音楽とはいつも純粋に一緒にいられる
──バンドにとって名刺代わりの1枚も出来たことだし、これからが楽しみですね。
永原:今後どう転がっていくかは私生活によるんじゃないですかね。私生活が充実していれば、暗いことなんて唄わないと思うし(笑)。ただ、仮に暗い気持ちでも明るい歌を唄いたいのが今のありのままの感情なんですよ。ありのままの自分を出すのは一貫していて、それができないとストレスが溜まって"もうやりたくない"と思ってしまうので、ありのままでいることは重要視しています。
──『フェスティバル』はまさに"ありのまま"の歌ですよね。酷く落ち込んでいるわけでもないし、やたらとハッピーな面持ちでもない。でも、人間の日常はそういうフラットなものだと思うし。
永原:そうですよね。落ちてるんだかアガッてるんだかよく判らないっていう、どっちつかずな感じがありのままなんじゃないかなと。何も暗い人ばかりが精神的に不安定なわけじゃなくて、過剰に明るい人も不安定だと思うんですよ。私はむしろ過剰に明るい人から病みを感じるし、ポジティヴに対応できない出来事に直面した時にガラッと崩れ落ちる姿を想像してしまうんですよね。そういうことが起きないように自分では心懸けていますけど。
──歌を通じてオーディエンスに伝えていきたいことは?
永原:お客さんに伝えたいことはこれと言ってないんですよ。歌詞は自分自身に対するメッセージでもあるし、身近な人に伝えたいことだったりするんです。ただ、これも数ある音楽の中のひとつなんだよ、と言うか。今回のCDを作って、その数ある中の音楽のひとつとして参加できたことが凄く嬉しいなと思いました。長い歴史があって、その中で細分化された音楽の中のひとつとして存在できることが。
──ライヴに重きを置いている点はどんなところですか。
永原:やっぱりライヴが楽しいってことに尽きますね。SEBASTIAN Xを始めた頃は、ライヴをやらないバンドになろうと話してたんですよ。
沖山:最初の半年は1、2本しかやらなかったですからね。それが次第にライヴに誘われることが多くなって。
永原:それでいっぱいライヴをやるようになって、"やっぱりライヴは楽しい!"と思うようになったんです。
沖山:ライヴをやってる時は、何かを伝えようとか考えてないかもしれないですね。こういうテーマでやろうとか。
永原:ウチのバンドは精神統一性が強い気がします。
──精神統一性!?(笑)
永原:三位一体と言うか、心と身体がちゃんとイコールになる瞬間を自分たちで作りたいと思ってるんです。心と身体で楽器を奏でて、頭がからっぽの状況でも歌が唄えるようでありたい。心と身体の動きが一緒なのがいいんですよ。何かしらのテーマや考えをライヴに持ってくると、それに身体が付いていくことになっちゃうし。
──と言うことは、ライヴをやっている瞬間が一番自然体でいられるのかもしれませんね。
永原:そうかもしれません。最近はスタジオにいる時のほうが不自然に感じることが多いので。
沖山:レコーディングは小難しく考えてしまうし、ライヴはあまり考えずに臨めますからね。
永原:ライヴのほうがメンバー全員の"らしさ"が出るし、解放してる感じがありますね。スタジオは頭で考えちゃう場所でもありますから。
──音楽は皆さんにとって"ファンタジー"ですか?
永原:ファンタジーでもあり、厳しいものでもありますね。音楽を精神鍛錬のように捉える人もいるし、スポーツみたいに捉える人もいるし、人それぞれでしょうけど。私はファンタジックな部分が好きです。夢のあるものだと強く思っているし、音楽に対する希望を捨てたことはまだないんです。それを捨てちゃったらオシマイですから。
──音楽に裏切られることだけはなかった、と?
永原:なかったです。ただ、いつか裏切られることがこの先絶対にあると思うんですよ。何故かと言えば、音楽が少しずつ商売になっているから。商売になる以上、音楽を続ける姿勢と矛盾する部分が必ず出てくるじゃないですか。でも、音楽業界をイヤだなと思うことはあっても、音楽自体に絶望することはないと思います。どれだけイヤな環境に置かれても音楽にだけは夢があったし、音楽とだけはずっと純粋なまま今も一緒にいますから。これからも音楽とは誠実に向き合っていきたいですね。