Rooftop ルーフトップ

INTERVIEW

トップインタビューロリータ18号('08年11月号)

祝・ロリータ18号 結成18周年!
やりたいことだけやってきた18年間を振り返る!

2008.11.01

ロリータ18号結成18周年を記念して、今年の2月から偶数月の18日にロフトで行なってきたイヴェントも残すところ12月18日のファイナルのみ! バンド結成の経緯から今日に至るまで、波瀾万丈な18年を、ヴォーカルの石坂マサヨ嬢に振り返って頂きました。(interview:稲垣ユカ)

バンド名はあみだくじで、パート決めはジャンケンで

──まずは結成18周年おめでとうございます...と言いたいところなんですけど、18周年は過ぎてるんですよね?

マサヨ:あのですねぇ、非常に言いづらい話なんですけど、実は18周年もう終わってるんです(笑)。ロリータは89年の8月の何日だったか、確かチキンラーメンの日に結成してて、そう考えると既に19周年に入ってるっていう(笑)。だから今度の12月18日に18周年イヴェントのファイナルなのに、来年は20周年(笑)。

──まぁ大体18周年ぐらいな感じで(笑)。その18年についてお訊きしたいんですが、まず結成はマサヨさんが高校生の時ですよね。

マサヨ:そうですね、高校2年生ぐらいだったと思いますけど、3歳からの幼なじみのアイちゃんっていう子と組んだのが始まりで。アイちゃんとは学校は違ったんだけど、その頃バンド・ブームみたいなのもあったんで、2人でバンドがやりたいねって話になって。

──バンド名はどうやって付けたんですか?

マサヨ:「ロリータ108号」っていう大好きな戸川純さんの曲があって、そこから取ったんですけど。そもそもアイちゃんとバンド名を決めようとした時に、新宿のファミレスで2人であみだくじを100本作って、そこに適当に名前を書いて。その中にロリータも入ってたんだけど、私が天然で間違えて"18号"って書いちゃって(笑)。他にも、今だから言えるけど"シーチキンズ"とか"日本脳炎"っていうのも入ってた(笑)。でもロリータ18号に一発で当たって決めたんですけど。

──最初はやっぱりコピーから始めたんですか。

マサヨ:そうですね、もともとケンヂ&ザ・トリップスのコピーがやりたくてバンドを組んだんで。他にもピストルズ、ラモーンズ、ラフィンノーズ、スターリン、スワンキーズ...。トイ・ドールズもやりたかったけど難しくてできなくて。

──マサヨさんは最初はギターだったんですよね。

マサヨ:そう、なんかギターが弾きたくて、高校受験に合格したらギターを買ってもらうって親と約束して。忌野清志郎さんも好きだったんで、同じ学区の「僕の好きな先生」のいる八王子日野高校を受けたら落ちまして、嫌々私立の女子高に行ったんですけど。まぁ一応高校に受かったってことでフェンダージャパンのストラトを買ってもらいました。

──そこからヴォーカルに転向したのは?

マサヨ:アイちゃんもギターがやりたくて、2人共ギターで他のメンバーを探すより、どっちかが他のパートをやったほうが賢明だろうということで、その場でジャンケンして、今でも覚えてるけどグーで負けて、ギター取られちゃった(笑)。で、ベース買うのもなんか嫌だったし、ドラムもやりたかったけど家で練習できないし、まぁケンヂさんもヴォーカルだったんでじゃあとりあえずヴォーカルやろう、ぐらいな感じで。

──で、最初は学祭に出たりとか?

マサヨ:そうですね。学校では"フォークソング同好会"っていうところに入ってて(笑)、そこで別なバンドをやってたんですけど、私立の女子高だったんでアルバイトが禁止で、ライヴハウスに出たりするのもお金が関係するからダメだって言われて。でもやっぱりライヴがやりたかったんで、別で作ったのがロリータでしたね。それで学校に内緒でライヴをやって。ここじゃ言えないこともいっぱいやりました(笑)。

50日間で43本のアメリカ・ツアー

──そこからバンドが始まって、デビューまでの経緯というのは?

マサヨ:私はもともとライヴって打ち上げをやるために行なうものだとずっと思ってたんで、特にお客さんがどうこうとかCD出したいとかメジャー・デビューしたいっていうのが何にもなくて。でもだんだんコピーもやりたい曲もやり尽くしたし、そろそろオリジナルをやってみようかってなったのが高校を出たぐらいだったかな。その頃、法政大学に通ってるメンバーがいたので、そこの"作詞作曲同好会"っていうサークルに入って(笑)。で、ある時、法政大学の学祭で少年ナイフが出るにあたって、学内バンドの中でオーディション形式でオープニング・アクトのバンドを募集してたんで、軽い気持ちでテープを送ったらまんまと合格して、その時にやったライヴのビデオをたまたまベンテン・レーベルのオードリー木村さんって人が見て。私のMCの滑舌が悪すぎて「ロリータ**号です」って言ってたのが何号か気になって、ウチに電話を掛けてきたんですよ(笑)。「ロリータ何号ですか?」「ハァ?」みたいな。で、ついでにオムニバスを出すんで参加しませんか? ってことで、それが『弁天弁当』っていう、女性バンドだけを集めたCDで。

──それが初めての音源ですか。

マサヨ:そうですね。2曲だけの参加だったんですけど、初めてレコーディングというものをやって。それが評判が良かったみたいで、じゃあ今度はロリータだけでアルバムを作ろうってなってできたのがファースト・アルバムの『カラテの先生』っていう。それが95年ぐらいですかね。そこからはシンデレラ・ストーリーですね(笑)。3枚目のアルバムでメジャー・デビューをして。

──その頃、このまま音楽で生活していこうっていう意識は?

マサヨ:全くなかったですね。それは今も変わってない(笑)。とりあえずやりたいことだけやっとこう、と。楽しいことをいっぱいやって、あとは知らん、みたいな。

──(笑)ベンテン時代は海外ツアーなんかもされてましたよね。

マサヨ:事務所の方針でね(笑)。あの頃『電波少年』っていうテレビが流行ってて、ホントそういうノリで、メジャー・デビューしてアメリカ・ツアーが50日間で43本、バンでバーンと回りましょう、みたいな(笑)。メジャー・デビューしたんだから一応事務所の人間とかレコード会社の人間とかが付くと思ってたんですけど、1週間で帰りましたね(笑)。楽しいことだけして美味しいもんだけ食ってみんな帰ってって、残されたのは当時23歳ぐらいの女子メンバーと、アメリカ人のブライアンっていう運転手だけで。ブライアン日本語喋れない、私たち英語喋れない、ここアメリカ、お金貰ってないよ、って(笑)。物販だけ置いてかれて、これを売ってどうにかしろ、みたいな。メジャーってこうなのかなぁ? って思ったけど、後でいろんな人に訊いたら「違う」って言われました(笑)。

──でしょうね(笑)。

マサヨ:大変でしたよ、まずツアー初日で車が壊れて、そこから砂漠の真ん中で車が止まったりとか、車上荒らしに遭って今着てるもの以外全部盗まれたりとか。物販だけは近所のゴミ箱に捨ててあって、むしろそれ持ってってくれよ! みたいな(笑)。そんな日でもライヴはやってましたけどね。客が全員敵に見えましたよ、日本語で「お前か!?」「お前か!?」って。で、ライヴが終わったらお客さんが小銭をパラ〜って撒いて、カチンときたけど最後に全部拾って帰りましたね(笑)。あとライヴハウスにポップコーンがゴミ袋いっぱいに置いてあったんで、それをパクってきてモーテルで食べたり。

──とてもメジャー・バンドとは思えないですね(笑)。

マサヨ:ホントにアレは一体何だったんだろう? って。でもそれを経験したおかげで、その後にもいろいろなことが起きるんですけど、何も動じなくなりましたね。

──海外レコーディングも何回かされてましたよね。

マサヨ:そうですね。インディーズの時にもセカンドをテキサスで録って、サード・アルバムもアメリカで録ってそれがメジャー・デビュー盤だったんですけど、これがまた『髭忍者』っていう売れる気ゼロのタイトルで。そもそもメジャーだって知らなかったんですよ。レコーディングが終わってから「これメジャーで出るよ」って言われてどんなドッキリだよ! と思って。で、4枚目がジョーイ・ラモーンにプロデュースしてもらった『父母ラブNY』ってアルバムで、5枚目と6枚目はトイ・ドールズのオルガにイギリスでやってもらって。その間にヨーロッパでメジャー・デビューをして、ヨーロッパ・ツアーをやって、オルガがマネージャーとしてみんなの貴重品を預かったり(笑)。

──憧れの人がマネージャーってどういう感じなんですか?

マサヨ:最初はやっぱり緊張してたんですけど、慣れって怖いなって。「オルガ財布持ってて〜」「オルガ水買って来て〜」「オルガお金貸して〜」って(笑)。でも幸せですよね、今まで見てきた"ラモーンズのジョーイ"とか"トイ・ドールズのオルガ"じゃない部分が見られて、それがとっても良くて。あとは音楽の作り方っていうのはかなり勉強になりましたね。レコーディングのやり方とかをパクらせてもらって、その時に学んだことは今でもやってますね。若いバンドに教えてあげたりとか。まぁ受け売りなんですけど、さも自分が考えたかのように言ってます(笑)。

一生懸命やってたら神様がご褒美をくれる

──90年代半ばって、インディーズが盛り上がってた頃ですよね。

マサヨ:そうですね、それまでは"イカ天"とかが流行ってて。でも、出てるバンドは好きでしたけど、自分が出たいとかは全然思ってなかったし、自分のシーンがそこにあるとも思ってなくて。どこともずっと混ざれなかったですね。まぁしょうがないなって感じで。そしたらニューロティカ先輩の登場により状況が変わったんですけど。ホントにニューロティカが世界を拡げてくれましたね。

──ロティカとのお付き合いはだいぶ長いですよね。

マサヨ:もともとはファンとしてライヴを観に行ったり音楽を聴いてたんですけど、ロリータが結成10周年の時に『ヤリタミン』というカヴァー・アルバムを作って、そこでニューロティカの「カモン」という曲をやらせて頂くにあたってあっちゃんの歌詞が何を言ってるのか判らなくて(笑)、それで「何て言ってるんですか?」って電話したのが最初ですね。

──今まで好きだったバンドと共演できたりっていうのもあったと思いますけど。

マサヨ:そうですね、ケンヂ&ザ・トリップスとか。あと今回のロフトのイヴェントには仲野茂さんとか戸川純さんとか、遠藤ミチロウさんとか大槻ケンヂさんとかにも出て頂いて。いっぱいいすぎて言い切れないですけど。あと、昔は忌野清志郎さんともよく一緒に遊ばせて頂きました。だから好きな人にはほとんど会いましたね。あみだくじを作ってた頃なんてそんなつもりもなかったけど、一生懸命やってたら神様がご褒美をくれるんだなぁって思って。それがまたどんどんやっていく糧になりましたね。

──そういう先輩方から学んだこともいっぱいあるんじゃないですか?

マサヨ:ニューロティカからは打ち上げのやり方を教えてもらいましたね(笑)。牛丼の早食い大会とか(笑)。あれだけライヴやったのにまだそれだけやるんだ、みたいなテンション。あと仕切り方とか盛り上げ方とか。

──じゃあ12月のロフトの打ち上げどうしよう、みたいな感じですね(笑)。

マサヨ:ヤバいっすねぇ。本編よりもむしろ打ち上げに毎回アタマを抱えてますよ(笑)。自分はずっと続けてるから18年って言われてもピンと来てなくて、あんまり変わってないつもりでいるし、昨日何やってたかも忘れちゃうぐらいなんであんまり判んないんですよね。18年凄いねって言われるけど、やめ方が判らなかっただけで(笑)。みんなバンドってどうやってやめてるのかなぁ、みたいな。気付いたらここまで来てて。

──でも、メンバー・チェンジをした時にやめようとは思わなかったですか?

マサヨ:それはありましたね。エナポゥとキム☆リンがやめる時は。その最後の会議みたいなのをする前日まではやめようと思ってて、また新しいバンドを組めばいいやって思ってたんだけど、でもどうせバンドやるんだったらロリータでやってもいいじゃんって。ロリータの曲も好きだし、バンド名も気に入ってたから、だったらロリータ続ければいいじゃん、また新しいメンバー探せばいいじゃんって。

──その後何度かメンバー・チェンジがありましたけど、今のメンバーになってからは如何ですか?

マサヨ:今すごくバランスがイイんですよ。ドラムのTO-BUちゃんがいろんな音楽的な風を入れてくれて、ベースのたこちが明るさをくれて、ギターのライトが若さをくれて(笑)。若い割に結構ギターも弾けるし。

──じゃあ、好きなことをやり続けて18年経って今があって、って感じなんですね。

マサヨ:そうですね、幸せですよ。続けてて良かったなぁって。だからってみんな続けたほうがいいよとは思わないんですけど、自分はたまたまこれで良かったですね。今年は新宿ロフトっていう大好きな場所でロリータの冠で6回もイヴェントをやらせてもらって、それこそあみだ作ってた頃の自分に教えてあげたいですね。ホントに憧れのライヴハウスですよ。来年は20周年なんで、それまでにリリースをして、20周年ツアーをやって、またロフトにお世話になろうかなと。あとは盛大な打ち上げですね(笑)。

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LIVE INFOライブ情報

ロリータ18号 結成18周年記念スペシャル〜其の8〜ファイナル!
12月18日(木)新宿LOFT
with:うつみようこ&YOKOLOCO BAND / LOUDS / and more...
OPEN 18:00 / START 18:30
adv.-2,500yen (+1drink) / door-3,000yen (+1drink)
info.:LOFT 03-5272-0382

ロリータ18号 結成18周年記念スペシャル〜後夜祭トークショウ・忘年会の巻〜
12月29日(月)NAKED LOFT
詳細近日発表!!
info.:NAKED LOFT 03-3205-1556

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