Rooftop ルーフトップ

INTERVIEW

トップインタビュー劇場版 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。(Rooftop2013年9月号)

ファンの皆様が突き動かしてくれたんです

2013.09.01

 2011年4月、フジテレビ「ノイタミナ」枠にて放送され、またたく間に話題を攫い、アニメファンのみならず幅広い層の涙腺を崩壊させた『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(略称『あの花』)。あれから2年の時を経て、めんまがスクリーンに帰ってきた! 公開直前、アニメーションプロデューサーの岩田幹宏氏(A-1 Pictures)、プロデューサーの斎藤俊輔氏(アニプレックス)にインタビューを行なった。(interview:柏木聡/Asagaya/Loft A)

『あの花』の誕生

—— まず最初に、一般の視聴者にはなかなか馴染みがないと思うプロデューサーというお仕事について教えて頂けますか?

岩田 アニメーションのプロデューサーは、骨格を決める役割なんです。いつも喩えるんですけど、プロデューサーが設計者であり、制作やデスクが実際にものを動かす現場監督。作品の監督、キャラデザイナー、脚本家、といった主要人物を考えながらキャスティングしていくのが主な仕事です。

斎藤 岩田プロデューサーはより映像制作に近い部分を、自分は映像にも関与しつつ、放送、パッケージ、宣伝、音楽、出資社の調整などプロジェクト全般を調整していく役目をおっています。

—— 道筋を決めるんですね。

岩田 そうですね。まあ一番面白いところではありますよね。この絵は誰に描かせよう、みたいな。普通の映画の監督が主役を決める、みたいなね。

—— お2人がプロデューサーというお仕事をされる中で一番大切にされていることは?

岩田 仲良くすること(笑)。制作のプロデューサーは円滑に物事を進めなくちゃいけないっていうのがあるんで、いろんなスケジュールと葛藤しながら、監督、キャラクターデザイナー、脚本家と話し合っていかなくちゃいけないんで、それをどう円滑に回していくかっていうのを心がけてはいますね。あと、スケジュールですね。どうしても遅れるんで。早まることはありえない。

斎藤 (笑)

岩田 まあ、こっちが徹夜して済むのであれば、ギリギリまで粘ってもらおうとは思ってますけどね。……と言いながらやっぱり、「期日までにあげてよ!」っていうのはありますね(笑)。いつもその葛藤で。

—— 『あの花』を長井龍雪監督にお願いしようと決めた理由は?

斎藤 『あの花』が放送されたのが2011年4月で、企画としては2010年の早い時期からあがっていたんです。『とらドラ!』という作品で長井さん、岡田(麿里)さん(脚本)、田中(将賀)さん(キャラクターデザイン)が一緒にやられていたんですけど、彼らがいつかまたもう一回やりたいね、ということでオリジナルの原案を考えていたんです。その時期に実は「アニプレックスとA-1 Picturesでアニメファンにずっと愛されるようなオリジナル作品を産み出せ」という会社命題がでていて、そこから『世紀末オカルト学院』とか『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』とか『閃光のナイトレイド』などが産まれたんですが、その流れの中で『黒執事』という作品で岡田さんとご一緒していたのをきっかけに「あの花」プロジェクトが立ちあがりました。

岩田 岡田さんにオリジナルやろうよって話をしたら、だったら今やってる3人の仲間で作りたいなっていう話が持ち上がり。岡田さんに2,3案書いてもらって、皆で見てるうちに『あの花』はいいなっていう、全員の一致でした。

—— その3名が集まって、しかもキャラクターが高校生となると、どうしても『とらドラ!』と被る部分が出てきちゃいますよね? そこを意識したことは?

斎藤 全くなかったですね。むしろ『とらドラ!』ファンに面白いって言ってもらえるものを作りたいということもプロデューサーとしては考えてました。意識して避けるっていうよりも、普通にやっていこうって感じですね。

岩田 確かに意識したことはなかったです。むしろ「あの『とらドラ!』の3人がオリジナルやるぞ!」って大々的に宣伝したくらいで(笑)。

—— 『とらドラ!』ファンの間でも話題になりました。

斎藤 僕も大ファンなんですよ。「ここ『とらドラ!』みたいですね」と言ってシナリオを喜んだくらいなんで。

—— オリジナル作品が難しいのはどんな点ですか?

岩田 まだ作品ができていない段階で誰かに説明するのが難しいですね。今回、田中さんが絵やキャラクターを盛り込んで、それを見ると一発で世界観が分かるような企画書を作ってくれたんで、それは良かったかなと。ただね、秩父に取材に行ったりしても全然知られていないものだから、「何なの?」みたいな反応で(笑)。

—— 最近のアニメ作品ってご当地的というか、結構地域の方と協力し合いながら作っていくイメージがあったんですが。

岩田 『あの花』はご当地アニメにしようという部分はあまりなかったんです。偶然、イメージに合う場所が秩父だったというだけで。

斎藤 たぶんオリジナルっていろいろな作り方があると思うんですけど、『あの花』の場合は長井さん、岡田さん、田中さんが作品を作るうえでのイメージ共有に必要だったのと、岡田さんがシナリオを進める上で空間イメージがある方が書きやすいという方なので、秩父に取材に行きました。

岩田 クリエイターのみんなのイメージというか。「岡田さんの頭の中では海がない」とか、そういうのあるじゃないですか。「近くて遠い」みたいな。それを総合していくと秩父に辿り着いたのかなと。

斎藤 秩父って、東京から1時間半くらいかかって、都会には本当は近いんだけどすごく遠いみたいな。そういう場所で育つと、都会に憧れていて、自分の街をそんなに好きじゃないような時代ってあるじゃないですか。そういうような閉鎖空間というか、青春のうっぷんみたいなものを秩父で描くことによって、キャラクターにベースとなるものを産み出せるというか。

 

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