北米、ヨーロッパを中心に28カ国をツアーでまわり、数千〜数万人規模のフェスに出演し、ジューダス・プリーストのプロデューサーにアルバムをプロデュースされ...。そんな、全国のロック少年が目を輝かせる嘘のような本当の話が、エレクトリック・イール・ショック(EES)のプロフィールには延々と書き連ねてある。「海外を拠点に活動する」なんて、一昔前には夢のまた夢だった。「音楽は国境を超える」なんて、イマイチ説得力のない言葉だった。でもEESは、そんなあれこれを自力でやってのけてしまったのだ。「ガレージメタル」と評されるサウンドと、圧倒的な運動量を誇るステージだけを武器に、今日も彼らは世界のどこかで叫び続ける。十年前、彼らは日本で一番"スゴイ"バンドだった。そして今、彼らは世界で一番"スゴイ"バンドになろうとしている。(interview:前川誠 text:やまだともこ)
やりたいと思うことをやってたらこうなった
──Electric Eel Shockは日本で1996年頃に結成され、ファーストアルバム『MAYBE... I THINK WE CAN BEAT NIRVANA』は自主制作ですが、最初から自分達でやっていこうという意識が強かったんですか?
森本明人(Guitar & Vocal):当時はインディーズなんて言葉が出てきた頃でしたね。自分たちだけでもCD出せるらしいぐらいの時代で、自分たちが置かれていた環境がそれほど良かったわけでもないから、出せるなら出してみようという感じだったんです。その形態に関して言えば、そこに大きな計画があったというほどではないと思う。
前川和人(Bass):デモテープで売ったりもしていたけれど、CDで出そうという時にちゃんと売れば赤字にはならないだろうと。
森本:作品自体は一生懸命作ったし、人に認められたいという意識はあって、リリースする時に近くにあった選択肢がそれだった。今はインディーズで出してますと言ってもお店で置いてもらうのも困難だと思うけれど、まだ競争相手が少なかったから、たくさん仕入れてもらえたし、面出ししてポップも置いてもらえたんですよ。
前川:実はけっこう売れたんです。
──あの音質で?
森本:そう。世界で一番音が小さいアルバムでしたけど(笑)。
前川:アルバムの最後になるに連れてだんだん音が上がっていくという(笑)。
──まぁ、少なくとも「自分たちで出す」という選択肢を選べる状況にはあったんですよね?
前川:紆余曲折あって、人の言うことばかり聞いていてもあんまり良いことないなという分別はついていたから。
森本:あの、よく「行動力がありますね」と言われることがあるんですが、振り返ってみて自分たちに行動力があるとは思わないんです。ツアー中は「車の修理を自分たちでやる」と言うと、「そんな知識もあってすごいですね」とも言われるけど、それをやれないと走れないからやっているだけで。別にすごいわけじゃなくて、その道しか進むところがないからそうなっているだけ。だからインディペンデントで出したり海外で活動したりっていうのは、一生懸命足掻いてやっていたら自動的にそっちの方向に進んだだけなんですよ。
前川:ライブをやりたいからバンドを始めて、ライブは自分たちが主導でやるのに、CDを出すのは人任せみたいな感じではなく、リリースするためにはどうすれば良いのかを考えたんですよ。それで、やりたいと思うことをやってたらこうなったんです。
森本:環境が違ったら海外にも行ってなかったかもしれない。
伊藤"GIAN"知冶(Drums):海外ツアーもそうだし、これまでのドキュメント映画があったら涙なしでは見られないと思いますよ。ホント大変だったんだから。
──初の海外ライブが1999年ですが、その時は結構軽いノリだったんですか?
前川:海外でやるにはどうしたらいいんだと思っていた時期で、ニューヨークでライブをやったという友達もいたので、ツテや雑誌やらを探して。俺は金がなくて行けなかったけど2人は下見旅行にも行ったんです。
GIAN:CDを持って「ライブをやらせてください」っていきなり突撃したりね。
森本:俺たち、洋楽は本物で邦楽は真似たものという感覚を持った最後の世代でしょ、多分。だから外国で音楽をやることに対する憧れは、下の世代に比べたら強かったと思う。チャンスがあれば海外でやりたいと思っていたけど、それが最終目標ではなくて、海外で成功しているバンドの話を聞いたり、ハイスタが全米を何ヶ月もツアーバスで回って「あんなのやるもんじゃないよ。辛いだけだよ」っていう話を聞く度に羨ましいって思ってた。俺たちも若いバンドに「全米ツアーなんかやるもんじゃないで」って言ってみたいって(笑)。そのぐらいの感覚。そしたら前川の弟がニューヨークでバンドをやっていて、CBGBに出てるらしいと。
前川:大学卒業したらニューヨークに美術留学する言ってたくせに、バンドを始めていて。もうやってないんですが、コミックバンドでけっこう面白いんですよ。
森本:それで、「俺たちも出してよ」ってお願いして、「たぶん出れると思うで」って言われて、それなら行こうぜって。
前川:1年ぐらいさんざんツテを探してもダメだったのに、弟に言ったら2週間で決められた(笑)。
GIAN:CMJ(CMJミュージックマラソン)にも出たくて、一生懸命国際電話とかしたよ。「今日いません」っていつも言われて。
──CMJは2001年ぐらいでしたっけ?
前川:2001年と2005年に。
──いつから、本気で海外でやっていこうと思い始めたんですか?
森本:打てば響く感じは向こうの方が強くて。主体性がないわけじゃないけど、バンドをやっていたら求められてるほうになびいていくのは自然の流れだし、当時日本にも応援してくれる人はいたけど、ライブハウスが今よりも環境が悪かったような気がするんです。ライブを毎月のように一生懸命やっていても、対バンの人が呼んで来たお客さんは目当てのバンドまで外で待っていて、見たら帰るみたいな。何やってるんだろうなというクエスチョンマークはいっぱいあった。見てもらえば納得させる自信があったけど、その場に立てない。アメリカはそれはなくて、金を払って来てるヤツは最初から最後までできるだけ見たいと思ってるし、いいなと思ったら次も来てくれる。初めて行ったニューヨークでは3〜4本ぐらいのライブしかできなかったんだけど、1本目のライブを見て「良かったよ」と言ってくれたヤツは2本目も3本目も来てくれる。何か良いバンドないんかいって求めている熱が全然違って、それでライブをやりに来てくれって言われたら、こっちは当然行くでしょ。
前川:ライブが終わったら、みんな「良かったよ」って言ってくれるために列をなすんですから。
森本:テキサスにも来てくれって言われて、行きたいけど知り合いおらへんからお前が呼んでくれたら行くでって言ったら本当にセッティングしてくれて、気が付けば全米で繋がってツアーができる。誰でも俺らと同じ環境に置かれたらそうなったと思いますよ。
ライブハウスは情報が発信される場所
──日本と海外のライブシーンで、決定的に違うものって何だと思います?
前川:日本だとライブハウスは閉鎖的な空間であったりするけど、海外ではライブハウスっていう感覚でもないんですよね。パブってよく言うけど、情報が発信されているかもしれない人たちが集うところ。そこに行ったら誰かしらいて、友達と行くというよりは街中のみんなが集うところ。
GIAN:おじいさんとかもいて、普通に見てたりするわけ。そういうところが違うよね。
前川:偉そうな言い方をすると、文化的に根付いているんですよ。みんなが集まるところに音楽を演奏するところがあって、ビリヤードもあって思い思いのことをやってるんだけど、ライブが面白そうだったら見に行くし、面白くなかったらビリヤードをする。そういう空間。
GIAN:ジャンルが分かれてないからロックがひとかたまりというか、これは聴くけどこれは聴かないじゃなくて、全部のバンドを見て良いと思えば反応をするし。そこは大きく違うんじゃないですか?
前川:アメリカでも田舎に行くと娯楽が少なくて、その場しかなかったりするから。
GIAN:未だにジュークボックスがあって、ロックをかけていると横から来たおじさんに「良い選曲してるな、お前!」と話しかけられて、うっかり盛り上がったりして。
森本:でも、世界中でツアーをしていると、ヘヴィー・ロックが置かれている立ち位置がわかるね(笑)。俺たちがやっているのは田舎者の音楽。たまに10年に一度か20年に一度、都会のいけ好かないヤツらが、「これって逆におしゃれじゃないの?」って急にロックがもてはやされて、ザ・ダットサンズとかのライブがソールドアウトになるとかあるけど。ああいうのは苦手。田舎のヤツらは最高やで(笑)。
──アメリカに本格的に腰を据えてやってみて、最初の1年はどうだったんですか?
森本:俺は楽しくて仕方なかった。
GIAN:いや、最初の1年で236本ライブをやっているんだよ。そんなこと考えてる暇もない。毎日毎日ライブだったから。帰る? 帰らない? の話よりも次から次へとツアーが組まれていた。あれよあれよと前座の仕事も入ってきて。
前川:前半は自分たちで知り合いを辿って、シアトルの知り合いが南部の知り合いにコンタクトを取ってくれたり、ブッキングしながら移動してましたよ。パソコンに逐一ブッキングを手伝ってくれてる友達から連絡が入って、明日どこそこ行けって。対バンから「明日ライブないの?」って聞かれて、明日ライブ切られなかったというと、電話してやるって2時間後ぐらいに決めてくれやらせてもらったり。そういう連続でした。
前川:友達づたいでライブをずっとやれていたという感じです。
──日本と違って移動距離がハンパないですよね。
前川:初めのうちは距離感がないから、地図を見てこれは行けるって思ってたら時差があって毎日遅刻してた。でも、向こうは深夜12時以降とかからしかライブが始まらないから、夜9時についても誰もおらんし。
森本:慣れるまではしんどいね。夜8時になっても現場に着いてなかったら普通焦るんだけど、全然大丈夫。
──それまで日本ではツアーと言っても細かくは行ってなかったですよね? 本格的なツアーはアメリカが初めて?
前川:そうやね。
GIAN:日本では頑張って年間40本。初めてアメリカツアーは2ヶ月間で44本。1年分を2ヶ月でやった感じ。
森本:今思い出しても初のアメリカツアーの記憶は楽しかったということしかないんです。フィジカルでは疲れるとかもちろんあるけど、メンタルな面ではすごく楽しい思い出しかない。
GIAN:お客さんも来てくれたしな。
前川:好きなこともやれてるし、渋滞がないからどれだけ長距離の移動でもストレスを感じたこともなかった。
森本:自分たちで運転してガソリン入れて、カーナビはない時代だったから地図を見ながら移動をして、何度も迷子になったしね。
前川:冒険してるようなもんだったよね。
森本:ヨーロッパツアーに行った時は、ベッドがあるツアーバスで運転手さんがいて、何ヶ月かまわったことがあって、ライブが終わってシャワーだけ浴びて車に乗ればベッドがあって、起きればライブハウスの前に到着している。フィジカルな面ではラクやったけど、俺はどこにおるねんって毎日思っていた。俺、ツアー中は運転隊長なんで、フィジカルな面ではラクだったけど、すごいおもしろくなくなってしまった。今日はここね、はい乗って、寝てて、着いたよって。
GIAN:ベルトコンベアーだよね(笑)。
前川:寝るか飲むかしか、することがないもん。
森本:俺は自分で運転した方が楽しい。世界中を回っている感覚があるから。
海外の活動で得られるものの大きさ
──バンドをやってる人は気になっていると思いますが、1年も2年もツアーをやっていて、どう生計を立てているのかと。
前川:これが仕事ですよ。
森本:無責任にしか言えないし、かっこよくもできないけど、例えば日本で若いバンドの人と喋ると「来月日本でツアーするねん。楽しみやわ、でもその次の月はバイト頑張らないと」という感覚を持ってる。ツアーに出て食費とかもだいぶ使うし、バイトも休むし、その次の月はバイトに明け暮れて頑張らないとなって。でも向こう(海外)のヤツらは、「今月も先月もツアーやってないねんな、だからバイト頑張ろう」って言うねん。それはバンドのレベルによって変わるとは思うけど、欧米で演奏をするといくらかのお金はもらえる。ノルマに達しなかったからお金を払えということはまずありえない。限りなく100%に近いライブハウスがバンドから金はとらないし、それどころか、ギャラをくれるか、客が少なくて厳しかったら、お金はやれないけど酒はナンボでも飲んでいいからってことはしてくれる。その感覚は大きく違う。俺たちみたいな無名の日本人バンドでも、サブカルチャーとして日本の文化が好きな外国人からお金をもらえたかもしれないけど、そうではなくてもツアーを1年間やり続けて、儲かりこそしないものの、ガソリン代とメシ代は何とかなったから1年間死なずにやれていたし、その可能性は向こうにはあると思う。
GIAN:ライブが盛り上がるとお酒をおかわりするでしょ? おかわりすると、売上が上がるからギャラをアップしてくれんだよ。そういう相乗効果もありましたね。
森本:あと、地元のバンドが必ず泊めてくれから、対バンしたバンドにこの辺で安いモーテルってどこだろうって聞いても、「うち泊まりに来いよ、狭くていいなら泊めてやるから」って。そういって各地で友達が多いのは誇りですよ。俺たちは、海外至上主義ではもちろんなくて、今年は日本での活動に力を入れてやってるし、若いバンドさんに「海外で一旗あげないと本物として認められないよ」と言うつもりはないんだけど、みんな1回は行って欲しいと思う。今後、海外でやろうと全く思ってなくてもいいから、若いバンドが置かれている環境の違いを体感するだけでも、これから何か変わっていくんじゃないかと。それを感じてもらいたいですよ。
──ヨーロッパの話が出ていましたけど、ある時期、アメリカからヨーロッパに移ったじゃないですか。ヨーロッパに拠点を移したのはなぜ?
前川:ある人物に出会ったからです。ボブ・スレイヤーってヤツなんですけど、イギリスで僕らのライブを見てくれて、そいつとやるようになってから大きく動き出したんです。
森本:一時期、ある事情でアメリカを一度出なければならなくて。
前川:3ヶ月で出ないといけない理由があって(笑)。
森本:その時にたまたまイギリスに来てくれよっていうメールが来て、行きたいけどツテがないからお前が呼んでくれたら行くよ、と。そしたら、本当に10日間で11本のライブをロンドン界隈で入れてくれて、最後のショーはロンドンで行なわれたオーストラリアのためのイベントに出してもらったんです。当初の予定は前座で1番目ぐらいの予定だったけど、ロンドンで10日間やってる時にElectric Eel Shockがすごいらしいって話題になったらしくて、前日にショーのメインアクトと一緒にライブをやったときに、「あいつらをそんなに前座で出すのはもったいないから、俺らの直前に出るようにしてくれ」って言ってくれてな。
前川:当時、日本でもアメリカでもやったことがない2000人キャパでできたし。
森本:メインアクトの直前に演奏させてもらって。ボブ・スレイヤーには、お前はできる男やから、これから一緒にやろうぜと。実際プロのマネージャーでもなかったんだけど、そいつのおかげでロスキルド・フェスティバルにも出られたし、その後もちゃんとしたエージェントと仕事ができたし、アメリカでやっていた時よりもプロフェッショナルに近い仕事ができるようになった。
前川:それから2003年のSXSWに出るためにもう一度ツアーをするつもりだったからアメリカに帰って、SXSWは何か起こるからってアメリカに呼んで、SXSWに出て6月にロスキルドに出ることになって、いろいろとピークでしたわ(笑)。
同じことをやり続ける
──個人的に、みなさんの活動の中で一番鳥肌が立ったのはロスキルドの映像を見た時なんですが、すごい人数が見ているのに、内容は十年前に三軒茶屋ヘブンズドアでやってたライブとほぼ変わらない。かっこいいって思いましたよ(笑)。
GIAN:そこかいな(笑)。
前川:自分らがやりたいことを変えたくないというか。一周したら新鮮になるかなって(笑)。
森本:でもラモーンズとかそうやろ?
GIAN:ドリフみたいなものなんだよ。
──Electric Eel Shockはアレしかできないんじゃないかと。
前川:できないです(笑)。それは自信を持って言える。
森本:曲の完成度も高いからね(笑)。噛めば噛むほどこんな側面もあったんだって。
GIAN:飽きないんだよ、いつも新鮮に感じられているから。
森本:ライブは飽きないね。
──でも、ライブも10年弱前と同じで...。
森本:あかんあかん!
前川:「全く同じ」なんてあかん。何てこと言うんですか!!
森本:新しい曲もやってんねん。全体的な色合いは変わっているよ。音楽に対する打ち込み方は、俺たちの中では変わってるんだよ。
前川:毎回リリースするたびに考えてるしな。
森本:変わってるはずだけど、3人で音を出すと自動的にイールショックカラーになる。常に変化をするバンドがあってもいいと思うけれど、俺たちはイールショック的なストライクゾーンの中でたくさんのことを伝えていきたいんです。ロックの一番重要なボーカル、ギター、ベース、ドラムが変わらなかったら、そんなに変わらないでしょ。バンドは自分たちが一番楽しいと感じるものを最優先するべきやし、自分たちが飽きたと思ったら変えたほうがいいと思うし。変えなあかんという強迫観念は考えてはいけないです。リスナーは日によって聴くCDを変えればいいけど、演奏者はそうじゃない。ブリティッシュヘヴィーメタルが聴きたかったらアイアン・メイデンを聴けば良いし、ハウスが聴きたかったらハウスのCDを棚から出してくればいい。でも、ブリティッシュヘヴィーメタルを聴きたかったのにそれがアイアン・メイデンの実験的なアルバムでハウスをやってたりしたら、聴きたかったのと違うってなるでしょ。アイアン・メイデンはアイアン・メイデンのストライクゾーンのなかでやるのが美しいと思いますよ。俺たちはそうやってるつもり。そうしかできないし。
──10月にリリースされるアルバム『Sugoi Indeed』も変わってないですからね。
森本:変わってないですよね。
──安心しますよ。『Sugoi Indeed』のお話は10月号で聞かせていただくとして、今年は日本を中心に活動されていますが、海外でのライブもあるんですよね。
前川:10月からヨーロッパに行く予定です。できればアメリカも入れていきたいと思っています。ただ、9月に日本でやるツアーはリリース前になってしまい、このアルバムをひっさげてのツアーにはならなかったんですが、ライブでは新曲を中心にやっていくと思います。
──プラス、今回はトークライブもありますね。
前川:やれることを全部やろうと(笑)。このインタビューを読んで興味持ってくれて9月21日の阿佐ヶ谷ロフトAに来てくれたら、ここで喋っていることが映像で見られます。
森本:それから、できるだけ安い予算でアメリカでライブをしたい人にはいろいろな術をお教えしますので、来てくれたらためになると思うな(笑)。
前川:そのうち文化センターで講座を開く予定らしいですよ(笑)。
Photo by Chiaki Nozu