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INTERVIEW

トップインタビュー【復刻インタビュー】BOφWY(2007年12月号)- あの衝撃の解散宣言から20年──芸術性と破壊性の狭間を行き来した不世出のバンドが辿り着いた"φ"の境地

あの衝撃の解散宣言から20年──芸術性と破壊性の狭間を行き来した不世出のバンドが辿り着いた“φ”の境地

2007.12.01

ロックの市場が確立されていない手探りの時代

13_ap3.jpg─DISC-4の熊本県グリーンピア南阿蘇アスペクタで行なわれた『BEAT CHILD』(1987年8月22~23日)は、台風が直撃する中でバンドが奮起して掛け値なしに素晴らしいライヴを展開しています。この映像は、BOφWYが生粋のライヴ・バンドであったことの何よりの証左に感じますね。

土屋:今の『FUJI ROCK FESTIVAL』ほどの設備も警備もままならない状況だったし、野外のあんな山奥でよくやれたなと思いますよね。何があってもオーディエンスの安全を考えて万全を期すと言っても、その“何があっても”の事例が判っていない手探りの時代だったんですよ。今見ると客席の照明も暗いし、前例となるデータがないんです。そこへ来てあの台風ですから。でも、そういった全ての悪条件を跳ね返すように優れたライヴ・パフォーマンスをやっていますね。あのイヴェントは第三者が用意したロックの土俵だったし、他のバンドには絶対に勝つんだという気迫が彼らの根底にあったからこそでしょうね。そのメンタリティは新宿ロフトで活動していた頃と全く同じですよ。これは決して贔屓目で見ているわけじゃなくて、あれだけ劣悪な環境の中であんなに演奏がしっかりしたバンドは他にいませんよ。唄うことや弾く叩くといったアナログな行為よりも、アンプやカメラ、照明といったエレクトロのほうが豪雨という悪条件に負けてしまっている。実際、『BEAT CHILD』は布袋(寅泰)サイドのカメラが雨で故障してしまって、他の映像と比べてカメラ割りが少なく感じるんです。だから布袋の絵が少ないんですよ。

──DISC-5の都有3号地(現・東京都庁)で行なわれた『ロックステージ イン 新宿』(1986年8月4日)のように、44 MAGNUMのポールさん、山下久美子さん、吉川晃司さん、大沢誉志幸さんといった豪華ゲスト陣を迎えたパーティー色の強いイヴェントは、BOφWYの歴史において極めて珍しいケースですよね。

土屋:うん、なかなかないイヴェントでしたね。東京ロッカーズと呼ばれたバンド達が新宿ロフトでやっていたパーティーっぽいライヴにはずっと憧れがあったし、BOφWYはそれを東京都庁が出来るまでの更地という刹那的な場所で刹那的な時期に具現化したわけです。ゲストの人選を意外に感じる若いファンもいるかもしれないけど、彼らが迎えたのは、ジャンルは違えど分母にしっかりとロックを置いたアーティストばかりだったんですよ。

──その豪華ゲスト陣の映像は未収録ですが、『BEAT CHILD』同様にメンバーは直撃する台風をものともせず、沸点の高いフレキシブルなライヴを繰り広げていますね。

土屋:バンド単体の映像をセグメント化することで、作品としてのクォリティを上げたかったんです。豪雨が降り注ぐ逆境の中で「負けるもんか!」という心持ちで演奏しているし、決して頭でっかちではない優れたプレイヤーとしての力量がああいう場面で深く垣間見られると思いますよ。この都有3号地でのイヴェントはもちろん、後々の時代に向けて色々な広がりとなっていくイヴェントの萌芽がこの8枚のDVDには収められていますね。ひとつのバンドの演奏を軸にいろんなヴォーカリストがライヴを行なうという意味では、この『ロックステージ イン 新宿』は小林武史さん達がやっていらっしゃる『ap bank fes』とコンセプトが似ているかもしれませんよね。ロックがビジネスとして確立していく中で、ロックを世に広めて紹介しきった時点でBOφWYは解散したと思うんですよ。だから、'86~'87年に彼らが繰り広げたライヴというのは、自分達のやってきたことを同じメンタリティを持った仲間達と証明するものでもあったと思うんです。それを証明しきった瞬間にBOφWYは完結したんですよ。

──DISC-6に収められた『FINAL伝説』は2001年にNHKで放映された番組で、PAの森山朝雄さん、デザイナーの三宅克徳さん、舞台監督の江坂俊彦さんなどBOφWYに縁の深い関係者の証言を交えた秀逸なドキュメンタリーですね。

土屋:一度放映されたものだからパッケージするかどうか迷ったんですけど、作品としてDVD BOXに組み込むだけのクォリティがあるとプロジェクト全体が判断したんですよね。「他にもあの人の証言があればいいのに」とか、そういうことを挙げればキリがないんだけど、活字でもなく、モバイルでもなく、映像としてBOφWYが辿った軌跡のエッセンスを新しいファンに向けて伝えていきたいと思ったんです。これからBOφWYの音楽に触れんとするファンには格好の内容だと思いますよ。

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芸術性を保てないのならば燃え尽きるしかない

──DISC-7の『A BIG MOUSE PARTY』と『ROCK'N ROLL OLYMPIC』でも、生粋のライヴ・バンドとしての面目を保っているのが如実に窺えるテンションの高いライヴを繰り広げていますね。

土屋:『A BIG MOUSE PARTY』は、後々『RISING SUN ROCK FESTIVAL in EZO』を立ち上げるWESSの山本博之さんが北海道でオリジナリティのある野外イヴェントを作り上げたいという趣旨のもとに主催したイヴェントで、言うなれば『RISING SUN~』の原形ですよね。『ROCK'N ROLL OLYMPIC』は歴史のある仙台のイヴェントで、BOφWYが東北ツアーでお世話になったフライングハウスの斉藤 良さんという方が仲間内の手弁当で作り上げていたものなんです。BOφWYは『ROCK'N ROLL OLYMPIC』にずっと呼んで頂いて、解散する年もオファーを貰っていたんだけど、スケジュール調整がギリギリまで困難だったんですよ。でも、僕達スタッフを含めて斉藤さんには並々ならぬお世話になったから、何としてもその意気に応えたくて出演したんです。ただ、告知が間に合わなくてシークレットという形になってしまったんですけどね。あの花道のあるステージも凄く格好いいし、花道の途中で氷室と布袋が向き合ってアクションを決める様も見応えがあると思います。

──音楽文化ライターの佐伯 明さんのセレクションによるDISC-8の『Artform? or Burnout! ~EMI room 102~』は、新宿ロフト時代のライヴやベルリンでのプライヴェート・フィルム、ロンドンのマーキークラブでのライヴと、レア映像が盛り沢山の内容ですね。

土屋:メンバーからNGが出た素材を外してそれを組み替える時に、凄く無責任に聞こえるかもしれないけど、僕自身が選びきれなくなってしまったんです。素晴らしい素材の数々をどう繋げれば良いのか、クォリティの高い作品としてどうアウトプットすれば良いか判断に迷ってしまった。佐伯さんはBOφWYのライヴハウス時代から解散後の各自のソロ活動に至るまでずっと見続けてきた方で、「BOφWYは発明品である」という名キャッチコピーを生み出した彼に委ねてみることにしたんですよ。タイトルの『Artform? or Burnout!』というのは“芸術性を保てないのならば燃え尽きるしかない”といった意味で、このDVDは『FINAL伝説』とはまた違った、終息に向かうバンドのもうひとつのヒストリー・ドキュメントになっていると思います。随所に挿入されるメンバーへのインタビューは'87年の2月にこの部屋(EMI room 102)で撮影したもので、その年の『FILM GIG』で上映するためのものだったんです。そもそもここは、BOφWYが初めてEMIでミーティングをした場所なんですよ。その部屋の名前を僕がサブタイトルとして付けました。新宿ロフトでのライヴから『ROCK'N'ROLL CIRCUS』ツアーでの「ONLY YOU」までの貴重な映像の間に4人の発言が入ることで、4人でいることの意味合いと個に戻って行くメンタリティとの葛藤が垣間見られる興味深い内容になっていると思います。

──芸術性に向かうのか、燃え尽きることを良しとするのか。それはつまり想像と破壊を絶えず繰り返したBOφWYというバンドの在り方そのものと言えますね。

土屋:4人で今以上のものを創造することができないと判断したからBOφWYは燃え尽きる選択肢を選んで、佐伯さんの言葉を借りれば“星になった”わけだけれども、あの8枚目のDVDを見てくれた古いファンにも新しいファンにも、『Artform? or Burnout!』という問い掛けがその人のネクストに向かう上で何らかのきっかけになれば嬉しいですよね。4人の発言の真意を僕がここであれこれ話すよりも、見てくれた人達がどう感じるかが大事ですから。

──こうして8枚のDVDを通して見て痛感するのは、BOφWYの真髄はライヴ・パフォーマンスにこそあるという揺るぎない事実ですよね。ステージにこそBOφWYの語るべき真実があったというか。

土屋:仰る通りです。だから作品としてきちんと伝えられる断片的な素材をDISC-8にまとめて、それ以外のものは時間軸や価値を含めてパッケージできるものを全て詰め込んだんですよ。オフィシャルとして発表できるものはこれで全て出し切ったと思う。ファンのリクエストに対して万遍なく100%はきっと応えられないけれど、僕達としては120%を出し切っていますから。

──解散から既に20年という年月が経過したにも関わらず、BOφWYの楽曲も視覚的な要素も全く古びていないのは何故だと思いますか。

土屋:初期の6人編成の頃はニューロマンティックの要素もあったり、刹那的な流行りに傾倒していたがゆえに古くさく感じる部分もあったかもしれない。だけど、4人だけのシンプルな音楽を志向するようになって、確固たるこだわりがある上でシンプルであることが結果的に普遍性へと繋がったんじゃないかな。何も足さない、何も引かない。でも、そこには時代と寝過ぎることのない、考え抜かれた自分達だけのシンプルなセンスがあった。そんな姿勢がファッションにも表れていたと思う。シンプルと言っても、決してTシャツにジーパンではない美学とこだわりがそこにはありましたから。もちろん、そうしたシンプルさは彼らの音楽そのものにも言えることですけどね。そのシンプルさを突き詰めたバンドが、こうして今も数多くの人達から熱狂的な支持を得ていることは彼らに携わった人間として純粋に誇らしいことだし、次の20年後がどんな世の中になっているか判らないけれど、その時にもBOφWYの音楽がロックという文化としてそのままの形で残っていて欲しい。どの時間軸においても、BOφWYがシンプルで普遍性のある音楽として受け容れられていたら嬉しいですよね。

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GIGS”BOX

『“GIGS”CASE OF BOφWY COMPLETE』『BEAT CHILD』を含む、BOφWYの歴史を語る上で欠かせないGIGを収録した初DVD化映像集。1985年に限定発刊されたイメージ・ブック『HYSTERIA』をこのBOXのために復刻し、特別付録としてBOX内に収納。EMI Music Japan:TOBF-5555/32,000yen (tax in)
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◇DISC-1~3/“GIGS”CASE OF BOφWY:“BOφWYのレパートリー全てを演奏する”というコンセプトのもと、1987年7月31日神戸、8月7日横浜で行なわれたGIG。
◇DISC-4/BEAT CHILD:1987年8月22~23日、南阿蘇アスペクタで台風直撃の中行なわれた伝説的野外イヴェント。
◇DISC-5/ロックステージ イン 新宿(都有3号地):1986年8月4日、都有3号地(現・東京都庁)にて行なわれた豪雨の中でのGIG。
◇DISC-6/FINAL伝説:2001年にNHKで放映されたBOφWYのドキュメンタリー番組。
◇DISC-7/野外イヴェント集:1987年7月26日に札幌真駒内オープン・スタジアムで行なわれた“HOKKAIDO ROCK CIRCUIT '87「A BIG MOUSE PARTY」”、1986年8月10日と1987年8月9日にスポーツランドSUGOで行なわれた“ROCK'N ROLL OLYMPIC '86 / '87”でのGIG。
◇DISC-8/Artform? or Burnout! ~EMI room 102~:音楽文化ライター・佐伯 明氏の監修のもと、レア映像で構成されたもうひとつのBOφWYヒストリー集。

“GIGS”CASE OF BOφWY COMPLETE

1987年7月31日の神戸ポートピア・ワールド記念ホールと、8月7日の横浜文化体育館での2日間行なわれたGIGから39曲を収録(前作には収録されなかった11曲を追加)。セットリストを再現した正にコンプリートな内容。EMI Music Japan:TOCT-26490/3,800yen (tax in)
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