1996年10月に発表されたブラッドサースティ・ブッチャーズの『kocorono』が日本のロック史に燦然と輝く屈指の名盤であることに異論を唱える人はいないだろう。『2月』から始まり『12月』で終わる11ヶ月の心象風景が綴られた本作は、尋常ならざる楽曲のクオリティと文学性の高い物語の世界観、コンセプトの秀逸さも相俟って、発表当初から耳の肥えたリスナーを始め数多くのアーティストやクリエイター達からも熱烈に迎え入れられた不朽の金字塔的作品である。僕自身、今までこの作品をどれだけ聴き狂ったか判らないし、そのたびにどれほど心を奮わせたか判らない。『7月』の儚く瑞々しい旋律にどれだけ涙腺を緩ませたかも判らない。きっとあなたもそうだろう。その『kocorono』が、『Cinderella V.A』にのみ収録されていた『1月』を追加収録してリマスターを施した"完全盤"として発表されるというのだ。これが努めて冷静でいられようか。本誌では今回のリマスター作業にあたって独占取材を敢行、14年の歳月を経て再びタッグを組んだブッチャーズの吉村秀樹とプロデューサーの名越由貴夫の貴重な肉声をここにお届けする。未完の名作が12ヶ月の物語として遂に完結した『kocorono 完全盤』、その格好のサブテキストとして本稿を読み解いてくれると嬉しい。(interview:椎名宗之)
14年経って違う側面が見えたら面白い
──『kocorono』をまた別の形で世に問うてみたい気持ちは以前から吉村さんの中であったんですか。
吉村:廃盤になってない唯一のアルバムだからね(笑)。まぁ、いつかは何かしなくちゃいけないのかなとは漠然と思ってた。今回、キングレコードからオファーを受けた時はちゃんとしたコンセプトがあったから、やってみることにしたんだよ。1年ほど前に話をもらった時は今度の新作を作る上で一番悶絶する直前くらいで、新作作りのモチベーションも欲しかったんだよね。
──“いつかは何かしなくちゃいけない”というのは、何かやり残した思いがあったということですか。
吉村:いや、そういうわけじゃない。『1月』を入れるコンセプトに俺の本心はないんだよ。『kocorono』はあくまで『2月』から始まって『12月』で終わるのがコンセプトだから。あと、俺自身紙ジャケは大好きなんだけど、もともとプラケースだったものを紙ジャケにするのはどうなんだろう? って思って(笑)。でも、タスキが日本盤に付いてるようなロックの名盤に対する憧れで作ったアルバムであることは間違いないし、紙ジャケもアリかなとは思うけど。
──そして、“完全盤”と銘打って発表するなら名越さんや当時のエンジニア氏ともう一度タッグを組むのが絶対条件であったと。
吉村:うん。別の人に投げたリマスターは薄っぺらいリマスターになるんだよ。ちょっと待てよと。だったら違う道を行くのもいいんじゃないかと。14年も経って僕らも歳を取ってるわけだし、この作品に対して今何ができるのか? っていうところからすべてが始まったわけ。フガジのリマスターを全部買った男の選択だから間違いない(笑)。判りやすいところで言えば、去年出たビートルズのリマスターは全く違う作品だったよね。それに対して違和感があって、素直に喜べなかったんだよ。レッド・ツェッペリンのはそれなりに良かったと思うけどね。いろんなリマスター作品を聴いてきて、リマスターに対する姿勢を俺なりに考えたわけ。その結果、当時取り組んだ人達がもう一度一緒にやったらどうなるんだろう? っていう興味が湧いてきたんだよね。
──名越さんは、吉村さんからの打診に二つ返事で応えたんですか。
名越:そうだね。当時やり残したことはなかったんだけど、14年経って違う側面が見えたら面白いなと思って。ただその反面、凄く難しいだろうなとは最初から思ってた。一度完成したものを再構築する経験は初めてで、リマスターもやったことはなかったし。CHARAのセルフカヴァーに携わったことはあったけど、その時はアレンジを変えちゃえば形がまるっきり変わるから、リマスターよりもラクだったのかもしれない。実際、今回のリマスターをやってみて凄く難しかったしね。
吉村:実際に作業に取り掛かってから、“果たしてこの選択は正しかったのか…!?”ってちょっとめげたもんね(笑)。でも、名越君やマスタリング・エンジニアの安藤(明)さんのセンスに凄く助けられた。
──いわゆる純然たるリマスターという体でもなく、『3月』の終わりや『10月』のイントロには音が付け足されていますよね。
吉村:そういうのは流れだよ。
名越:作業をしていく中で“こんなのが入ってたんだ?”っていう発見があって、付け加えてみるのも面白いんじゃないかと思ってね。当時はそれをあえて入れなかった意図も判るし、『2月』から『12月』で完成された中ではそのほうがいい。でも、今回は最後に『1月』も入るし、全体として多少形が変わってくるから、その中で新たに発見した良さを盛り込んでみてもいいかなと思って。
──吉村さんは当時のデモテープを改めて聴き込んで臨んだそうですね。
吉村:当時はどんなことをやってたのかな? と思って、その頃の練習テープをずっと夜中に聴いてたね。それを検証したら、意外とメンバーの仲が良かったっていう(笑)。入れてない音を持ってるのは俺しかいないから、どのテープを探ったらいいのかなと思ってさ。『kocorono』のモードへ精神的な部分で従っていくためにも、そういう地味な作業は必要だったんだよ。“俺は一体何をやっていたんだろう?”っていうのを検証したかったしね。
名越:俺も当時の完成盤をもう一度聴き直したよ。やっぱりこの作品は自分にとって特別なものだと思った。リマスター作業をしながら改めてそれを痛感したし、ここまでガッツリ関わったアルバムは他にないしね。曲単位ならあるけど、アルバムを丸一枚関わったのは『kocorono』だけだから。
吉村:まぁとにかくね、分離が凄いんだよ。
名越:分離するべきところと分離しないほうがいいところがあるしね。
吉村:うん。今回も思ったんだけど、名越君が俺を拾ってくれるのは野性の部分なんだよね。俺の野性を全部拾ってくれるわけ。
愛情を持って闘うべきだと思った
──意外ですね。『9月』のつぶやくような歌に顕著ですが、吉村さんの繊細な部分を名越さんがすくい上げる印象を僕は抱いていたんですよ。
名越:野性的な部分と繊細な部分、その両方の良さを感じてるから、どっちかが欠けることはないんだよね。俺もギターを弾くから判るけど、ギターを弾く感性って野性の部分なんだよ。
──ギターと言えば、『2月』で聴かれるアコギの音の粒が凄く鮮明になりましたよね。
吉村:あの粒々は名越君が設定したんだよ。
名越:あれは最初迷ったんだよね。リマスターの段階で一度やり直したんだけど、最初は上も下ももうちょっとレンジが広い感じだった。でも、それだと曲の感じが壊れるかなと思って、思い切って下はそんなになくてもいいんじゃないかって切り替えたんだよ。それなら昔の感じを壊さないで新鮮な感じを出せると思ってね。
──それが今回のリマスターにおける主題だったんでしょうか。楽曲本来の持ち味を壊さずに新鮮さを提示することが。
吉村:俺だっていろんなリマスター盤を買って聴いてるから“オリジナルの音が好きだ”っていう人が絶対にいるのは判るし、そこは覚悟の上でやってるわけ。でも、リマスター盤として出す上で“これはねぇよな”ってイメージがブチ壊されるようなものは作りたくなかった。要するに愛情ってことだと思うんだけど、惜しみなく愛情を掛ければ絶対にいいリマスター盤になると思ってたね。さっき言ったフガジのリマスターは凄く闘ってる感じがあって、音がいいって言うよりもそこがいいわけ。でも、『IN ON THE KILL TAKER』っていう俺が譲れないくらいに好きなアルバムだけ良くなかったりするんだよね(笑)。そういう体感を経ての俺のリマスター観って言うか、愛情を持って闘うべきだと思ったわけ。
──リマスターの作業最終日の3日目にスタジオへお邪魔して、みなさんがありったけの愛情を注ぐ姿は目の当たりにしました。『3月』をもう一度やり直したいという名越さんの執念も感じましたけど(笑)。
吉村:あの『3月』は4回目くらいだよ(笑)。
名越:やり直した回数は『3月』が一番多かったけど、一番肝だったのはやっぱり『2月』かな。
吉村:うん、ド頭だよね。チームワークって言うのもヘンだけど、みんなの感性が合わさる瞬間が言葉ではなく音で発せられてるって言うかさ。
名越:『2月』はイントロのインパクトもそうだけど、リズムが入ってからのスピード感が肝だし、そのどっちを外しても上手く行かなかった。安藤さんに2回くらいやり直してもらって、3回目でやっと“これこれ!”って思えたんだよね。
吉村:あの瞬間の楽しい感じったらないよね。
名越:1回目の時ですでに散々ああだこうだ言いいながら悩んで、“まぁこんなところかな”って落ち着いてたけど、聴き直してみたら“うーん、どうかな”って感じになってね。
──『3月』で延々こだわっていたのはどんなところなんですか。
名越:『3月』はただ単純に技術的な問題で難しかったんだよ。凄く変わったミックスだったし。
吉村:悪魔の音がいっぱい入ってるからね。スピード感もあるし、バランスが取りにくいから悪魔を排除できないんだよ(笑)。
名越:オリジナル・マスター音源と当時のマスタリングしてないTD音源を聴き比べても、かなり悩んだ形跡が窺えるんだよね。
──最新鋭のテクノロジーを駆使しても悪魔を排除できないものなんですか。
吉村:それだとリマスターじゃなくリミックスになっちゃうからね。だとすると、俺が最初にリマスターに対して抱いてた考えと変わってくるしさ。俺はね、この“完全盤”を作り終えた今も実は悶々としてるの。“やったぜ!”っていうよりも“クソッタレ!”っていう気持ちが凄く強くてね。過去の自分を受け入れるわけだし、それが『kocorono』だとブラッドサースティ・ブッチャーズにしてみればちょっと重いわけ。過去の自分を受け入れられる窓口っていうのを体感した時に、みんなこの作品に対して愛情があるんだなぁとか思ってさ。