きいほうでやった。当時のサイコビリーは外タレしか人が集まらなかったから、日本人のバンドだけで400か500人ぐらい集まったのがびっくりした。賭けだったけどね。
──誰が出ていたんですか。
睦:15バンドぐらい出て、GREAT INVADERS、RED HOT ROCKIN' HOOD、デスマーチ艦隊も出たかな。とにかくその時のサイコビリー・バンドは全部出たと思う。
──イベントを続けて、流れが変わった印象的な回はありますか。
睦:一番最初に変わったのは、2000年のオンエアのイースト・ウエスト。あの日で1,600か1,700人集まったのかな。その時にボヤ騒ぎが起きて、始末書を書くことになった。消防車はやって来るわ、警察はやって来るわ。ちょっと火傷しちゃった人がいたんだよね。しかも当時はギャル全盛期で、隣りのほうのクラブも凄かった。ギャルも朝200人ぐらい外にブワァーって出てて、こっちもサイコビリー200人ぐらいで、もうカオスだったね。サイレンも鳴ってて、これスゲェなって。
──事件ですね。当時、オンエアを両方使うイベントってあまりなかったですよね。
睦:なかった。その後に一度、初の外タレでTIGER ARMYを呼んで、2001年のオンエアでソールド・アウトを目指そうってことでソールド・アウトになって。あの時初めて1,000人超して、サイコビリーもピークだったのかな。俺らもファースト・アルバムを出して、そのツアー・ファイナルみたいな感じで。
──『BIG RUMBLE』をやめようと思ったのは?
睦:結局、お客さんが少なくなって。みんな大きいとこでやりたいってのもあったからやってたんだけど、その声だけでやっていくのもね。だから一度やめて。
──それはBATTLE OF NINJAMANZの活動とは関係なかったんですか。
睦:あると思う。俺のほうもやめて、もう全部が疲れちゃったかなっていう。
──それから6年、7年ぐらいですかね。去年復活したのはどういう経緯で?
睦:『BIG RUMBLE』が復活するとは最初考えてなかった。海外からTHE BLUE CATSを呼んでイベントを行なうにあたって、20年ぶりぐらいに来るし、サイコビリーもちょっと下火だし、ましてやネオロカビリーだから賭けだったんだよね。だったら『BIG RUMBLE』でやったほうが、お客さんも何をやるのかっていうのを多少分かってもらえるんじゃないかなって。やるんならBATTLE OF NINJAMANZも1回やろうかってなった。初めはやろうと思ってなかったけどね。でもTHE BLUE CATSで人が集まんなかったら赤字だから、だったらもう俺が犠牲になるわと。とりあえず寝かしたぶん、ここでやったほうが人入りそうじゃん、って。そしたらその目論見が当たった。
──実際にやってみて、感触はどうでした?
睦:まぁ、年に1回ぐらいはああいうサイコビリーとかロカビリーを中心にしたイベントをやるのはいいかなと思って。それが明確に出たと言うか。他でもそういうイベントはやってるんだけど、スペシャル版みたいなのがあったほうが、普段の2ヶ月に1回やってるイベントに来るお客さんもメリハリがついていいんじゃないかと。
今年の『BIG RUMBLE』出演者について
──今年の出演者ですが、去年出たアーティストは出さないようにしようってところで集めたラインナップとのことで、バンドごとにどういう意味合いがあるのかなと。
睦:RED HOT ROCKIN' HOODは結構前から言ってて、ようやくタイミングが合った。
──不定期でも活動してますもんね。
睦:その活動がちょっと不定期すぎるって言うか、あんまり宣伝・告知をしないでやってるから、見たいって人は多いんだと思う。
──SPY-X☆ZJ。
睦:これはね、SPY-X。90年代初めにSPY-Xっていうバンドがいて、俺らの中じゃ結構ヒーローみたいなとこがあって。ボーカルのヒズメって、年末のCRACKSの時にゾンビメイクで2曲唄ったの。アル中で酷かったんだけど、酒をちょっとやめて真っ当な人間になってきたし、もともとはテンションの高いヤツだから、ちゃんとしたステージを用意すればいけんじゃねぇかなって。HELLBENTは腐れ縁でさ。遊び仲間だったからね、バンドを組む前から。っていうのもあったし、ボーカルとかベースは同い年だったからね。昔っぽいサイコビリーをやればいいのになんて思うんだけど、あんまり時間に余裕がないらしく、それはムリって。
──SIDE ONEはサイコビリーではないですよね。
睦:なんだけど、『BILLYS WEEKENDER』を93年に始めたのかな、その第1回目が確かSIDE ONEだったの。その前に俺が横浜でイベントやってて、その流れでも出てもらったりしてて。彼らが上京してきてまだ1年も経ってないぐらいの時。
──OLEDICKFOGGYは2年連続ですね。
睦:まぁこれはしょうがないよ。今やOLEDICKFOGGYがいなかったら客が300人は変わってくるから。でも今回はまるっきり関係ないと思ってる。サイコビリー好きな人間だったら、仕事を休んででも来るだろうっていう面子を用意してるから。
──なぜ2年連続だったんですか?
睦:欠かせないからね。見習って欲しいなっていうところもあるし。
──他のバンドたちに。
睦:おっさんたちにも。今必要なんじゃないかな。言ってもほら、ラスティックだ何だって言ったって、もともとはしょぼいバンド出身で、しょぼいのから脱皮すればいけると。
──DTKINZが最後に加わったんでしたっけ?
睦:誰にしようかなーって迷ってた時、ちょうどKEE(渋川清彦)に会って。おめぇか! って。あとね、今日決まったのがCRACKSの名前変えてオリジナル・クラックス・トリオ。ファースト・アルバムからあの速さで。ゾンビとかじゃない初期。
──そしてTHE Qo'noS。
睦:これは清水の中堅バンドで、SNAKESと一緒にアルバム出したりしてて。THE Qo'noSは、よその地域とかでもこの2年ぐらい見てきて、ちゃんと地方でレベルが上がっていった。今、地方でレベルを上げていくって大変じゃない? それが凄いの。清水ってガラ悪いからね。凄いんだよ、清水行ってレッキンしてるのが50人ぐらいいるんだよ。ホントに凄い!
──それを作ってきたんですね。OLEDICKGFOGGYもそっちのほうでしたね。
睦:港町でガラ悪くて。でもそれ抜きで、凄く嬉しいんだよね。テンションをちゃんと保って更に上げてってるバンドはそういない。都内だって予定調和で横並びになってるのに。あとはROBINも誘ってるんだけど、今年はダメで、また来年誘おうと思ってる。だからROBINの曲でも練習しようかな。せっかくいるんだからさぁ! みたいな。
──BATTLE OF NINJAMANZは今年、他に2本ぐらいやるんですよね。
睦:そう。6月はシェルター。7月がスペインとロフトでやって。それで今年は終わりかなと。
ライブに来てもらうのではなく、その人の1日をプロデュースしたい
──睦さんは今後の活動で、目標とかあるんですか?
睦:あるようでないのかな。スナックとかで2部制で、50人ずつ集めてディナーショーやるとか。ホントはキャバレーとかでやりたいんだけど、ホステスの金までかかっちゃうから高くつくんで。ちょっとした大きめのスナックとかでライブ終わった後、そこで打ち上げカラオケ大会とか。
──それはライフワークとして生涯やっていきたいってことですか?
睦:たとえばライブハウスでコール&レスポンスする時に、盛り上がりたいヤツはいるだろうけど、そんなに盛り上がりたくないヤツもいるわけよ。ライブハウスに行かないで家で聴くヤツもいるしね。今までの基準はライブハウスを中心で考えてたんだけど、一度それを取っ払って、普通のエンドユーザーとか、静かに見たいとか、できれば座って見たいんだとか、そういう人にも間口を広げて来てもらえるようなことをしたい。俺らはそんなにラウドじゃなくても大丈夫だし、そういうのはスナックでもできるかなっていう。
──座ってただ呑んでる人に向けても唄いたいし、それが一般大衆ではないのか?ってことに至ったと言うか。
睦:そうそう。究極はハコに来てもらうんじゃなくて、俺たちがその町のスナックに出向くこと。たとえば錦糸町で昭和30年代からやってる凄いデカ箱のスナックでやってみたり。「錦糸町にはこういうお店があります。昼間はこの公演で、15時からライブ、17時には終わります。晩飯は錦糸町の名店なんとかで…」って、そこまでセットにして、「良い週末を、良い日曜日を」っていうのも理想かなって最近思ってて。ライブに来てもらうんじゃなくて、なんだったらその人の1日もプロデュースしちゃおうかと。
──なるほど。では最後に、『BIG RUMBLE』を見に来る人にメッセージはありますか。
睦:メッセージはねぇな。でも昼間からだから、家族連れで来ても健全だよ、今は。