「INTRODUCTION」を聴くとライヴ前の緊張が甦る
──今回、こうして新編成のベスト・アルバムがリリースされたり、BOφWYの熱狂的な支持者が未だに根強く存在することに対して、まことさん自身はどう感じていますか。
高橋:凄く有り難いことだよ。ただ俺はメンバーだったから、すでに実体のないバンドが何故今もこんなに支持されているのかは判らない。その原因が何なのかは高名な評論家先生にお任せするよ(笑)。まぁ、10年前に『THIS BOφWY』が出た時も時の流れの早さに驚いたものだけど、もうあれから20年も経つんだよね。そう思うと、月並みだけどやっぱり凄く早かった気がする。BOφWYが終わってDe+LAXに加入して、(榊原)秀樹と組んだGEENAがあり、BLUE CADILLAC ORCHESTRAやDAMNDOGがあり…その間にはソロ活動もあったけど、自分としては一貫してバンド人生にこだわって生きてきた自負があるよね。
──DRUMMERSやTHE AURIS (SUPER) BANDもありましたからね。この20年の間に渡り歩いた数々のバンドと比べても、やはりBOφWYはまことさんにとって別格のバンドですよね。
高橋:もちろん。De+LAXも長いけど所々休んでいるし、単純にBOφWYが一番活動期間が長かったからね。よくBOφWYは破格の成功を収めたと言われるけど、7年間の活動期間中でブレイクの兆しが見えてきたのは結成から4、5年経った頃…事務所がユイに移ってからなんだよ。BOφWYの現役時代を知らない若い人達は意外に思うだろうけど、バンドが頂点を極めたのは僅か数年に過ぎないんだ。だから俺がBOφWYのメンバーだった頃というのは、今の若いバンドマン達が足掻いている状況とそんなに違わない気がする。当時は今みたいにライヴハウスがいっぱいあったわけじゃないし、ロックの市場も今ほど確立されていなかった。そう考えると、よくぞそんな状況で頂点まで登り詰めたなと自分でも思うよね。
──今回発表されるベスト・アルバムはもう聴きましたか。
高橋:まだ通しでは聴いていないけど、収録曲は確認したよ。2枚ともなかなかいい流れだと思った。俺のiPodには一応BOφWYの曲が全部入っているんだよ。BOφWYの曲をやるイヴェントに参加したり、ソロの弾き語りライヴなんかで曲を思い出すのに使い勝手がいいからね。BOφWYの曲を日常的に聴くことはないけれど、たまに車の中で一人で聴いたりする。何気なく聴いてみると、“こんなことをやってたんだな”っていう意外な発見が結構あって面白いよ。特に、当時はライヴで再現するのが難しくてやらなかった曲にそう思うことが多い。
──まことさん自身も、BOφWYの音楽にはいつも新たな発見があるんですね。
高橋:うん、面白いもんだよ。まぁ、20年も経てば人間忘れている部分もあるからね(笑)。マニアの人は重箱の隅をつつくようにいろんな曲のヴァージョン違いをよく知ってるみたいだけど、俺にしてみれば「NO. NEW YORK」は「NO. NEW YORK」だからね。ヴァージョンは2つしかない。『MORAL』に入っているヴァージョンと、12インチ・シングルで出したヴァージョンとね。
──ベスト・アルバムの収録曲の中で、当時の記憶が生々しく甦ってくるような曲はありますか。
高橋:「INTRODUCTION」を聴くと、これからライヴが始まるという緊張感が甦ってくるよね。当時はこの曲の後に「IMAGE DOWN」に繋がるっていう、アルバムと同じ流れでしばらくライヴをやっていたからね。『~DRASTIC』に入っている初期のナンバー…「MASS AGE」とか「IMAGE DOWN」、「TEENAGE EMOTION」から「LONDON GAME」の流れとかは今でも生々しく感じる。「WATCH YOUR BOY」もそんな感じだけど、あの曲の終わりのほうのダブっぽい部分は俺が叩いているわけじゃないんだよ。ああいうダブを付けたヴァージョンって当時は流行っていたなとか、いろんなことを思い出すね。
──当時の楽曲を聴いて、ご自身のプレイについてはどう感じますか。
高橋:そこそこ巧く叩けてるんじゃないかな。『~DRAMATIC』に入ってる「“16”」とか、我ながら結構いいと思う。ちゃんと2バス踏んでるし、思わず自分で拍手しちゃうほどだよ(笑)。「“16”」はベルリンで録った曲で、今みたいに間違えた所だけを録り直すとかズルいことはしていないんだよね。カウントを入れてからエンディングまで一本で録るのが基本で、ちゃんとできるまでやり続けていたから。BOφWYのレコーディングはほとんどがそんな感じだよ。
──ステージやPVで見受けられたサイバーパンク嗜好とロシアの構成主義的志向が融合したハイブリッド性が強く印象に残っているので、レコーディングも最新のテクノロジーを駆使したように思いがちですが、演奏は意外と人力なんですよね。
高橋:そうだね。「ホンキー・トンキー・クレイジー」はみんなで一緒にパーカッションを叩いたりしているからね。『BEAT EMOTION』以降はマニピュレーターが導入されて、効果音とかのサウンド作りに活用したけど、コンピュータ万能の現代と違って当時はちゃんと血の通った演奏をしていたよ。お客さんの反応次第でライヴの出来も大きく変わったしね、特にフロントの2人はさ(笑)。あれは後ろから見ていて面白かったよ。
希望を見いだしにくい現代にこそ輝きを放つ「DREAMIN'」
──『~DRASTIC』に収録された曲は、まだ新宿ロフトを活動基盤にしていた頃のものが多いですね。
高橋:『MORAL』と『INSTANT LOVE』に入ってる曲はロフトでよくやっていたね。当時は持ち曲も少なかったのに、よく1時間半のワンマンをやっていた。基本的にロフトの夜の部は、特別なことがない限り対バン形式ではなかったね。ロフト時代の思い出は数限りないけど…ステージの床が腐りかけていたのは参ったよな(笑)。まだステージの床が市松模様になる前、出演者用のトイレがお客さんと同じだった頃だね。俺のドラムの所は特にボロボロで揺れるから、仕方なく敷き詰めた絨毯の上にまた絨毯を敷いていたよ(笑)。
──1981年5月11日、BOφWYが初めて新宿ロフトのステージに立った時、まことさんはまだメンバーではなくオーディエンスの一人だったんですよね。ライヴを観てどう思いましたか。
高橋:よく覚えているよ。ヒムロックは髪の毛が紫に近いブルーで逆立っていて、鋭利な刃物みたいな雰囲気があったね。演奏は荒くて、パンキッシュ。まさか自分がそんなバンドに参加するなんて夢にも思わなかったよ(笑)。
──そのロフト時代の初ステージから初の日本武道館ライヴ(1985年12月6日)まで僅か4年半というスピードの早さにも驚きますよね。
高橋:1年の間にツアーを2回やって、その合間にレコーディングを敢行して…凄まじいスケジュールをこなしていたよね。俺はともかくとして、ヒムロックや布袋の作品作りやライヴに対するプレッシャーは相当なものだったはずだよ。俺は忙しいのも割と楽しめちゃうタイプだったからね。
──そんな過密スケジュールの中で、よくこれだけスタンダード性の高い楽曲を次々と発表し続けることができたなと、この2枚のベスト・アルバムを聴いて改めて感じますね。
高橋:そうだね。時代に固執しない歌詞やメロディだったからだと思うよ。BOφWYの音楽に一貫して普遍性があるのは紛れもない事実だからね。『~DRASTIC』にも『~DRAMATIC』にも収められている「DREAMIN'」の歌詞を読むと、希望を見いだしにくい今の時代にこそ輝きを放つ曲だと思うし、ああいうメッセージこそBOφWYが一番訴えかけたかったことなんじゃないかと俺は思う。
──特典DVDに収録された「DREAMIN'」の新編集PVはご覧になりましたか。
高橋:見たよ。『~DRASTIC』のほうに入っている、いろんなライヴ映像をミックスしたPVは凄く面白かったね。俺の髭があったりなかったりして(笑)。衣装を見れば、大体いつ頃なのかは判るよ。俺だけ片袖になった紫のスパンコールの衣装があるんだけど、あれは1985年の“BOφWY'S BE AMBITIOUS”ツアーの途中なんだ。京都の教育文化会館でライヴをやる直前に、衣装を作ってくれた人がわざわざ新幹線で持って来てくれたんだよ。それでその日のライヴで早速着てみることにした。スパンコールだから洗えなくて、長く使うと匂いがきつかったけどね(笑)。
──初期のT-KIDS、後年のジャン・ポール・ゴルチエとの衣装タイアップなど、ステージでのファッションにもBOφWYは一貫して意識的でしたよね。
高橋:“BOφWY'S BE AMBITIOUS”ツアーの頃のド派手な衣装は、プリンスにインスパイアされたと布袋から聞いたことがある。ちょうどプリンスが『PURPLE RAIN』のサントラを出した頃かな。特典のPVを今見ても、視覚的な古さは不思議と感じないよね。古さを感じないのは楽曲もまた然りで、ベスト・アルバムの収録曲を見るといい曲が多いなと改めて思う。ソロの弾き語りライヴでは「LONGER THAN FOREVER」を唄ったりしているんだけど、「B・E・L・I・E・V・E」とか「CLOUDY HEART」とか他にも唄ってみたい曲はあるんだよ。でも、弾くのが凄く難しくて、俺のテクニックじゃとても弾けない。それこそ布袋に弟子入りしないとダメだね(笑)。
──そういうプレイの難しさは、まことさんのドラムにも同じことが言えるんじゃないですか。
高橋:テクニック的にはそんなに難しいことはやっていなかったはずだけど、確固たるオリジナリティはあると思う。俺にしか叩けない音があるからね。でも、今の俺が叩くドラムのほうがずっとパワフルで抜けがいいはずだよ。今もBOφWYの音楽をずっと好きでいてくれる人達が多いのはとても有り難いことだけど、俺は今も現役を貫いてドラムを叩き続けているからね。
──もし『PSYCHOPATH』の後にもう1枚オリジナル・アルバムを作ることがあったとしたら、どんな内容になっていたと思いますか。
高橋:そんなことは考えたこともないね。ただ、解散後に出たヒムロックと布袋のソロ・アルバムの方向性を考えると、きっと収拾がつかなかったんじゃないかな。『PSYCHOPATH』は解散を意識してレコーディングに臨んだし、やっぱりあの時点で終わるべくして終わったんだと俺は思う。BOφWYは俺が参加してきたバンドの中でも最高にスリリングな体験ができたし、日本一にもなった誇らしいバンドなんだ。それでいいじゃないか。