11/13より、ユーロスペースで新作が上映される映画監督・脚本家の井土紀州と、11/9に阿佐ヶ谷ロフトAで行われるトークイベント「映画の役目は終わった、のか?!」を企画した吉川正文にインタビューを敢行。謎のベールに包まれた"映画一揆"とは? どうなる!? 日本の自主映画!
インタビュー:エノタニサヤカ(Asagaya/Loft A)
持たざるものが結集して立ち向かっていく
──まず最初に、「映画一揆」とは一体何なのか、その原点について教えて下さい。
井土:もともとは、僕が監督した新作映画3本、『犀の角』、『土竜の祭』、『泥の惑星』をユーロスペースのレイトショーで上映するという企画があったのですが、そこで旧作もまとめて上映しようという、いわゆる特集上映の形をとることになった。それで、宣伝活動を行うための組織名を決めようということになって、「映画一揆」という名前が出てきたんです。製作に関わったスタッフやキャストを中心としたメンバーに、ボランティアスタッフを募集して、宣伝活動を行っているうちに人数がどんどん増えて盛り上がって来て、今は草野球チームを結成している連中もいます(笑)。完全に僕らの想像を越えた広がりを見せてる。
やはり、「一揆」というコンセプトが面白かったんじゃないでしょうか。最初から、何か方針があったわけではなくて、言葉が活動の内実を生み出していった。やはり、言葉は大切だと思います。例えば、「一揆」ではなくて「祭」という名前にしていたら、これだけの人が集まったかどうかは疑問です。映画に対して、「祭」という言葉は使われすぎていますから。一方「一揆」は、日本人なら誰でも知っているのに、日常会話の中では使われなくなった言葉です。中世以来、祭と同様に民衆のエネルギーの現れだったにも関わらず、です。何故かと言うと、江戸時代に、一揆を恐れた幕府や諸大名は、その行為だけでなく、「一揆」という言葉すら禁止するんですね。明治時代になると、一揆としか言いようのない現象に対して、「◯◯事件」「◯◯騒動」と言い替えていく。だから「一揆」っていう言葉と一緒に、奪われたエネルギーを取り戻そう、「一揆」という言葉をもっと流通させようという思いはあります。
吉川:僕はいまの映画業界に閉塞感を感じているんですが、今回のように「映画一揆」っていう言葉のもとに集まったりとかトークイベントをやることで、意識が高まって盛り上がってくれれば良いなと。そもそもの「一揆」っていう言葉の意味も、「持たざるものが結集して立ち向かっていく」っていうことだと思うので。
井土:参加しているメンバーそれぞれの欲望が交錯する場になればいいと思うんです。いま「映画一揆」のスタッフの中でも、twitterとかブログをやりたい人は、ネット担当としてがんがん盛り上がっている。野球をやりたい人は野球をやっているし、自分で映画を作るために仲間を集めようとしている人もいる。僕は僕でフリーペーパーがやりたくて、「映画一揆・瓦版」というのを作ったんです。
──瓦版とはどういった内容になっているんですか?
井土:僕が気になる人に話を訊きたいというのが一番にあって、創刊号は空族(インディペンデントの映画制作・上映集団)の富田さんと相澤さんへのインタビューがメインになっています。他には僕のエッセイや、映画一揆で上映する新作映画の出演者へのインタビュー、メンバーが描いた漫画や、若い人のエッセイが載っています。
吉川:映画館とかに置いてるんですけど、結構人気でもう創刊号はなくなったみたいです。
井土:いま2号目を作っているんだけど、11月の上映までに3号まで出して、上映後も出していきたいなと思っています。こうやって、フリーペーパー作ったり、野球チーム作ったり、それぞれがやりたいことをやっていて、それぞれの欲望が統一されずに交錯する場になっているのが面白いんです。
吉川:映画一揆という言葉がひとり歩きしている感じが良いですよね。
左から井土紀州、吉川正文
大事なのは強い欲望
──映画一揆の目標は?
井土:何か具体的な目標を目指すというよりは、空虚に過激にありたいですね。いまの社会って、おかしいと思ったことをおかしいって言うだけじゃ許されない社会ですよね。おかしいことに対して暴れるだけじゃなくて代案を出せよ、という社会。みんな、実のある言葉や行動を求めていて、それが息苦しさを生んでいる。もともと僕は、映画に実なんて求めてこなかったし、空虚で良いじゃん、って思う。目標に向かって前進するような目的意識性ではなくて、自然発生的でアナーキーなメンタリティーの方が僕はしっくりくるんです。
吉川:映画一揆っていう動きを続けていく中で、何か世の中にも変化が起こせれば面白いとは思うんですけど、たしかにそれはなかなか難しいことです。僕は日本映画の現状は先が見えていると思っていて、それをどう打破するかはまだ誰にも分からない。ただ、我々は映画を作り続けていきたいし、見せ続けていきたい、その表明だと思っています。
──「先が見えている」とおっしゃいましたが、日本映画はどうなってしまうとお考えですか。
吉川:これ以上産業として、商業として発展していくことはないんじゃないか。映画配給や宣伝、そういう人が目標とするものがもうないんです。自分たちで開拓して、切り拓いていかないと行けない。レールを降りる訳ではないんですが、違うレールを作って自ら進んでいくしかない。
──自主映画の苦労など、私たち観客側にはいまいちピンと来ない部分があるのですが、具体的に教えて頂けますか?
井土:僕は、苦労って言うのは考えたことがないですね。あるとすれば、今も昔も資金のことが一番大きいんじゃないですか? むしろデジタル時代になって、機材の面だとか、今の方が映画を作りやすくなっている。だから、どんどんパワフルな映画が生まれてくればいいと思ってますけど。
吉川:そうですね、今はそういう面では誰でも映画は作れて、誤解を恐れず言うと、ある意味「映画監督」には誰でもなれるんです。上映することもやる気があればできる。一方、日本映画は二極化が進んでいて、テレビ局が作るような大きな予算の映画と、低予算のインディペンデント映画しかなくなって、その中間がなくなっている。いずれテレビ局も映画から離れていくかもしれませんけど…。かつては、その中間にいる人たちも飯は食えていたんですよね。今はそれが難しい。多くのインディー系映画作家がそうであるように、別の職業をもちながら映画をつくることは可能なんですが、継続して映画と関わるには、やはり職業として関わるほうが良いように僕は感じていて。
井土:それは映画産業だけじゃなく経済の危機、ってことだよね。自主映画だけじゃなくて、商業映画のフィールドだって、今は苦しい。僕は、大事なのは欲望だと思ってる。強い欲望がないまま、ただ映画を作って上映しても、結局広がりを持たないと思う。映画として強度のあるものをつくり、宣伝の展開に関しても強度のある展開をする、それでやっと何かを世間に波及させることが出来る。強い欲望が見えない自主映画なんて、つまらないじゃないですか。
──映画界に限らず、空虚で過激な欲望をもっとぶつけ合うことこそが面白くて活気のある世の中へのカギなのかも知れないですね。さて、吉川さんが企画された11月9日のイベントはどんな内容になりそうですか?
吉川:1部では映画を紹介するメディアの方々に登場してもらいます。いま、マイナーな映画や裏方の活動を紹介するメディアが少なくなってきていて、そういう状況の中で頑張っているメディアの方たちです。2部は、井土監督のおっしゃっていたような「強度のある」作り手の方たちですね。
井土:これは、映画一揆の中でも、吉川さんの強い欲望によって実現した企画で、僕もすごく楽しみにしています。例えば富田克也さんはトラックの運転手やりながらずっとインディーズで作っている方で、佐藤佐吉さんや港岳彦さんは商業映画の世界でやっている方。向井康介さんは山下敦弘さんと一緒に、インディーズから始まって商業映画を手がけるようになった。2部の方達はみんな考えていることや姿勢もバラバラだろうから、発言が噛みあわなかったら大変だけど、そこは吉川さんの手腕でまとめてください(笑)。僕は1部の方にも興味がありますね。メディアであれ何であれ、マスじゃなくてコアな世界が盛り上がらないと、業界は活性化していかないですから。僕も瓦版の編集者として参加したいくらいです。
──1部と2部の両者の白熱した討論なんかも期待してしまいますね。ところで 、「映画の役目は終わったのか」というタイトルが刺激的ですが。
吉川:これは、どこで聞いたか読んだか忘れたんだけど、すごくどきっとした言葉で。映画側の人間が無意識に遠ざけていた言葉だと思うんですよ。みんな薄々気づいてはいるんだけど意識しないようにしていた。かつて映画は総合芸術、カルチャーの横綱だったんですよね。それが今は、音楽・小説・演劇・テレビ・ネットなどの数ある選択肢の中で、ひっそりと存在するマイナーな一ジャンルになっているのではないか。それが即悪いこととは思わないですけど、かつての映画の役目はもう終わったのではないかと。
井土:友人で詩人の松本圭二が、「産業として成り立たなくなったものには“現代”という冠がつくようになる」と言っていて、それがすごく印象に残ってるんですね。“現代詩”しかり“現代美術”しかり。そのうち映画も“現代映画”と呼ばれるようになるんじゃないか、と。それじゃ寂しいから、“映画”は“映画”であり続けて欲しいと思ってます。それとは別に僕が思うのは、映画に関わる人間の思考や活動を鼓舞する場をいかにして組織しつづけることが出来るか、ということですね。今は場がなくなってきているから。それこそロフトさんもそうですし、映画一揆っていう場でも、ここから次の世代のパワフルな作り手が出てきてくれれば嬉しいです。……まあ、パワフルな草野球チームでもいいんですが、やっぱり映画がいいですね(笑)。