未完成vs新世界が結成8年目にして初のフルアルバム『未完成の商業音楽』をリリースする。
僕と大好きな音楽と、そしてあの子に向けて歌い続けるボーカル、澤田健太郎にこれまでのバンドの軌跡とアルバムへの思いを語ってもらった。
(interview:轟木愛美/新宿LOFT PLUS ONE)
バンド結成のきっかけと東京進出まで
——このアルバムで初めて未完成vs新世界を知る方のために、バンドを始めたきっかけから教えて下さい。
始めは札幌で弾き語りをやってたんですが、ライブハウスに行ってバンドを見るうちにかっこいいな、僕もバンドをやってみたいなって思って。
——どんな音楽を弾いてたんですか?
中学生の頃好きだった女の子がゆずが好きだったんですよ、ゆずを歌えばその子と付き合えると思ってずっとゆずを歌ってました。
——その子とはどうなったんですか?
付き合えたんですよ。
——ゆずは偉大ですね(笑)。バンドを始めるにあたってベースの安田さんが最初に入ったんですよね。
安田とは高校が同じなんですけど、路上で歌ってるのを見て一緒にやりたいって言ってきたのでフォークデュオを始めて。その後入ったドラムの岡崎ももともと弾き語りをやっていて知り合いだったんですけど、僕がバンドをやりたいって言ったら「わたしドラムも叩けるよ」ってなって誘ったんです。
——その後ギタリストの加入もあって4人体制になったんですよね。東京に活動の拠点を移されたのはどうしてですか?
札幌にいた時に東京からツアーで来るバンドと対バンする機会があって、その中でガールハントというバンドに誘われて高円寺CLUB LINERでライブをしたんです。その時対バンのビイドロについて来てたPTA(レーベル)の渡邊さんが「君たちいいね、東京おいでよ」って。
アルバムの発売延期とと不運なケガ
——それが上京のがきっかけだったんですか。それから初音源のリリースまでは?
ライブをコツコツと続けてました。渡邊さんが年内に必ずメーカーを決めてCDを出すからって言ってくれて、アミューズソフトに決まったんです。
——そこからすぐに次のアルバムを出す予定だったんですよね?
次の曲を作って録音、ミックスが終わってマスタリングの前日に突然「明日のマスタリングなしで」って電話がかかってきて。その時はわかりましたって電話切ったんだけど3日後くらいに音楽事業撤退するんで、みたいなこと言われてそのまま。レコ発ツアーも組んでたんですけど、CDがないんでなんとなくツアーみたいな。
——アルバムのタイトルも決まってたんですか?
それが今回のタイトルなんですよ。
——4年越しになるわけですね。そこから2ndアルバム発売までの3年間はどういった活動をされていたんですか?
どこか一緒にやってくれるとこあるかなって感じでライブをやってました。
——その間メンバーの入れ替わりも?
サポートだったドラムもやめちゃって、麻雀仲間の1人がそういえばドラム叩けたなって電話して。それが大南です。1回も叩いてるのを見たことが無かったんですけどその情報だけで。ギターの海藤はずっと一緒にやりたくて会うたびに誘ってたんです。もともと札幌でやってたバンドを本腰入れてやってたんで東京では物理的に無理で。だから一緒にやるって言ってくれたときはうれしかったですね。
——そこでようやく現在の体制が整ったんですね。
今度はミニツアーで名古屋にライブに行ったら喉をおかしくして声が全然出なくなって。それでも無理矢理3曲だけやったんです。すごいひどかったんで帰ってきて「ひどかったけどこれから頑張ろうよ」って意味で安田ん家に集まって遊んだんです。それで、そろそろ帰ろうって階段から降りようとしたら足を滑らして。手すりに捕まろうとしたらそこに薬指が挟まって全体重がかかったまま背中から打って。すごく指が熱かったんでこれは折れたなって思って指を見たら、なかったんです。でも意外に冷静で、後ろにいるメンバーに「指が落ちたから気持ち悪いだろうけど指持って来て」って指示出して、救急車を呼んでもらって。その間に拾ってもらった指を冷やしてもらって。
——そこから入院ですか?
3回手術をしたんだけど結局治らなくて。1ヶ月半位入院しました。
——どんなことを考えてました?
音楽はもう絶対やらないって思ってました。もうどうでもいいやって。あとはベッドに括り付けられてたんでとにかく暇でした。
——メンバーのみなさんもお見舞いに来て?
会いたくなかったんで。もう来ないでって言ったんで会ってなかったですね。
——みなさんどうされてたんですか?
たまに練習してたみたいです。ライブも決まってたんで「俺抜きでやってればいいじゃん」ってメールしたら「わかった」って返信来て。お、やるんだ。これは頼もしい、俺もう辞めれるなって。でも退院して話を聞いたらやろうと思ったけどできなかった。というか物理的にベースを弾きながら歌うのは無理だったって言われて(笑)。
——安田さんも澤田さんのことが大好きですし、不安だったんでしょうね。そこからまた音楽をやろうと思えたのはどうしてですか?
退院してとにかくやることがなくて、ギターを触ってみたらすごい痛いし、無い指が反応して激痛が走って。しばらくギターを弾いてなかったから指の皮も普通に戻っちゃってて。やっぱり無理なのかなと思ったけど他にやることもないし、このまま弾けなくなるのも悔しいなって思って練習してたらまた弾けるようになって。
——音楽への強い気持ちがあったから?
やりたいことが結局音楽しかないんだなって。
——そういった苦難があって2枚目の『誰にも知られずに消えていった誰かの歌みたいに』アルバムの発売に至ったんですね。その後はどういった活動を?
そんなに変わらなかったんですけど、渡邊さんが忙しくなってあんまり僕らのこと構えなくなったのでもう一緒にやらなくていいよって言ったんです。