挫折感こそが見沢文学の魅力
──見沢さんは感情の起伏が激しかったので付き合いづらい所もあったのですが、生前の見沢さんと親交のあった人はほとんど見沢さんの事が大好きですよね。この映画に登場する人達も見沢知廉への強い思いが伝わってきました。
今までの僕の映画では評論家や学者を撮ったものが多かったけど、今回の映画は民族派や運動家の人が多いので、彼らが語る生の肉体的な言葉を引き出したかったんだよね。だから作る側が意味づけしちゃったらダメで、彼らの言葉に寄り添うような形で撮りたかった。
──評論家として出ているのは中島岳志さんぐらい?
本当はなるべく評論家は登場させたくなかったんですが、中島さんには映画を撮る1年前から出演者の誰よりも真っ先にお願いしていました。どう映画に入れるか迷った末、最後に登場してもらいました。結果的には大成功でしたね。それは中島さんの人柄によるところが大きいです。下手な評論家が解説しちゃったら右翼・民族派の生の言葉に敗けちゃうでしょう。中島さんはそれまで民族派の人達が語っている見沢像をより客観的な視点から話していて、映画全体が分かりやすくなったと思います。そしてそこに、中島さん自身の優しい眼差しが息づいているでしょう。
──中島さんが「見沢文学の魅力は、文学で成功しなかった挫折感と狂おしいまでの素直さ」と語っているのにすごく納得しました。
その通りだと思うね。見沢さんは若い時にドストエフスキーを読んで、自分も文学で人を救いたいと思っていた。そういう見沢さんの理想の文学が現実の政治に取り込まれていってしまったという逆説と、そこであがいていた痛々しい姿、そのギリギリな所が見沢文学の魅力になっている。だからこそ読み継がれていくだろうというのは、中島さんの見沢への最大のオマージュだと思う。僕は評論家だろうと右翼だろうと左翼だろうと、そういった部分にその人の人間性が出ると思うんだよね。映画ってその瞬間を見逃さないことなんだよ。生身の人間が語る言葉が織りなす色彩の彩。そこで中島岳志という人間も輝くだろうし、蜷川さんも、雨宮さんも輝く。統一戦線義勇軍の針谷さんの撮影をロフトプラスワンでやったのは、かつて見沢知廉が座っていた場所に、義勇軍の後継者である針谷大輔を置こうと思ったから。これも単純な発想なんですけど。
──雨宮さんと針谷さんが、今、右や左を越えた領域で表現活動をしているのは、見沢さんの影響が大きいですよね。
イデオロギーを越えたところにあるサムシングが何かということだと思う。それをやるのが表現だよね。イデオロギーでは決して見えないもので、それこそ一木一草の中の人々の無意識を共有することで見えてくるんだと思うな。それは今回の映画をやりながらすごく意識しました。
監督:大浦信行
1949年富山県生まれ。1976年より86年までニューヨークに滞在。昭和天皇を主題としたシリーズ「遠近を抱えて」14点が、日本の検閲とタブーに触れ、作品が富山県立近代美術館によって売却、図録470冊が焼却処分とされた。それを不服として裁判を起こすも、一審・二審を経て、2000年12月最高裁で棄却とされ全面敗訴。この天皇作品問題を通して、日本における「表現の自由」、天皇制とタブー、検閲について、社会・美術・言論界に問題を提起した。2009年、再び沖縄県立博物館・美術館において、「遠近を抱えて」14点の展示拒否・検閲が行われた。映像作品『遠近を抱えて』(1995年 87分)は、天皇作品問題を契機として、日本近代の蠢く闇を、皮膚感覚を通して有機的に描いたものである。次いで『日本心中 針生一郎・日本を丸ごと抱え込んでしまった男。』(2001年 90分)では、美術・文芸評論家針生一郎を主人公に据え、その言説を通して、戦後日本の歪みとねじれの構造を描ききった。2002年公開されたこの映画は、単館レイトショーとしては異例のヒットを記録し、全国各地のアートセンター・大学・美術館などで順次上映。その続編ともいうべき『9.11-8.15 日本心中』(2005年145分)では、重信メイというもうひとりの新たな主人公を得て、崩壊の予兆を孕んだ激動する現在の世界に真正面からぶつけ、あるべき未来の姿を指し示した。