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INTERVIEW

トップインタビュー【復刻インタビュー】NUM42(2007年9月号)- バンドになってもテーマは"ENJOY PUNK ROCK"!DJ-namijin率いる前代未聞のカヴァー・パンク・バンドが驚異の"MASH UP"アルバム第2弾をドロップ!!

バンドになってもテーマは“ENJOY PUNK ROCK”!DJ-namijin率いる前代未聞のカヴァー・パンク・バンドが驚異の“MASH UP”アルバム第2弾をドロップ!!

2007.09.01

好きなことを追い続けていけば人生は拓ける

──このアルバムにも収まりきらなかったアイディアが他にも多々あったんじゃないかと思いますが。

namijin:これでもファーストよりは視野を広げたんですよ。ファーストの時はカヴァーする曲を民謡か50's、60'sまでの曲にして、基本的に'70年代パンクのフレーズしか使わないようにしたから。1曲だけMXPXのフレーズを入れちゃったんですけどね。そうしないと、単なる企画バンドみたいになってしまうと思ったんです。それに対してセカンドは、カヴァーする曲やフレーズも少しだけ幅を広げようとして'90年代パンクのフレーズを入れてみたりした。あと、今回はパンクのカヴァーはやらないと決めていたんですけど、「電撃BOP」だけはやっちゃいましたね。

──やはりRAMONESだけは別格だった、と?

namijin:RAMONESっていうか、「電撃BOP」の持つあらゆる要素がNUM42というバンドの多大な部分を占めているんですよ。どんな曲にも“HEY! HO!”って掛け声が入ってくるし。

──冒頭の「NUM42のテーマ3」からして“HEY! HO! LET'S GO!”という歌詞ですもんね(笑)。

namijin:あの曲も、言ってみれば「電撃BOP」を変形させたようなものですから。“ここから自分達のすべてが始まったんだよ”と僕達から紹介したかったんです。何がパンクの始まりかは人それぞれ解釈が違うだろうけど、「電撃BOP」がパンクで初めてレコード化された曲だと僕は思うんですよね。僕にとってパンクの始まりは、やっぱりRAMONESのファーストなんですよ。

──セカンド・アルバム収録なのに「テーマ3」になっているのは?

namijin:実は、このアルバムの前に全曲日本語カヴァーのアルバムをすでにレコーディング済みで、そこに「NUM42のテーマ2」と「NUM42のテーマ2.5」が収録されているんですよ(笑)。まぁ、余り生真面目になりすぎずに、そういうバカバカしさもいいかなと思って。あと、「テーマ3」の中の始業ベルはCHEAP TRICKの「今夜は帰さない」が元ネタで、ギターのハーモニックスで始業ベルのフレーズが入った曲だったんです。それがずっと頭に残ってて、今回歪んだベースでやっちまおうと思ったんですよ。

──ちなみに、「テーマ2」はどんな曲なんですか。

namijin:30秒の短い曲で、NUM42初の日本語オリジナル・ソングなんですよ。歌詞は“俺達ENJOY PUNK ROCK、いつでもENJOY PUNK ROCK、今夜もENJOY PUNK ROCK、明日もENJOY PUNK ROCK”っていう4行だけなんですけど(笑)。それを英語に戻したのが「テーマ2.5」なんですよね(笑)。

──ここまで見事な“MASH UP”ができるのなら、NUM42独自のオリジナル曲も行けるんじゃないかと思いますけどね。BEATLESのフレーズから完全なオリジナル曲を作ったRUTLESみたいに。

namijin:まぁ、オリジナル曲をやる可能性もなくはないんですけど、僕の致命的な欠点は作詞の才能がないことなんですよ(笑)。才能というか、そういう感性がないのかな。ヘッドロックレコーズのバンドに対しては補作に近い形で歌詞の助言もできるんですけど、これが自分のことになると唄うべきテーマが何も浮かばない。言いたいことと言えば“ENJOY PUNK ROCK”くらいなものなんです。伝えたいメッセージは、DJやライヴのMCで話せちゃいますからね。要するに、プロデューサーとしての自分がnamijinという人間に対して作詞の面でOKを出せていないんですよね。

──プロデューサーのnamijinは、パフォーマーとしてのnamijinをどう捉えていますか。

namijin:DJ-namijinを見たプロデューサーのnamijinが“バンドマンとしてステージに立ってみてもいいんじゃないか?”と思えたから、NUM42のnamijin(NAMI42)が生まれたという感じなんです。2003年にCITTA'で生まれて初めてDJをやった時は、それまでのDJの在り方に対するアンチテーゼ的なものがあったんですよ。自分がDJブースに入った時はパーティー野郎になろうと思った。お客さんには絶対に寂しい思いをさせないし、お客さんの目をちゃんと見て楽しんでいるかどうかを確認しながらDJをやろうと。「Oi!」と拳を突き上げるところも、いきなりだとお客さんが一緒について来れないから、「行くぞ、行くぞ、行くぞー! ハイッ!」って判りやすく前振りをする。もうビリーズ・ブート・キャンプみたいなもんですよ(笑)。初めてでも大丈夫、僕がやるようにやれば一緒に楽しめるんだよ、っていうね。20代でバンドをやってた時はそんなこと恥ずかしくてできませんでしたよ。レスラーでも、ヒール(悪役)は誰でもできるけど、善玉のベビーフェイスは心が強くないとできないって言いますよね。つまり、僕はDJ-namijinの時に喜んでベビーフェイスをやろうとしてるんだと思います。そう考えると…もし7年前にヘッドロックナイトを始めていなかったら、今の自分の人生はどうなっていたんだろうと思いますね。あのままレコード会社でディレクターを続けていたら、きっと恐ろしくつまらない人生になっていたんじゃないかな。

──そんなDJ-namijinが今度はCLUB CITTA'という大きな会場でワンマン・ライヴを敢行するのだから、つくづく人生は何が起こるか判りませんよね(笑)。

namijin:そもそもロックDJがワンマンをやるなんて、世界レヴェルでも前代未聞ですよね。まだ自分はそこまでビッグネームではないけれど、これも自分にしかできないことのひとつだと思うんですよ。それ相応の引き出しや感性がないと、到底こんなことはできない。DJワンマン自体は去年の10月に恵比寿MILKでやっていて、それを観た大和の(俵積田)等が「あなたは次にCITTA'でワンマンDJをやるべきだ!」っていうメールをくれたんです。等いわく「あなたは今まで不可能を可能にし続けてきた男だから、絶対にやるべきだ!」って。その一言に促された部分が凄く大きかったんですよね。

──そうやって常に自分の好きなことを貪欲に追求し続けるnamijinさんの姿を見ると、アンチ・エイジングなんて言葉が陳腐に思えてきますね。

namijin:来年自分は45歳になるんですけど、イベントのオーガナイザーから始まって、パンクロックDJやバンドまでやれるようになったのはこの7年のことなんです。人間幾つになっても好きなことを追い続けていれば人生が拓けていくし、何よりも楽しく人生が過ごせると思うんですよ。何か自分のやりたいことを始めるのに年齢は関係ないですから。これからも僕がそれを実践してみんなの先頭を走るつもりでいるので、このインタビューを読んでくれてる人達も楽しむことを諦めずにいて欲しいと思いますね。

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