昨年10月に発表されたLITEの『Turns Red EP』はあのJ・ロビンスをエンジニアとして起用し、シンセサイザーとサンプラーを大胆に採り入れた野心作だった。エモーショナルかつスリリングな鋭角的インストゥルメンタルで揺るぎない地位を確立した彼らが新たな音楽性を提示した記念碑的作品だったと言えるだろう。彼らはしかし、それだけでは飽き足らなかった。あれから僅か9ヶ月という短いタームの中で、『Illuminate』と題された更なる進化が窺えるミニ・アルバムを完成させたのである。トータス、ザ・シー・アンド・ケイクの中心人物であり、音響系/ポスト・ロックの名匠として知られるジョン・マッケンタイアを迎え入れ、シカゴのSOMA STUDIOでレコーディングとミックスを敢行した本作は、『Turns Red EP』で模索し始めたラジカルな音色をバンドが終ぞ血肉化させたことを雄弁に物語っている。そして、この先にまた新たな展開が待ち受けている兆しを確かに感じさせる作品なのだ。否応なく感情を昂ぶらせ、五感を巧みに刺激する四重奏と音の標本に耳を澄ませば、あなたの心にそっと七色の灯がともることだろう。(interview:椎名宗之)
ジョン・マッケンタイアへ直にオファー
──ジョン・マッケンタイアにはどんなルートを辿ってアプローチを?
武田信幸(g):直に連絡を取って、反応がたまたま返ってきた感じですね。ちょうどアメリカ・ツアーも決まってたんで、その情報も向こうに伝わってたと思うんですよ。
──トータスやザ・シー・アンド・ケイクは当然お好きだったんですよね?
楠本構造(g):そうですね。作品はよく聴いていました。
武田:トータスは音に説得力があるし、シンプルなんだけど練りに練られているところが好きですね。それはジョン・マッケンタイアがプロデュースで関わった作品にも言えることで、彼のアイディアを基にレコーディングをしてみたかったんですよね。
──『Turns Red EP』でエンジニアとして起用したJ・ロビンス然り、皆さんがリスペクトするミュージシャンとタッグを組むモードが続いていますね。
楠本:J・ロビンスの場合はジョーボックスやバーニング・エアラインズを熱心に聴いていたと言うよりも、彼のエンジニア・ワークスに惚れ込んだ感じです。
武田:好きなアルバムのクレジットを見ると、Jの名前がそこに記されていることが多かったんですよ。ファラケットの『VIEW FROM THIS TOWER』とか。
井澤 惇(b):最初にまず、アメリカでレコーディングをしてみたかったんです。それが第一の目的でした。アイルランド出身のアドビシ・シャンクっていう友達のバンドがいて、彼らのファースト・アルバムもJ・ロビンスがプロデュースを手掛けていたんですよ。その繋がりが大きかったですね。
──以前から交流を深めているマイク・ワット(ミニットメンやfIREHOSEの中心人物)が推薦するエンジニアを起用してみようとは考えませんでしたか。
武田:選択肢の中にあったはあったんですけど、マイクがどういう人物を紹介してくれるか判らない部分もあったので。それよりは、どんな作品を手掛けるかイメージできる人がいいかなと。ジョン・マッケンタイアにプロデュースをお願いしたいと前作の時から候補に挙がっていたんですよ。でも、まさか実現はしないだろうと思っていたし、最初は純粋な希望でしかなかったんですけどね。それが意外と話が通ったっていう。
──事前にLITEの音源は送っていたんですよね?
井澤:「こういう感じのバンドです」と前の作品は送ってあったんですけど、今回レコーディングする音源は送らずに現地へ出向きましたね。
楠本:3月にアメリカの西海岸を一緒に回ったマイクのバンドにトム・ワトソンというギタリストがいて、彼がやっているレッド・クレイオラにジョン・マッケンタイアが参加したことがあるんですよ。そういう繋がりもあって、僕らのオファーをジョンが快諾してくれたような気もしますね。
井澤:あと、たまたま日程が空いていたっていうタイミングも良かったんでしょうね。
──シカゴのSOMA STUDIOと言えば音響系/ポスト・ロックの総本山的スタジオですが、どんな所でしたか。
楠本:そんなに広いスタジオでもなく、至って普通な感じでした。天井もそれほど高くなかったですし。コントロール・ルーム、ライヴ・スペース、それにブースがひとつあって、割とこぢんまりとしたスタジオでしたね。
武田:でも、"ここがあのSOMA STUDIOか..."という感慨はありましたよ。ジョン・マッケンタイアに会った時点で"ああ、本物だ!"って思いましたし(笑)。
──ヴィンテージな機材も常備されているんですか。
楠本:キーボードに関しては結構ありましたね。アナログ・シンセから見たことのない年代モノまでいろいろとあって興味深かったです。
井澤:アンプも、日本では見たことのない珍しいものばかりでしたね。
渡米前に曲作りをしっかりと固めた
──ジョン・マッケンタイアはどんな人でした?
武田:寡黙な人でしたね。アメリカ人はもっと大雑把なイメージがあったんですけど、細かく仕事をしてくれる人でした。
井澤:僕らが言ったことに対して「OK」としか答えないんですよ。こちらのリクエストには全部応えてくれるし、ジョンが「NO」って言うのを聞いたことがなかったですね。
武田:「テープ・エコーを入れたい」と言えば、ジョンが「こんな感じかな?」と適宜に応えてくれて、それをそのまま採用してみたり。「シンセはこういう音でどう? 近いのはこれ?」みたいな感じで、上手いこと僕らをリードしてくれました。
楠本:お陰で、それほどテイクを重ねずに済んだんですよ。
武田:まぁ、不思議な緊張感は終始ありましたけどね。
──本作で聴かれる引き締まった硬い音質はSOMA STUDIO独特のものなんでしょうか。
武田:前回よりはそういう音質ですね。ナチュラルな音と言うか、あまり装飾してない音になったと思います。
楠本:最初にマイクで音を拾っていって、バンドで鳴らした時の音がすでに凄く良かったんですよ。だから、こちらからジョンに対して改めてあれこれ言う必要もなかったんですよね。
井澤:曲も出来上がった状態で持っていったし、録り音をそのままの流れでミックスしただけなんです。「こういうふうに変えてくれ」とか「あのアルバムの音みたいにしてくれ」みたいなリクエストは一切しなかったですね。結局、音作りの最終的な判断は自分たちだったんですよ。それを最大限に活かしてくれたのがジョンだったように思います。
──ジョンが発したアイディアからアレンジが面白く変化したような曲はありましたか。
楠本:ノイズを入れてもらった『Andromeda』とかはそうですかね。
武田:後はミックスの時にいろいろとアイディアを出してもらったくらいですね。録りに関しては渡米前にカッチリ決めてあったので、大きな変化はなかったです。自分たちのやりたいことをやらせてくれましたね。
──シカゴ音響派の重鎮を前に、緊張はしませんでしたか。
楠本:その場に行ったらそんなに緊張もしなかったですね。逆に、曲を作り込む段階のほうが苦労はしました。中途半端なものは作れないぞと思ったので。
井澤:せっかくジョンが録ってくれるんだし、絶対にいいものを作らなくちゃいけないっていうプレッシャーは凄かったですね。その代わり、レコーディングは曲作りの時にやり尽くしたことをそのまま出し切るだけでした。
──ジョン・マッケンタイアとJ・ロビンスのプロデューサーとしての資質の違いはどんなところでしょう?
武田:J・ロビンスはバンドと一緒になって作業を進めてくれるし、バンドマンの立ち位置に近いですね。アイディアも積極的に出してくれるし、「こういうのはどう思う?」と意見を求められることも多かったんです。ジョン・マッケンタイアは、こっちのやりたいことをとりあえずやらせてくれる。こっちが求めたらそれに応えてくれる感じですね。
井澤:ジョンは職人肌ですね。「こうしたほうがいいよ」という意見を言わない代わりに自分のやるべきことに徹していて、職務を完璧に全うすると言うか。
──SOMA STUDIOでは変わった音の録り方もしたんですか。
武田:至ってノーマルですよ。録り音が充分に良かったし、それ以上に求めるものは何もなかったです。
楠本:ドラムのチューニングはジョンがやってくれたので、もの凄くいい音になったと思います。ギターはブースがなかったので廊下で録ったんですけど、その天然リヴァーブが結構いい感じだったんですよ。
井澤:特に変わったこともしませんでしたね。曲ごとにアンプを変えてみたりはしましたけど、それは自分の感覚でやってることだし、ジョンにやってもらったことではないですから。