ロフトプラスワン最初のクラブイベント「アーケードアタック」旗揚げから10年。「オールザッツバカ映像」「ジャンクの花園」「パラダイスTV美少女がお○こかけて」
「プラスワンナイト」「エアバンド」「コアチョコTシャツデスマッチ」「レッスルビデオマニア」etc.の司会や出演で、おそらく最多出演の二人は、もはやプラスワンに留まらずカルカルなどでも活躍中! 本誌ルーフトップに、毎号名前が掲載されているコンビ、DJ急行とセーラーチェーンソー春山のメジャーデビューとなる(?)「オールザッツバカ画像」という本の出版が決定! それを記念した「第16回オールザッツバカ映像」は、プラスワンの10周年ツアー以来3年ぶりに大阪でも開催! そんな調子に乗ってる二人に、大いに語ってもらいました。(Interview:天野宇久)
──急行単独のインタビュー(ルーフトップ2005年2月号)はあっても二人揃っては初ということなので、まずは二人の出会いから。
春山:プラスワンとの関わりとわり近いですね。もう10年前かな。もともと出会う前からテクノ好きの集まるサイトの掲示板で、お互い知ってはいたんですよ。僕は当時「ケン死村」ってハンドルネームで。実際初めて会ったのはリキッドルームにガバのユーロマスターズが来日した時に、「掲示板で有名な急行さん」って友人に紹介されたのが最初ですね。そんな感じで同世代のテクノ好きとサイトやチャットで知り合って、一緒にクラブへ遊び行くようになったんですよ。みんなDJとかやりたがるじゃないですか。DJジークジオンや急行とか、自分たち主催でイベントをやりたいってなって、僕はその当時なんのスキルもなかったんですけど、クラブイベントなんで映像をつけるかってことで、VJを始めたんですよ。その時に村上っていうのとやったのが、そもそも「セーラーチェーンソー」の始まりですね。で、場所探しをしていて、その時白羽の矢が当たったのが、歌舞伎町に移転してきたばかりのプラスワンですよ。
急行:それで始めたのが「アーケードアタック」。プラスワン最古の、一番歴史あるクラブイベントですね。そこで春山君たちがVJするじゃないですか。それがある意味「オールザッツバカ映像」のハシリなんですよ。
──VJはどんな感じでやってたの?
春山:当時はバカCMとかバラエティ番組の面白いシーンをかけてましたね。
急行:でも、ギャグを言ってるとか、オチの部分じゃなくて、ツッコミが入るような変なしぐさなんかの細かいとこを延々とつないだり逆再生したり、わかる人にはわかるみたいな映像でした。
春山:家で録画したVHSをビデオ2台とセレクターでやってました。1台は当時としてはいいやつで逆再生ができたんで、ボタン一つで食べたり出したりみたいな。それをVJで延々と流すようなことをしてましたね。それが横山さん(当時のプロデュ-サー)に映像のゴングショーをやるんで出てくれないって言われたのが、夜のイベントに出た最初ですね。イベントはタイトルは忘れましたけど、面白い映像を持ち寄るっていう、いまのコアチョコTシャツデスマッチに近い感じで、春山たち面白いからそのままやってって言われたんで、アーケードアタックでやってるように曲をかけて、映像の再生、逆再生をやって。いまバカ映像でやっているように説明を入れてやってないわけですよ。いまのとこ面白いから、もう一度見ましょうみたいなのがなくて、黙々と。だから君たち無口だねって言われて(笑) だってVJで呼ばれてんだから、それしかできないっつーのに。
──急行がDJ以外で出演するようになったきっかけは?
急行:深夜のクラブイベントで「電撃ボディー」っていうのをDATゾイドさんとやっていて、彼がボロマンガっていうおかしなマンガを紹介するトークのコーナーが1、2時間あったんですよ。そこで司会をしたのですが、これがウケたんです。このイベント最終的にはトークのイベントになっちゃった(笑)
春山:DATゾイドってのは当時流行ったナードコアのアーティストで、自分の曲のライブをやるんですが、曲間のMCのかわりにマンガの話を2時間するみたいなライブをやってたんですよ。エレクチオンナウはそれがきっかけで活動はじめたみたいですよ。アーケードアタックにナードコアの連中をゲストに呼んでやってましたけど、元ネタありきの曲なんわけですよね。曲の元ネタを紹介するというか、例えば、掟ポルシェさんが自分の好きなアイドルを紹介するみたいなノリで、徐々にマンガとか、映画のトークイベントをやり始めたんですよ。そこからちょいちょい声がかかるようになったんですよ。たぶん横山さんが使いやすいと思ったんでしょうけど。
急行:最初は春山君はセラチェンでよばれて、僕は僕で別に呼ばれてたんですよ。だからこうして一緒にやるようになったのって「バカ映像」からですね、2003年からだから、コンビ結成5年(笑)。
──2003年から不定期ではじまるようになった「オールザッツバカ映像」ですが、最初はどんな感じ?
急行:3ヶ月に一回くらいかな。4回目からすごく人が入るようになったのは覚えてます。確かそのころネット上で「動画ブーム」みたいなのが始まったんじゃないかな。
春山:個人でネタをアップするみたいなサイトから拾ってきて、マッドアニメとか同人アニメみたいなものとか。ま、こうゆうのが流行ったからYouTubeができたんだと思うんですけど。
急行:その当時はまだインフラも整ってなくて。今でこそ光回線だなんだって、容量の多いものにも耐えられるようになってきたんですけど、当時は動画自体サイズがでかいんでバカ映像はアングラコンテンツでしたね。気軽に見れるもんじゃなくて、知っている人だけが見れるっていうものを、我々みたいなのがイベントにしたので人気がでたのかなって気がします。最初の頃はそれこそ、内田裕也の政権放送やタイマーズとか。でも北村ヂンさんの持ち込みが凄かった。タトゥーの東京ドームのライブの潜入取材で、ぜんぜん客が入ってない情況を撮ってきたり、尾崎豊の命日に生家に集まったファンの様子の取材したり。
──それでバカ映像五虎将軍というのは?
急行:ぜんぜん考えてなかったんですけど、イベント用映像のネタを探さなきゃいけないんで、自分のまわりに誰かいないかと思って声をかけたのがNABEさん、酒徳ごうわくさん、大坪ケムタさん、YUZAWA君。そこにもう一人レギュラーの松本さんが居るんですが、彼は最初はお客さんだったんです。第一回目のバカ映像を見に来て「これなら俺にもできる」と、それから毎日夕方のニュースを全部録画して、その中で一番面白かったものを第二回のオールザッツバカ映像持ってきてくれまして、それが抜群のウケを取って優勝しちゃうんです。ここで映像ジャンルの違う五人がそろったんで大好きな三国志になぞらえて伍虎将軍と呼び、レギュラーになってもらったんです。
──バカ映像をやってよかったことは?
急行:我々が「面白い」と思っている事がプラスワン的に認められた事ですね。それこそ大槻ケンヂさんの「のほほん学校」にゲストで呼んでいただいたり。
春山:なんかあった時にワンコーナー30分やってくれって、ネイキッドの演芸ショーに呼ばれたりとか。
急行:他のイベントに呼ばれることが多くなりましたね、プラスワンナイトとか、大晦日の年越しのイベントとか。
春山:ありがたいんですけど、女房にしかられるんですよ、子供ができてから一度も年越しを家族と過ごしてない。なんの因果か......
急行:いい話。かっこいいなぁー(笑) プラスワンに連れてきて家族で年越しを過ごせばいいじゃん。
春山:いやですよ、3歳の娘にミラ狂美さんは早すぎる(笑)
──で、ついにメジャーデビューとなる「バカ画像本」について。
急行:いま、すごいバカ画像本がブームらしく、いろんな出版社から出ているんです。確か8冊目?
春山:我々の出す本で10冊目だそうです。10匹目のドジョウなわけです。ネタに困って登場しているみたいな(笑)
急行:どの本見てもはっきり言って一緒なんですよ。でも今度インフォレストさんから出すものは、完全に我々がセレクトして見方に対しての視点の提示をしたりと、他の本とはちょっと違うと思います。
──では最後に次回のイベントについて告知を。
急行:決まってません!(キッパリ)