『Before the flood』〈怒濤の濁流の前に〉と題されたライヴ音源シリーズの発表、今年1月に新宿ロフトで行なった初のワンマン・ライヴの成功と、まさに奔流の如き快進撃を続けるア・フラッド・オブ・サークル。2006年の結成以来、ブルース・ロックを分母に置きつつも極めてポピュラリティの高い音楽性を一貫して追求してきた彼らが"怒濤の濁流の果てに"見いだしたもの──それは、荒ぶる猛牛の魂だった。自身初のフル・アルバムとなる『BUFFALO SOUL』には、ルーツ・ミュージックに深く根差した初期の楽曲から表層的なブルースを脱却した独創性溢れる現在進行形の楽曲までが収められ、実にヴァラエティに富んだ内容となっている。不変的なブルースと普遍的なポピュラリティが混在した珠玉の12曲は、どれも深い絶望の淵から這い上がった者だけが手を伸ばす希望の曙光に満ちており、逞しい成長を遂げた姿が如実に窺える。結成以来、七転八倒しながら独自の音楽性を模索し続けてきた彼らにとって、まさに活動序章における集大成的な作品と言えるだろう。ルーツ・ミュージックへの愛情を精神的な支柱とした尖鋭性の高い最新型ロックンロール、それがア・フラッド・オブ・サークルの真骨頂だ。だからこそ、彼らの奏でる至高の歌にはロックンロールの過去と未来を繋ぐ奇跡の一瞬がある。そしてそのロックンロールは、光の届かぬ闇から君を救う福音として煌々と眩い輝きを放っているのだ。(interview:椎名宗之)
深度の増したブルースを分母に置いた音楽性
──晴れてメジャー・デビューを果たしたわけですが、環境もだいぶ変わりましたか。
佐々木:自分たちが認識できる範囲ではそれほどでもないですね。今回のアルバムもこれまでと同じく、杉山オサムさんにエンジニアをお願いしてスタジオインパクトで録りましたから。こうした取材が増えたり、変化した面は有り難いことばかりですよ。
──バンドとしては、1月に新宿ロフトで行なった初のワンマンである種の区切りが付いた部分もありますか。
佐々木:ワンマンもファースト・フル・アルバムも大きな目標だったので、通過点と言うよりはひとつの大きな形を作り上げることができた達成感がありますね。
──本作『BUFFALO SOUL』は、そのワンマンを目前に控えた昨年末からすでに作業に取り掛かっていましたよね。
佐々木:ワンマンを終えた頃にミックスをやって、1月の終わりくらいに全作業を終了させたんですよ。プリプロはかなり前からあったので、自分としては凄く時間を掛けた印象がありますね。
──本作の収録曲ですが、絶望を出発点として希望へ向けて歩を進めるんだという強い意志を感じさせる曲が全体的に多いですよね。稲妻が希望へと導く象徴として描かれている『Thunderbolt』然り、明日への活路を見いだせるように遠い空へ祈りを込めた『陽はまた昇るそれを知りながらまた朝を願う』然り。こうした歌詞の世界観が本作におけるテーマなんでしょうか。
佐々木:それ自体がテーマと言うよりも、もっと自分の気持ちに忠実に楽しもうというのがテーマと言えばテーマでしたね。バンドを組むきっかけは遊びの延長だったし、当時は純粋に音楽を楽しむことがすべてだったんですよ。それを思い出して、歌詞を書く時ももっと本来の自分に立ち返るように努めたんです。今までの作風や物語性がどうのこうのはさておき、自分の資質をもっと出してみようと。僕自身、いろいろと思い悩む夜はあるけれど、翌朝には意外と開き直れている性格なんですよ。そういう自分らしさを歌詞に投影した結果、希望へと向かう歌が増えたように思いますね。
──佐々木さん自身はもともと内省的な性格なんですか。
佐々木:自分自身を俯瞰できないので何とも言えないですけど、恐らくそうなんじゃないですかね。引っ越しの多い家庭だったから幼馴染みもいなかったし、親も単身赴任で家を空けることが多くて、自分の感情をぶつける相手が少なかったんですよ。そんな僕にとっては、歌詞や曲を作ることが自分の感情をダイレクトにぶつけられる手段なんだと最近になってようやく思えたんですよね。せっかくぶつけられる手段があるのなら、思いきって全力を出し切ろうと思って。
──佐々木さんの言う"純粋に音楽を楽しむこと"というのは、ブルースを分母に置いた骨太なロックというこれまでの音楽性からも脱却して、もっと自由な表現を打ち出したかったということですか。
佐々木:いや、ブルースを分母に置いた音楽性から脱却したのではなく、むしろそれがより深まった気がしているんですよ。『泥水のメロディー』の頃は余りブルースにとらわれているのもどうかと思っていたんですけど、あの頃はブルースの本質をまだよく理解できていなかったんですよね。3コードで日常の憂鬱なことを弾き語ることばかりがブルースじゃなくて、喉元を振り絞って唄ったり、ギターを爪弾くことにもどれだけ全力で自分らしさを出すかっていうところで勝負する...それこそがブルースだと僕は思うんですよ。プライドを持って自分自身をありのまま体現する音楽こそがブルースと言うか。だから僕らもブルースという表現形態を捨てたわけじゃなくて、自分たちなりにブルースを追求した結果、ブルースっぽい音楽ではなくブルースが根底にある音楽を奏でたいと考えたんです。
──ブルー・ノート・スケールを用いた形式的なブルースではなく、もっと本質的なブルースに肉薄しようということですね。
佐々木:そういうことです。以前からそうした思いはあって、それがやっと突き詰められたんじゃないかなと。突き詰めたのか変化したのかは判らないですけど。
──そういう意識はメンバー全員で共有していたんですか。
佐々木:どうだろう。ブルースに対する解釈を話し合ったことはないですけど、曲作りをもっと自由に楽しもうという認識は4人に共通してありましたね。
いしわたり淳治のプロデュースから得たもの
──『泥水のメロディー』のレコ発ツアー中にも関わらず、毎月3曲ずつ新曲を作ることを自分たちに課していたそうですね。
佐々木:やってましたね。他のバンドと比べたらハイ・ペースなのかどうか判らないですけど、僕らは基本的に曲作りが遅いので、そのペースでも精一杯だったんですよ。
──本作では『Thunderbolt』、『Buffalo Dance』、『陽はまた昇る〜』の3曲でいしわたり淳治さんをプロデュースに迎えていますが、これはバンドを客観視する腕利きの存在に自分たちの未知なる力を引き出してもらう意図があってのことですか。
佐々木:まさにその通りです。『泥水のメロディー』を作り終えてからこの『BUFFALO SOUL』のレコーディングに入る直前くらいまでは混沌としていた時期があって、メンバー間で曲作りの意見交換をするにも人間ごとぶつかり合うような不器用さが絶えずあったんですよ。そういうモードから脱却するためにも、客観的な視点が欲しかったんです。ブルース・ロックという太い幹は揺るぎないものとして根底にあるから、そこからどう発展的に広げられるかが課題だったんですよね。それには外部の血が必要だろうという結論に達して、淳治さんの力を借りることにしたんです。
──いしわたりさんが組んでいたスーパーカーはお好きでしたか。
佐々木:好きでしたね。解散ライヴのチケットを入手できずに行けなかった悔しい思い出もありますし。ダフ屋に5万円って言われたんですけど、そんな大金を高校生が用意できるはずもなく(笑)。
──いしわたりさんなら自分たちを面白く料理してくれるだろうという読みはありました?
佐々木:淳治さんがプロデュースを手掛けたチャットモンチーや9mmパラベラム・バレットを聴いて、どちらもポップに振り切った印象を受けたんですよ。だから余計に僕らをどう料理してくれるのかが楽しみだったんですけど、具体的に何かを期待する感じではなかったです。
──実際の現場はどんな感じだったんですか。
佐々木:淳治さん自身が現場を楽しむことに意識的だったのが良かったですね。「楽しい現場じゃないと良いものは生まれない」というのが淳治さんのモットーで、さっき言ったようにもっと純粋に音楽を楽しもうとしていた僕らのモードとうまく合致したんです。そこで良い相乗効果が生まれたと思いますね。やっぱり楽しもうとする気持ちがないとメンバー間のリレーションもギスギスしたものになるし、曲作りに対して貪欲に楽しむ意識や自由度の高さがあったので、作業も円滑に進んでいったんですよ。技術的にどうこうというのではなく、現場を楽しむことの大切さを淳治さんから学べましたね。
──私見ですが、『Thunderbolt』はバンドのタイトなアンサンブルがより引き締まった感じだし、『Buffalo Dance』は『世界は君のもの』で見られたダンサブルな要素が一段と増しているし、『陽はまた昇る〜』の雄大なスケールは新機軸だし、いしわたりさんの起用はまさに吉と出たと思うんですよね。
佐々木:淳治さんからは「今までのフラッドは格好良くしすぎていた」とよく言われていたんですよ。「本来の音楽的な志向も判るし、今のままでも充分に格好いいんだから、引き算をしよう」と言われて、なるほどなと。その3曲は特に、贅肉を削ぎ落として至上の楽曲を突き詰めることができましたね。『陽はまた昇る〜』はもともとあった曲に手を加えて作り上げたんですけど、もっと自分らしいテーマに振り切ろうと思ったんです。「自分が率直に感じることをそのまま唄えばそれでいいじゃん」と淳治さんに言われたこともあって、今までにはない視点で曲作りができた自負があるんですよね。
──仰る通り、『陽はまた昇る〜』はバンドのポテンシャルを広げたエポックな楽曲だと思いますよ。
佐々木:この曲に取り組んでいた時は、サウンドのスケールが奥深い海外のバンドを淳治さんが聴かせてくれたんです。今までの自分たちには直接の影響下になかった音楽を聴いて触発された部分はありますね。
荒れ狂う猛牛に今の自分たちを重ね合わせた
──文字通り猛牛の如き獰猛さがリズムとビートに刻み込まれた『Buffalo Dance』は、アルバム・タイトルとリンクしていますよね。
佐々木:"Buffalo"をテーマにした歌詞を作ろうと漠然と思っていたんですけど、最初はいろんな要素を詰め込みすぎていたんですよね。そこから引き算して残ったのが"Buffalo"と"Dance"というキーワードだったんですよ。そこからもっと遊び心を採り入れようと思って雄叫びを入れてみたり、リズムも趣向を凝らしてみたりすることにしたんです。
──『ブラックバード』は黒い鳥だし、『ガラパゴス』は象亀、『象のブルース』は象、『ロシナンテ』は馬、『シーガル』は鴎...と、いつまでこの動物シリーズが続くんだろうと思いますが(笑)。
佐々木:確かに(笑)。なんでこんなに動物をモチーフとしているのかは今も自己分析できていないんですよ。自分自身を反映しているのかもしれないし、純粋なものに憧れる部分も多分あると思うんですけど。動物は人間のように邪念を持たないし、一心不乱に希望へと突き進む歌詞のモチーフとして投影しやすいんじゃないですかね。
──"Buffalo"=野生の牛というモチーフはどこから生まれたんですか。
佐々木:『Buffalo Dance』のサウンドがアメリカン・ロックっぽい感じだったんですよ。アメリカと言えば広大な荒れ地、広大な荒れ地と言えば野生の牛...みたいな連想ですね。
──今年が丑年なのは関係ないですか?(笑)
佐々木:それはたまたまですね(笑)。
──荒れ狂った猛牛が後脚の蹄で土を蹴り上げながら突進していく様が今のバンドの勢いとも重なるし、まさに言い得て妙な暗喩ですよね。
佐々木:今の自分たちを表す象徴的な言葉だと思うし、だからこそ作品のテーマとして絞り込めた気がしますね。
──『ブラックバード』を再録したのは、今まで以上に数多くの人たちに聴かれるであろうメジャー・デビュー・アルバムに自分たちの代表曲を収めておきたかったからですか。
佐々木:それもあるし、ヴァラエティに富んだ楽曲が揃ったアルバムの中で自分たちの出自であるブルース・ロックの要素を入れておきたかったんですよね。『ブラックバード』とセッションの2曲はその役割を担っているんです。ファースト・フル・アルバムとしての芯を通すためにも『ブラックバード』は不可欠だったんですよ。
──『ブラックバード』の新録を聴くと、この2年間地道に育んできたライヴでの経験値の高さが如実に窺えますよね。
佐々木:『ブラックバード』は結成当初からライヴでやり続けてきた曲だし、細かい変化だけどだいぶ逞しい成長を遂げていると思いますね。
──考えてみれば、この『ブラックバード』も他の収録曲と同じように絶望を出発点とした希望の歌ですよね。"未来"を連呼して"黒い鳥の声が朝を待っている"わけですから。
佐々木:ああ、確かに。そこは狙ったことにしておいて下さい(笑)。
──ははは。鳥はやはり自由の象徴といったところですか。
佐々木:そうかもしれないですね。ただ、淳治さんからは「"If I were a bird, I would fly to you."という惹句は昔の人がやり続けてきた表現だよ」と言われたんですけどね。『Buffalo Dance』の中でコンドルを登場させたり、モチーフに対して鳥を使うのはいいと思うけど、って。
──『ブラックバード』と同じく鳥をモチーフにした『シーガル』は疾走感に溢れた小気味良いナンバーだし、アルバムの1曲目にはうってつけですよね。
佐々木:1曲目をどれにするかは結構悩んだんですけど、今の自分たちの芯を感じさせる象徴的な曲という意味で『シーガル』を選んだんです。先にライヴ・ヴァージョンをシングルとして出していたし、新曲は常にライヴから生み出すというバンドのポリシーとも合致すると思ったんですよ。鮮度が高くて勢いのあるサウンドにするというアルバムのテーマ、絶望の果てに明日へ手を伸ばすというアルバム全体の世界観を象徴している曲でもありますからね。
──ライヴ音源の話が出たので伺いますが、ライヴでも人気の高い『プシケ』を本作に収録しなかったのは何故なんでしょう。
佐々木:『プシケ』は結成当初からあった曲で、いずれフル・アルバムを作る時には必ず入れるだろうと自分たちでも考えていたんですよ。ただ、『プシケ』でやるメンバー紹介はライヴ・アルバムのハイライトでもあるし、あれを超えるのはなかなか難しいのかなと(笑)。今回は新曲の出来に手応えを感じていたこともあって、『プシケ』のような古い曲を入れようという話は他のメンバーからも出てこなかったんですよね。
希望だけは忘れずに常に遠くを目指したい
──『session #1』、『〜#2』と題されたインタールードを挟むことでトータル・アルバムとしての完成度を高めていますが、このセッション2曲はもう少し長く聴きたかったですね。
佐々木:まぁ、あれくらいの長さがいいのかなと思って。『session #2』では岡庭(匡志)がアコギをスライド・バーで弾いてドブロっぽい音を出しているんですけど、ドブロはいつかちゃんと弾きこなしたいと思っているんですよ。音色も面白いし。
──ああいうセッションから楽曲を形作っていくことはよくあるんですか。
佐々木:リフを投げてみんなの反応を窺うことはよくありますね。
──リハーサルも延々とジャム・セッションをしてみたり?
佐々木:リハは今まで結構カッチリやっていて、リハにセッションを導入するようになったのは割と最近なんですよ。長尺のインストを聴いてみたいと周囲から言われることが多いので、ジャム・セッションからインストを作ることにもいずれ取り組んでみたいんですけどね。
──フラッドはインストを作るにしても冗長さを排した簡潔な作風になりそうですけど。
佐々木:みんな3分台のポップ・チューンが好きですからね。古典的なブルースも長い曲は少ないですし。まぁ、それは当時のレコーダーの機能もあったんでしょうけど。無闇に長い曲は今の自分たちのサイズとは合わない気がするんですよ。必然性を感じればいずれやってみようとは思いますけどね。
──『シーガル』から『ブラックバード』までがアナログ盤で言うA面、『陽はまた昇る〜』から『ノック』までがB面という構成の捉え方ができると思うんですよ。A面には従来の持ち味をふんだんに盛り込んだ曲を、B面には今後の新たな方向性を提示している曲をそれぞれ配置しているように感じられるんですが。
佐々木:そこまで意識したわけでもないんですけどね。ただ楽曲に関しては、ブルースが音楽的な形式にとらわれない精神的なものだと理解する前と後という大別の仕方はできると思います。ブルースという幹を崩さない勢いのある曲は前半に並べてありますけど。
──躍動感に充ち満ちた『春の嵐』を筆頭として、後半はいわゆる歌モノとしても充分機能している曲が多いですよね。
佐々木:『春の嵐』は個人的にも凄く気に入っているんですよ。最初はもっとはっぴいえんどっぽく、冒頭のまったりしたパートが延々と続く感じだったんです。それがある時、途中からテンポを速くしてみたら今までやったことのない面白い展開になったんですよね。
──冒頭と最後の演奏から察するに、アコギを元に作られた曲なんですか。
佐々木:僕の弾き語りから生まれた曲ですね。やっぱり、アコギの弾き語りはブルースの基本ですから。戦前のブルースの8割方はこの『春の嵐』のようにメジャー・キーを使っていて、暗い曲は意外と少ないんですよ。そういう本来のブルースとJ-POPっぽさがいい具合に組み合わさった曲なんじゃないかなと。だから表向きには全然ブルースらしく聴こえないでしょうけど、自分の志向を貫いた音楽性という意味でこの曲も自分の中では間違いなくブルースなんです。
──この曲は春を題材としていますが、四季の折々で曲が生まれやすい時期はありますか。
佐々木:季節の変わり目は曲作りのインスピレーションを与えてくれる気がしますね。嵐が訪れた後よりも、嵐が訪れる前の晩のほうが曲にしやすいですし。何かが起こるような胸の高鳴りと、どうせ何も変わりやしないんだという諦めが交錯する感覚がありますから。『春の嵐』では拭いきれない悲しみを抱きながらも明日を思い描くと唄っていますが、実は『シーガル』でも同じことを唄っているんですよね。
──ああ、『シーガル』のサビは"明日がやって来る それを知ってるから またこの手を伸ばす"という歌詞ですからね。それでもなお明日に向かって手を伸ばそうとするところに強靱な意志を感じますけど。
佐々木:でも、ホントはそこまでの力強さはなくて、諦めにも似た感覚のほうが強いのかもしれないです。不甲斐ないまま進歩がなくても明日はやって来てしまうっていう。ただ、それでも希望だけは忘れずに常に遠くを目指していたいんですよね。
自分のやりたいようにやるのが一番の正解
──『僕を問う』は、内向的な歌詞とは裏腹にファンク的な要素もある踊れるナンバーですね。
佐々木:これは石井(康崇)と渡邊(一丘)のリズム隊2人が引っ張ってくれた曲で、ちょっとニュー・ソウルのテイストを出してみたかったんですよ。岡庭もチャカポコとワウを踏んでみたりして。
──この『僕を問う』や『エレクトリック ストーン』に顕著ですが、リズム隊の繰り出す有機的なグルーヴは本作における特筆すべき点のひとつですよね。
佐々木:そうなんですよ。かなり目覚ましい成長を遂げたと思うし、それぞれのキャラがだいぶ立ってきたんじゃないですかね。以前と比べて石井と渡邊もアレンジのアイディアを出してくるようになって、アレンジもいい具合に4等分でやれている気がします。
──それもまた、いしわたりさんとタッグを組んだ成果なんでしょうか。
佐々木:そうですね。各々がレコーディング中に何度も壁にぶつかっていましたし。リズム隊はダメ出しのあった次の日に寝ないで練習してきて、そのままレコーディングへ突入することもあったんですよ。そういう意識の面でも着実に変化があったし、それに伴って演奏も確実に上達したと思うんですよね。
──屋台骨を支えるリズム隊が鉄壁になればなるほど、上物であるギターと歌はより自由度が増すという相乗効果も生まれますよね。
佐々木:僕と岡庭は逆に追い込まれて責任が重くなって、もっと練習しなくちゃと思うわけですよ。それがまた良い効果を生んで、結果的に音楽を楽しむモードへと繋がっていったんです。
──『ラバーソウル』はライヴ・シングルのカップリング曲として初めて聴いた曲に少々地味な印象を受けましたけど、こうしてスタジオ録音されたものを聴くと輪郭の際立った佳曲であることがよく判りますね。
佐々木:『ラバーソウル』もライヴで育んでいった曲ですね。もともとは"オー、イェイ!"というコーラスありきの曲を作りたくて、これも石井と渡邊の骨太なリズムが功を奏していると思います。
──佐々木さんの歌も見違えて成長の跡が見受けられますよね。『陽はまた昇る〜』や『ノック』ではファルセットを用いた伸びやかな歌声も聴けるし、従来の吐き捨てるような唄い方の他にもまだまだいろんな引き出しがあるんだなと思って。
佐々木:がなるように唄うそれまでの発声法をどう発展させていこうかという妙なストイックさが今まではあったんですけど、そんなことよりも自分のやりたいようにやることが一番の正解だと思うようになったんですよね。今までならキーで制限していた部分も、上がったままでファルセットを使えばいいじゃないか、そこに必然性があるならばそれでいいんじゃないかっていう。
──何ひとつ無理をしていないところがいいんでしょうね。『陽はまた昇る〜』も地に足の着いた唄い方で、だからこそ余計胸に迫るところがあると思うし。
佐々木:新しいアプローチができた手応えはありますね。『陽はまた昇る〜』も、今までならキーをひとつ下げて地声でがなっていたと思うんです。それを敢えてせずに、曲の持ち味を引き出すための最善策を優先して考えるようになったんですよ。
──『陽はまた昇る〜』に限らず、どの曲も丁寧に唄い込んでいるように感じますね。
佐々木:歌は凄く大事に録りましたからね。どの曲もかなり唄い直したんですけど、淳治さんにプロデュースしてもらった3曲は比較的少ないテイクでOKだったんですよ。淳治さんはテイクを重ねるのは余りやりたくないみたいで。何度も録ると疲れるっていう単純な理由なんですけど(笑)。
──個人的には、アルバムの最後を飾る『ノック』が表面的なブルースからの脱却を最も印象づけた1曲のように思えましたが。
佐々木:うん、僕もそう感じていますね。サビで前向きなことを書けたのはこの曲が初めてだったし、ブルースという概念にとらわれないブルースをようやく作り上げることができたと思います。その意味でも凄く気に入っている曲ですね。ただ、この曲は遙か昔に一度ボツになったんですよ。それが徐々に演奏できるようになってきて、ライヴでも復活して、今回このファースト・フル・アルバムに収めることができたという敗者復活の歌なんですよね。自分たちが少しはまともな演奏をできるようになったからこそ、聴き手に対しても力強いノックをできるような仕上がりになったんじゃないかなと。曲が変わったというよりは、自分たち自身が変わったような気がします。
無意識から明確で揺るぎない意識への変化
──経験を積んでいくに従って、楽曲の良し悪しを測る基準点も自ずと変わっていくものですよね。
佐々木:そうでしょうね。ブルース・ロックの雛型を模倣した新曲を作ることは今のところ禁じ手にしていますけど。
──でも、本作に収録された形だけのブルースにとらわれない楽曲の数々を聴くと、この先どんな音楽的要素を盛り込んだ楽曲を生み出しても受け入れられるように思えますけどね。フラッドの曲にはどれもブルースの精神性が通底しているわけですから。
佐々木:そう思いますね。だから今は何も臆することなく曲作りに励みたいんですよ。
──『ノック』の歌詞にある"この心臓を鷲掴みにする手"は、『シーガル』の明日へと伸ばす"この手"と同じじゃないかと思ったんですよね。どちらもまだ見ぬ明日へと手を伸ばしたり、次の世界を開くために果敢にノックしているし、最初と最後が同じ手で結ばれているような気がして。
佐々木:ああ、なるほど。それも狙ったことにしておいて下さい(笑)。でも、誰かからも『シーガル』と『ノック』の繋がりについて指摘されたんですよね。無意識のうちに何か意図する部分があったのかもしれません。
──この『ノック』もまたアコギを基調として作られた曲ですよね。
佐々木:もともとアコギの弾き語りの曲で、それをどんどん膨らませていきました。展開は余り変えなかったんですけどね。弾き語りから派生した曲は、弾き語りでは成し得ないくらいに変化したほうが面白いと個人的には思っているんですよね。最近は最初から弾き語りとして完結した曲をメンバーに聴かせるよりも、その部分を抽出してみんなに聴かせてどう感じるかを窺うことにしています。メロディも歌詞も、メンバー各自との相互作用で積み重ねていきたいと今は思っているので。
──こうしてファースト・フル・アルバムを作り終えて、メンバー各人の意識の変化もかなりあったんじゃないですか。
佐々木:だいぶ変わりましたね。まぁ、意識的にも技術的にもまだまだだなと感じるところのほうが多いんですけど。ただ、自由度の高い制作環境の重要性だったり、ブルースに対する本質的な解釈だったり、レコーディングしながらだんだんと気づけたことが今回はたくさんあったんですよ。このアルバムを完成させて初めて"BUFFALO SOUL"という自分たちなりの指針が出来たので、ここから先もまたどんどん変化していくんだろうなとは思っています。
──これだけ聴き応えのある作品を作り上げれば、更なる高みに達したいと貪欲になるのは当然のことですよね。
佐々木:貪欲にもなるし、更なる高みに達するためにはもっとスキルを磨かないとダメなんですよね。結成から3年経って改めて思うのは、やっぱり僕らは救いがたいほどに演奏がヘタクソなんだなってことですから(笑)。貪欲になれたからこそどれだけヘタクソなのかが理解できたとも言えますけどね。今の自分たちに足りないものは何なのかがより明確になってきた気もするし。
──他のどのバンドとも似ていない、ア・フラッド・オブ・サークル独自のブルース・ロックを提示できたことが本作における最も大きな意義なのかもしれないですね。
佐々木:そうですね。自分たちなりのブルース・ロックはもしかしたらずっと前から奏でていたのかもしれないけど、そのことに今回初めて意識的になれたのが意義として大きいですね。記念すべきファースト・フル・アルバムで無意識に始めたことが明確で揺るぎない意識になったことが凄く大きいと思います。今回のファースト・フル・アルバムはこの先ずっと大きな壁として立ちはだかるような作品にしたいと漠然と考えていたし、実際それだけの内容になったと思うんですよ。
──確かに。それを乗り越える自信はありますか。
佐々木:プレッシャーは正直ありますけど、バンドの在り方や曲作りに向かう姿勢に対して自覚的になれたぶんだけ思いきり楽しみたいですね。まずは自分たちの最深部をもう一度確認してから広げていきたいと思っています。自分自身に立ち返ることがブルースなんだという認識を4人で共有した上で、音楽を純粋に楽しむことを忘れずに独自の音楽性を突き詰めていきたいです。