なければ作る! 漫画家への道のり
──まず、お2人の漫画との歴史について聞かせて下さい。
石川:俺の子供の頃はひと月の小遣いが100円とかで、漫画が買われへんかった。だから散髪屋で、少女誌の一番後ろに載ってる楳図かずおの漫画を読んだのが初めての漫画体験やね。それから、初めて買ってもらった漫画が『ゲゲゲの鬼太郎』。当時は単行本1冊200円くらいで、同じやつを何回も読んだね。
──ボロボロになるまで読んだんですね。
石川:ボロボロにはなれへんのよ。大事に大事に読むから(笑)。お小遣いが上がった時は、『冒険王』っていう『ミラーマン』や『スペクトルマン』が載ってた雑誌を買ってた。それも、山の上から歩いて駅前へ買いに行って、ひと月かけて読んでた。
──その当時、まだ漫画を描く事はしてないんですか?
石川:俺らはお金がないから漫画が読めなくて、だから描くねん。保育園の時、地べたに『鉄人28号』を書いてた記憶があんのよ。気づいたら勝手に描いてたから、もって生まれたもんやと思う。みんなにうまいな〜って言われて気分良くなってた。
──石川先生は雑誌を自身で作られてますよね。あれ何がすごいって漫画の精度もさることながら、製本技術がすごいですよね(笑)。
石川:そうそう。全部1点物で、平閉じの辞書みたいなやつ。他にも『週刊祝日』っていうのがあって、大学ノートに6本くらい連載を描いてた。雑誌も買われへんから、自分で作っててん。
──それはクラスメイトに見せたりしなかったんですか?
石川:それはない。自分が読みたいだけ。自分が好きな漫画を、好きなだけ読みたいだけ。授業中の落書きとかも、昨日見た『仮面ライダー』のかっこいい爆破シーンを書いてた。自分がもう一回見たいから。
川口:やっぱり特撮の影響は強いですよね。『ウルトラマン』とか。
石川:でも、特撮ものを描こうとは思わんかった。大好きやけど、なんか子供じみてて(笑)。テレビアニメとか大人がよってたかって作ってるのに、脇の下から紐が見えてたりして。ちゃんと修正しろやって思ってましたね。
──素直に受け取れなかったんですね(笑)。川口先生の子供の頃は?
川口:僕はムッケンさんと同じ40歳なんですけど、小学生の時にジャンプがすごく流行ってたんです。ギャグ漫画で言うと、『アラレちゃん』や『ついでにとんちんかん』、『ハイスクール奇面組』とか。これより前の世代はロボットアニメが多かったイメージですね。
──そうですそうです。『鋼鉄ジーグ』とかね。
川口:はい。僕もお金持ちの家庭ではなかったんで、超合金とかをなかなか買ってもらえなかったんですよ。
──当時、お金持ちじゃない家庭では超合金をおねだりできないんですよね。代わりに『ミクロマン』を買ってもらったりしてましたよね。
川口:ああいう合体物を買ってもらうとしても、足だけでしたね(笑)。1体まるまる買うと高いから、合体物は5体ぐらいにわけてバラ売りしてたんですよ。それで足だけを買ってもらうんです。
──足は足だけでロボットになるんですよね?
川口:いや、ならないです。今思うと足は足であるだけで、遊びようがないんです。また一年後の誕生日に他のパーツを買ってもらうにしても、そんなに待ってられないし。そもそもアニメが終わっちゃってるし。それで仕方ないから、足から上の他の部分を粘土で作ってました。
──え! それすごいですね(笑)。石川先生も漫画を自分で作ったりしてはるけど、僕らにはその発想がないですね。
川口:でも、そこで想像力が養われたんやと思います。
石川:それはわかる。こういうのはもって生まれたものなんよ。ないものは作っちゃうんよね。
川口:他の部分がなかったら作るしかないんです。でも、小学生の能力では顔のパーツは絶対に作れないんですよ。そうなると、手段としてはお金持ちの家なんです。彼らは顔を持ってるんで、型を取らしてくれって頼みに行くんです。
──そこで型を取りに行くという発想も、僕らにはないです(笑)。
川口:でもいくら素人がそんな試みをしても、超えられない壁があって。結局最後はうまく作れなくて、ショックを受けてました。
──そもそも、お金持ちの子には嫌がられないんですか?
川口:そこは言葉巧みに、「10秒だけな」とか言いながら(笑)。それで、その子の誕生日にお返しをするんですけど、古本屋で買った『ドカベン』の31巻とかをあげてました。裕福ではなかったけど、今思うとそういう環境で良かったんやと思います。
石川:そうやね。めっちゃ飢えてたもん。当時は大人になったらこれやったる。とか、これ食べたるぞ、とかだらけやったから。
──大人になったら漫画家になるんだと考えていたんですか?
石川:いや、そもそも漫画家なんてなれるとは思ってなかったね。漫画家なんて夢のまた夢で。東京の良い大学を出た人がなるものやと思ってた。俺は四条畷の田舎出身で、学校でも自分より絵がうまい人はたくさんいた。そんな環境で漫画家になれるとは思わんかった。新聞広告の裏に漫画を描いたりはしてたけど、なれるなんて思ったことがなかった。
──でも実際、現在も漫画家として30年やってこられたわけですよね。漫画家としてこれはいけるぞと感じた瞬間はありましたか?
石川:もともとデザイン系の仕事に就きたいと思ってたんよ。だから大学を辞めて、デザインの専門学校に行った。でも、本格的な企業のポスターのデザインなんかはできなかった。就職した会社は、大阪の工場と中小企業のポスターつくってるところで。しかも俺は配達やって、半年で辞めてん。でも、給料があったからそれを親に渡して、3か月だけ家にいさせて欲しいと頼んだんよ。3か月あったら漫画を描けると思って、本格的に初めて漫画を描いた。それこそ漫画家入門書を買って、道具を揃えるところからやったね。それで2週間かけて描いた漫画が、ヤングジャンプのギャグ漫画部門で佳作をとったんよ。
──処女作が賞をとったということですか?
石川:そう。でもプロになる人なんて、だいたいそんなもんやと思う。賞をとったから漫画家になれるかもしれんって親に言って、もう3年間だけ時間くれって言うてん。
──その時、ご両親の反応はどんな感じなんですか?
石川:もう最悪。なにをしょうもないことしてんねんって(笑)。
──怒られはしなかったんですか?
石川:それはなかったね。大学辞めて、デザイン学校に行ったと思ったら就職した会社も辞めたから、呆れられたんやろね。でも最初の作品が賞をもらえたわけやから、漫画家としての素質はあるかもって思った。実際、次の作品も賞をとったし。その後くらいに、ヤングジャンプが青年漫画大賞っていう大きな賞を作ったんよ。それに30ページのストーリー漫画を出して、それも準入選をもらった。その時に、漫画家でいけるって思ったね。そこで賞金とアルバイト代で100万円貯まったから、やっと家を出た。
──川口さんは漫画家でいけるぞと思った瞬間ってありますか?
川口:僕は今でも思ってないですね(笑)。
──では、漫画家になろうと思った瞬間は?
川口:僕は流れついての今があるという感じですね。僕が大学生の頃、吉田戦車さんのようなへたうまな四コマが流行ってたんです。その時にギャグ漫画を描いて、少年誌に片っ端から送ってました。そしたら、マガジンが選外佳作に選んでくれたんです。でもこれが大学1回生の時で、連載が始まってもなんだか信用はできなかったです。だから漫画を描きつつ、バイトして大学行ってという生活でしたね。
──学生の時にデビューされたんですか?
川口:そうです。でも僕は、漫画が週刊で5ページやったから、大学との両立はできました。それでそのまま気づいたら、7年半連載が続いた感じですね。
──そうなると、就活はしないですよね?
川口:はい。もう大学4回生の時には、単行本1巻が出てたんで。
石川:お金の面で大学生にとっては、かなりの額が入ったでしょ?
川口:そうですね。でも漠然とした不安があったから、貯金してましたね。
石川:漫画家でお金を稼ぐようになったら、これはいつまでも続かないって思うんよね。
川口:まさにそうです。普通に飲食店でアルバイトもしてました(笑)当時のマガジンはギャグ漫画が他に3作くらいあって、いつ落とされるかわからないって思ってましたから。
石川:ギャグ漫画って雑誌のアンケートでもあまり人気がないんよね。だから、連載が続くかどうかは編集者の好みとか、関係性が大事やったりする。
──実力はもちろん、漫画家さんはいろんな要素が必要なんですね。
川口:僕は絵が上手くないんで、僕が連載した時に4コマがたくさん編集部に送られてきたらしいです。でも漫画家って読み切りがめっちゃ面白いのに、続きが描けない人が多いんです。量産能力がないとプロにはなれないんですよ。
石川:そうやね。ひねり出せるやつがプロになる。いろんな賞があるけど、大賞でなく準入選の人がいまだに活躍してたりするし。