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INTERVIEW

トップインタビューBlankey Jet City('08年12月号)

“BJC RESPECT”!
更なる進化をし続ける3人の1991-2000!

2008.12.01

 ブランキー・ジェット・シティが解散してから早8年が経った。だがその不在の欠落感は埋まるどころか、ますます大きくなっているように思える。この8年間、ブランキーの存在感に匹敵するようなバンドはひとつも出てこなかった。
 ブランキーはつねに、タフで男臭いロックンロール・バンドとしての一面と、壊れそうに繊細で純粋な少年のような一面が違和感なく同居していた。バイクを乗り回しチェーンを振りかざし放埒な自由を謳歌する筋金入りの不良たちが、飼っていた猫の死を嘆き、白くてやわらかな翼が欲しいと願い、ソーダ水の粒のような楽しげな少年の日々を思い、心を病んだ友人に対して冷たい態度をとった自分を責める。その底にあるのは、自らの純粋性が失われ汚いオトナになっていくことへの恐れであり、それゆえ自分の居場所がどこにもないという孤独と空虚である。彼らの飾らぬ、だが研ぎ澄ました刃のような言葉は人間の真実の感情を容赦なく抉りだす。だからブランキーの音楽には、形式を越えて、誰の心にも、その奥底まで届くような強さと鋭さ、そして優しさがあった。
 彼らの音楽には、3人の男たちが声と楽器という武器でもって、常にギリギリの真剣勝負を繰り広げているような緊張感があった。生身の人間同士がぶつかり合う葛藤、闘いから生まれるエネルギーと激しい感情が、彼らのロックだった。彼らのライヴにはいつも、音を使って殴り合いのケンカをしているような張り詰めた雰囲気があった。特に初期は、息をするのも、しわぶきひとつ立てるのもはばかられるような、それこそ胃が痛くなるような緊張感があった。演奏が終わっても観客は拍手をするでも歓声をあげるでもなく、ただ黙り込むしかなかった。あまりの凄さに言葉を失ってしまったのだ。つまり彼らにとって音楽は、ライヴはノンキなお楽しみではなく、自らの実存を賭けた、生きるか死ぬかの戦いだった。そんなバンドは、彼らしかいなかったし、その後も現れていない。
 SHM-CDで蘇る、その凄絶なる魂の格闘の軌跡。彼らのロックは歴史の点景ではない。現在進行形のリアリティである。初めてブランキーを聴いたとき、私はもう30歳を超えていた。だがもし10代の時に聴いたら、その後の人生を左右されるような決定的影響を受けたと思う。今の若い人にも、その首の骨が折れるほどの衝撃をぜひ体験してもらいたい。
(小野島 大)



History of BJC 1991〜2000


 1987年2月、浅井健一(vo, g)、照井利幸(b)、中村達也(ds)の3人により、ブランキー・ジェット・シティは結成される。
 1990年8月、TBSの音楽番組『イカ天』に出演、当時の音楽ファンや音楽業界にセンセーショナルを巻き起こし、デビュー前に山本耀司パリコレのモデルやウォークマンのCM出演等のオファー。
 1991年4月、デビュー・アルバム『Red Guitar and the Truth』を東芝EMI(現・EMIミュージックジャパン)から発表。オリコン初登場8位。
 プロデューサーに土屋昌巳氏を迎え、1992年1月にアルバム『BANG!』を発表。
 1993年2月、当時最高傑作と謳われたアルバム『C.B.Jim』を発表、12月には早くもミニ・アルバム『METAL MOON』を発表する。
 1994年5月、女装のジャケットも話題になった『幸せの鐘が鳴り響き 僕はただ悲しいふりをする』を発表。同年12月には初の武道館ライヴを成功を収める。
 1995年3月、彼等らしいベスト・アルバム『The Six』を発表し、6月からイングランドでのライヴ・ツアーを開始、8月に日本に帰国。代々木公園野外ステージにて『Are You Happy?』と題された伝説のフリー・ライヴを敢行し、13,000人を動員。さらに11月にアルバム『SKUNK』を発表する。
 1996年にメンバーそれぞれが各ソロ・プロジェクトを始動。浅井は"Sherbet"、照井は"Joe Brownn"、中村は"Love Shop Losalios"として各々作品を発表。
 1997年にポリドール(現・ユニバーサルミュージック)へ移籍。強烈なインパクトの移籍第1弾シングル『ガソリンの揺れかた』を収録した初のセルフ・プロデュース・アルバム『LOVE FLASH FEVER』を発表。その後も精力的にシングル作品を発表し続け、『赤いタンバリン』や『左ききのBaby』など、続々とヒット・チューンをドロップ、オリコン・チャートも常に上位を獲得。音専誌はもちろん様々なファンション誌等のカヴァーを飾る。
 1998年6月、アルバム『ロメオの心臓』を発表し、発売初週に30万枚以上のセールスを記録。
 1999年、再びソロ・ワークにシフト。浅井は"Sherbets"、照井は"JIM SPIDER"、中村は"Losalios"という名義。
 そして、2000年5月10日にアルバム『HARLEM JETS』を発表と同時に解散を表明。7月にラスト・シングル『Saturday Night』を発表し、7月8日・7月9日に横浜アリーナにて最終公演"LAST DANCE"を行う。その後、同年のフジロック・フェスティヴァルにおけるグリーン・ステージでのヘッドライナーを務め、それが実質のラスト・ステージとなる。"Last Dance"は2CD & DVD化され、驚異的なセールスを記録。東芝EMIとポリドール2社同時に発表したベスト・アルバムは"白盤""黒盤"と称される。



Blankey Jet City
Complete Discography
〜BJC全アルバム12タイトル紙ジャケSHM-CDリイシュー〜


Red Guitar and the Truth

TOCT-95011 ¥2,800 (tax in)
1991年4月12日発表


 文字通りブランキーの原点。後にさまざまに広がっていった彼らの世界はすべてここに原型がある。
 ロンドン録音だが、プロデューサーとの折り合いが悪く、無意味なテイクを何度も重ねた結果、楽曲から一番大事な初期衝動が失われてしまったとして、メンバーは本作の出来ばえには不満を持っているようだ。
 しかし浅井健一の純粋で真っ白な内面世界を率直で飾らぬ言葉とダイナミックかつ繊細な演奏で完璧にあらわし、もう2度と戻らない彼らの青春性を体現した傑作という評価は揺るがない。
 言葉のひとつひとつは幼く未成熟だが、それゆえ鋭く抉るように痛みと孤独と絶望の念が聴き手の心に突き刺さっていく。
 アマ時代から練り上げてきた楽曲の完成度は高く、のちのちまで重要なライヴ・レパトリーとなった曲をいくつも含むという点で、バンド史上の最重要作と言うことができる。
 名曲揃いだが、『あてのない世界』の寂寥感と透明な悲しみは、まさにこのバンドの真骨頂。

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BANG!

TOCT-95012 ¥2,800 (tax in)
1992年1月22日発表


 3人の男たちが声と楽器という武器でもって、その全存在を賭け、ぎりぎりまで研ぎ澄ました剥き出しの肉体と精神を、まるで傷つけ合うことだけが生の実存の確認なのだと言わんばかりに、血を流しながら容赦なくぶつけ合い、闘う。その凄絶なる葛藤と狂気の果てに出現した奇跡である。  初期ブランキーの最高傑作にして、日本ロック史上に永遠に残るマスターピース。  『ディズニーランドへ』を初めて聴いたときの異様な衝撃。その痛みと悲しみを、ぼくは生涯忘れないだろう。  前作の制作過程に不満を持ったメンバーが主導権をとり、土屋昌巳をプロデュースに迎えたオール・アナログ・レコーディングによる渾身の一作。元ブロックヘッズのミッキー・ギャラガー(kbd)らも控えめながら的確なサポートを聴かせる。  『ディズニーランドへ』で頂点に達した、凍て付くような緊張感がゆっくりと溶解し解放されていくような終曲『小麦色の斜面』への流れも完璧な1時間。

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THE BLANKEY JET CITY LIVE!

TOCT-95013 ¥2,400 (tax in) 1992年9月30日発表


 ぼくの見たブランキーのライヴでもっとも印象的だったのは、『Bang!』のロンドン録音から帰国してわずか2日後の91年10月5日に東京・渋谷公会堂でおこなわれたものだった。音楽による闘争。3人の戦士たちによる徹底して辛口でストイックでハードな演奏は、このバンドの真価は安易な融和や調和ではなく、メンバー同士が激しくぶつかり合い傷つけ合う、その凄まじい葛藤と軋轢の果てに初めて達成されるという事実を、骨の髄まで知らしめる衝撃的なものだったのである。そのあまりに悲痛で張り詰めた音という名の暴力の前に、観客はただ黙り込むしかなかった。
 本作はその少しあと、『Bang!』発表後の92年5月のライヴで、黄色い歓声も聞こえやや華やかな雰囲気になっているが、濃厚かつヒリヒリとした緊張感に彩られた初期のライヴの鉄火場的ムードを生々しく伝える。
 デビューしてしばらくは達也が一人で引っ張っていた感のある3人のバランスも良くなっている。

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C.B.Jim

TOCT-95014 ¥2,800 (tax in)
1993年2月24日発表


 ブランキーの転機となった3作目。
 アマチュア時代から書きためた楽曲を前作で使い果たし、今作から"アルバム制作のための曲作り"を強いられることになって、特に浅井の詩風が変わった。
 これまでの自らの実体験に基づいた血を流すようなリアルな自己告白的な歌詞から、映画の一場面を思わせるような映像的なイメージを喚起するものへと変化した。
 数多くのクラブ・サーキットや土屋昌巳とのさらに緊密なコラボレーションによって、バンド演奏はさらにタイトに、ソリッドになり、初期のパンクやロカビリー、叙情的なニュー・ウェイヴといった影響を完全に消化し、さらにスケールの大きなロック・バンドの表現を実現している。
 その最良の成果がライヴの定番となった『Punky Bad Hip』と『D.I.J.のピストル』である。爆裂度と、聴く者を狂わせる焦燥感は前作以上だ。インディで発表され大きな反響を巻き起こした大作『悪いひとたち』はセンサード・ヴァージョンで収録。

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METAL MOON

TOCT-95015 ¥1,800 (tax in)
1993年12月1日発表


 前作から10ヶ月の間をおいてリリースされた6曲入りミニ・アルバム。初めて全曲が浅井健一の作詞曲となった。
 緊迫した4ビートのジャズでスタートしてヘヴィなロックに急展開する『おまえが欲しい』は歌詞もサウンドも衝撃的。得意のロカビリー調の曲調に錯綜したイメージが散乱する『Sweet Milk Shake』、エコー&ザ・バニーメンあたりのメランコリックなニュー・ウェイヴ色の強い『Orange』、ドブ泥をのたうちまわる青春を歌う『脱落』、純粋な愛とすべてを焼き尽くす破壊衝動の対比を鮮やかに示す『綺麗な首飾り』、人間の業と悲しみを歌う悲痛な『鉄の月』と、コンパクトな内容ながら密度は濃い。
 アコースティック色の強い落ち着いたサウンド・プロダクションが主で、彼ららしいぶち切れた爆発感や暴走感という点では控えめだが、浅井の繊細な歌心と大胆なギター・プレイが冴えている。
 内容を象徴したアートワークも秀逸だ。

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幸せの鐘が鳴り響き 僕はただ悲しいふりをする

TOCT-95016 ¥2,800 (tax in)
1994年5月25日発表


 前作からわずか5ヶ月後に発表された第6作。前作に続き全曲を浅井健一が作詞曲している。
 タワー・オブ・パワーのホーン・セクションやリトル・フィートのビル・ペイン、サム・クレイトンなど豪華ゲストが参加し、LA〜東京〜ロンドンと往復しながら作られた。
 曲によってはかなり分厚いホーンやストリングスがフィーチュアされ、ロッキンでパンキッシュな典型的ブランキー節とはかけ離れたジャズ/ファンク/ラテン色の強いサウンドが展開される。プロデューサーの土屋昌巳の色が強く出たとも言え、彼らの作品中でも異色のアルバムである。  さらに『青い花』では、これまでになくポップで開放的な曲調で、一人称複数を使ったメッセージ色の濃い歌詞を聴かせるなど、ブランキーの新しい面を示した。
 『風になるまで』は浅井健一の書いた楽曲の中でも屈指の名曲。女装したメンバーの写真を使ったアートワークも話題になった。本作よりバンド名から定冠詞の『The』がとれた。

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The Six

TOCT-95017 ¥2,800 (tax in)
1995年3月1日発表


 『幸せ〜』のあとに発表された初のベスト盤だが、全曲リマスターされ新曲・新録を6曲収めるなど、ディープなファンにも見逃せない内容となっている。
 目玉は、メンバーが仕上がりに不満を持っていた『Red Guitar〜』からの4曲で、すべて土屋昌巳をプロデュース/アレンジに迎えた再録音ヴァージョンとなっている。
 いずれもアレンジを大幅に変えており、ストリングスをバックに浅井がひとり生ギターで弾き語る『ガードレールに座りながら』、オリジナルからさらにテンポを落としヘヴィなギター・ロックに仕上げた『胸がこわれそう』、ジャズ風にアレンジしタイトルも『Rude Boy』と変えた『不良少年のうた』、ロカビリー風の『僕の心を取り戻すために』と、この時期の彼ららしい多彩でひねったサウンド・プロダクションが興味深い。
 新曲『Girl』『自由』のほか『悪い人たち』の完全ヴァージョンも収録。前期の集大成として妥当な内容と言えるだろう。

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SKUNK

TOCT-95018 ¥2,800 (tax in)
1995年11月22日発表


 第7作にして中期の最高傑作。大量にゲスト・プレイヤーが参加し脱ロックをはかった前作の反動か、まるで初期に戻ったかのような徹底してソリッドでタイトでフィジカルなロックンロールを、贅肉を極限まで削ぎ落とした3人だけの演奏で全面展開している。
 メンバーの全裸写真を配したアートワークも、そうして虚飾を脱ぎ捨てハダカになった彼らを象徴している。デビュー以来最長の1年半の準備期間をおいたこともあり、楽曲の粒も揃った。
 『Skunk』『Dynamite Pussy Cats』など、ブランキー以外には表現し得ない、底なしの孤独と空虚と狂気を容赦なく抉り出していくような痛々しく切実で緊迫した世界が繰り広げられる。まさにブランキーの真骨頂であり、後期の飛躍に向けてのステップとなった重要作と言える。
 決定的名曲『15歳』を含む10曲。EMIでの最後の作品であり、また『BANG!』以来続いた土屋昌巳とのコラボレーションもこれが最後となった。

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LOVE FLASH FEVER

UPCH-9450 ¥2,800 (tax in)
1997年6月18日発表


 前作から1年7ヶ月ぶりの8作目。ポリドール(現ユニバーサル)移籍第一弾にして、初のセルフ・プロデュース作品であり、3人のソロ活動を経ての、バンドにとっても心機一転の一作と言える。  エンジニアに南石聡巳を初めて迎え、これまで以上にタフで生々しい音像が展開され、前作までの緻密に作り込まれ磨き込まれたサウンドとは一転した荒々しく逞しいブランキー像を創出している。  その最良の成果が先行シングル・カットされた『ガソリンの揺れかた』である。レッド・ツェッペリンを思わせるダイナミックなロックもさることながら、『(自らの青春性、純粋性の拠り所であるところの)あの細く美しいワイヤーは初めから無かったよ』と断じてしまう歌詞も大きな話題となった。少年の脆さや儚さとは異なるオトナの骨格と表情を持ち始めたブランキーがそこにいたのだった。  浅井の訥々とした語りが静かな衝撃を生む『皆殺しのトランペット』など佳曲多し。

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ロメオの心臓

UPCH-9451 ¥2,800 (tax in)
1998年6月24日発表


 広々としたグラウンドで気持ち良さそうに野球に興ずる3人のメンバーを捉えたアートワークが印象的な9作目。
 『赤いタンバリン』『小さな恋のメロディ』と、バンド史上もっともポップでキャッチーなシングルが収められ、商業的にも大きな成功を収めたが、浅井による打ち込みのサウンドを導入した『スクラッチ』『Violet Fizz』といった新境地は(レディオヘッドの影響があったと伝えられる)、ブランキーらしいダイナミックなバンド・サウンドとはほど遠く、賛否両論を呼ぶことにもなった。
 そうしたことが影響してか、このころのバンドはいつ切れて墜落してもおかしくないようなギリギリの緊張感をはらんでいた。初めて達也が楽曲作りに絡んだ『ぼくはヤンキー』や『ロメオ』といった曲は、そうしたテンションがうまく作用した例だろう。
 アルバム全体としてはスロウからミディアム・テンポのメロディの美しい曲が多く、ブランキーの叙情性があらわれている。

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HARLEM JETS

UPCH-9452 ¥2,800 (tax in)
2000年5月10日発表


 再度のソロ活動を経ての2年ぶり10作目。
 本作の発売当日の新聞広告で解散告知がなされた。はたして本作にはブランキーの終わりを象徴する符丁があちこちにばらまかれ、ラスト・アルバムという覚悟をもってメンバーが制作に臨んだことが想像できる。
 浅井の手によるイラストを配したアートワークや歌詞には、ブランキーの世界を形作っていたさまざまな言葉やキャラクターが散りばめられ、音楽的にもこれまでの総決算と言えるサウンドが展開されている。
 とりわけ印象的なのは11分以上にも及ぶ大作『不良の森』で、くすんだ霧の中を彷徨うような曲調、モノクロの沈潜した映像が胸を締め付けられるような悲しみを感じさせるPVともども、なんともやりきれない寂寥感を漂わせ、ここがブランキーの最終到達地点であることが深く納得できる。
 おそらくは初めてファンに向けて語りかけた『Come On』の歌詞には、彼らの優しさがあらわれている。まさに最後の傑作。

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LAST DANCE

UPCH-9453/4(2枚組) ¥3,300 (tax in)
2000年9月20日発表


 2000年7月8〜9日、横浜アリーナにおけるラスト・ライヴ2デイズの1日目を完全収録したアルバム。2日目の模様は同名のDVDに収録されている。
 DVDはEMI時代のアルバムからの楽曲を中心とした内容で、本作はポリドール移籍後の曲が中心となっている。
 なおこの年フジ・ロック・フェスティヴァルのメイン・アクトで出演しているため、本当の最終ライヴはそちらだが、演奏の完成度、凝縮された密度とスピード感という点で、やはりこれを実質的なラスト・ライヴと見るべきだろう。
 これが最後という感傷めいた甘さなど微塵もなく、3人の男たちが己の肉体だけを頼りに闘い、燃え尽きていくさまが克明に記されている。とても解散ライヴとは思えないエネルギーだが、同時にこんなバンドが本来10年もの間長続きするはずがなかったと思い知らされもする。
 その壮絶なまでの自爆の一部始終。それ以来、彼らが座っていた王座は空位のままである。

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SPECIAL BOXプレゼント実施!

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Release info.

『BJC RESPECT』Vol.2、2009年1月21日(水)同時リリース!
EMIミュージック:BLANKEY JET CITYの未発表ライヴ音源を発掘、新たにロンドンでミックスを施して初回生産分のみ紙ジャケット仕様&高音質CD(SHM-CD)でリリース。BLANKEY JET CITY初期のステージの中で最もハイ・パフォーマンスであったと伝えられる衝撃の、幻のライヴがここに甦る!
ユニバーサルミュージック:オリジナル・アルバム未収録の楽曲に加え、未発売音源&未発表音源をコンパイルした"究極のレア・トラック集"。今では入手困難なシングルのカップリング曲やアナログ盤のみに収録されていたトラックを中心に選曲されたアルバムを初回生産分のみ紙ジャケット仕様&高音質CD(SHM-CD)でリリース。
続いて第3弾では『BLANKEY JET CITY 1991-1995』、『BLANKEY JET CITY 1997-2000』を初回生産分のみ紙ジャケット仕様&高音質CD(SHM-CD)で2009年2月にリリース予定。

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