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INTERVIEW

トップインタビュー【復刻インタビュー】N.G.THREE(2007年5月号)- N.G.THREE、未発表曲を含めたSpecial Edition『OUR EVERLASTING TRACKS』世紀を跨いで遂にリリース!

N.G.THREE、未発表曲を含めたSpecial Edition『OUR EVERLASTING TRACKS』世紀を跨いで遂にリリース!

2007.05.01

現NORTHERN BRIGHT / RON RON CLOUの新井 仁氏が在籍していたN.G.THREE(活動期間は'93年~'96年)。当時、セールス・動員ともに不動の人気を誇っていた彼らの'93年にリリースされた名盤『Eight Tracks』にシングル『Dr.NG3 and MR.HYde』、そして未発表曲、デモ音源などを収録したSpecial Edition盤として、今年15周年を迎えるレーベル"アンダーフラワー・ネーション"よりリリースされる。ここに収録されたすべての楽曲は8トラックスレコーダーにより自分たちで録音したもので、音質・演奏力ではない、ロック、モッズ、ソウル、そして'92年・'93年当時のバンドに触発されていた彼らなりの等身大の力作!! ただならぬセンスで溢れたロックアルバム!今回は、N.G.THREEのボーカル・ギターでもあり、現在様々なバンドでも活躍中の新井氏と、シェルター西村、そして当時のN.G.THREEをよく知る"生き証人"として、下北の母・モリヘーさんを迎えてのほのぼのインタビューとなりました。(interview:西村 等/下北沢シェルター 構成:やまだともこ)

平和にロックができないかな

──N.G.THREEとしての初めてのライブって覚えてます?

新井:新宿アンチノックかなあ。アンチとか屋根裏は昼間のオーディションを、サニーデイ・サービスと一緒に受けてましたよ。

──曽我部さんは大学の後輩なんでしたっけ?

新井:そうなんです。僕が大学3年生のときに曽我部くんが入学してきて、僕が所属していたDJサークルに誘ったんです。短髪でホワイトジージャン着てフリッパーズ(・ギター)みたいな風貌でした。DJサークルはすごく歴史があって、僕らの世代だとUKロックが中心だったんですけど、ちょっと前の世代になるとユーロビートとか、いわゆるDJの集まり。音楽好きのレコードコレクターの集まり。バンドがやりたかったんだけど、バンドサークルにはピンと来なかったんです。フリッパーズとかヴィーナス・ペーターが流行っていたけど、サークルを見に行ったらほとんどがガンズ(Guns N' Roses)を弾いていて…。嫌いではなかったんですけどね…。ちょうどN.G.THREEを組んだぐらいで曽我部くんが入学してきて、バンドやりたいんだけどバンドサークルがしっくりこないって言うから、じゃあ一緒にやっていこうよっていう感じで、ともに新曲できたら聴かせ合ったりとか。

──今でも曽我部さんとは連絡とったりします?

新井:とりますよ。メールの返事は全く来ないですが…(笑)。今回収録しているビートルズのカバー『She Said She Said』(M-16)は大学時代に録った音源で曽我部くんがギターを弾いているんです。「収録したいんだけど大丈夫だよね?」ってメールしたけど返事が来ないんで、まあ大丈夫だろうと(笑)。

──曲は8トラで自分たちで録ったんですよね?

新井:アンダーフラワーがコンピレーション第1弾を作るっていうときに声をかけてもらったんですが、スタジオも全然知らないし、どうやって録ったら良いかもわからなかった。だから一番最初の音源は、友達のバンドにノウハウを教えてもらいながら録ってもらったんです。それで自分たちでも音源を作っていきたいなって思っていた時に、ベルベットクラッシュの裏ジャケをみたら、“recorded by openreel 8 Tracks”って書いてあって、「これで録れるんだ!」ってオープンリールのでっかいのを買って。

──すごい高かったんじゃないですか?

新井:まあ…(苦笑)。当時ヴェルヴェット・クラッシュもレニー・クラビッツもオープンリールを使っていると噂で聞いて「これを買えばレニクラの音で録れる!」って(笑)。もちろん全然録れなかったですけど(苦笑)。試行錯誤しながらカセットテープの4曲入りを出さしてもらって売っていたんですが、ある程度曲もまとまってきたので、ちゃんと録ろうかって録ったのが『OUR EVERLASTING TRACKS』に入っている8曲目までの8トラで録った『Eight Tracks』(1993.10.25リリース)。9、10、11、12曲目が同じく8トラで録ったシングル。それ以降が未発表曲とかレアトラック。カセット音源だったり、初期の慣れないレコーディングの音源だったりするんだけど、そこに入ってるのは全て自分たちでエンジニアリングからミックスからやった曲ですからね。

──オープンリールはスタジオに持ち込んで?

新井:昼の安い時間に練習スタジオに持ち込んでました。

──学生生活の後半はN.G.THREEに費やしていたんですか?

新井:『Eight Tracks』は大学3年生の夏休みに録ってリリースしたのは3年の冬ぐらい。夏休みに前歯が知覚過敏で、すごく辛くて、キメの3曲目で歌入れの時に声が出きってないんですよ(笑)。そのままリリースしちゃってる。そんなノリですよ。

──僕が初めてN.G.THREEを知ったのはシェルターで働き始めてからですけど、メロコアを聴いていた中で、すごくひっかかった記憶があるんです。日本にもこんなにスタイリッシュな人たちがいるんだって。

新井:僕もベースの浦さんもノイズっぽいバンドが好きだったし、ニューキーパイクスとかビヨンズもよく見に行ってた。N.G.THREEではパンクテイストもありつつ、60'sとか70'sのオールドスタイルも入れてやっていましたね。僕らの世代は、こういう音楽をやってるからこれしか聴いちゃいけないっていう世代じゃなくて、いろいろ聴いてるけどアウトプットはこれっていう感じだったと思うんです。高校時代の『ドール』や『フールズ』を読んでる時代は、パンクだったらパンクだけで他のバンドをけなす。ライブハウスは危ない(笑)。憧れはありましたけど、どうしてこんなに喧嘩しなきゃいけないんだろうって思って巻いた(笑)。平和にロックができないかなって思っていたんです。ライブハウスに行くのは一大イベントでしたよ。ロフトもシェルターも気合い入れて行かないと(笑)。シェルターは階段を下りながら違う世界に足を踏み入れる感じ。新宿西口に向かって歩いている自分も緊張感がある(笑)。

──N.G.THREEはホコ天でやったりしてました?

新井:やってないんですよ。バンドブームを完全に否定していたので。上の世代への反発っていうわけじゃないんですが、同じことをやってもいけないなっていうのはなんとなくありました。僕らの代から言うと、ミッシェル(・ガン・エレファント)は日本のインディーズをちゃんと継承しているなっていう感じがあったんです。

──ミッシェルって当時から気取ったり変わったりせずだったんですね。

(ここでモリヘーさん登場。)

──モリヘーさんが初めてN.G.THREEを見たのは?

モリヘー:N.G.THREEはインクスティック芝浦ファクトリー(170坪の木造倉庫を使い、1987年~1989年の 3年間期間限定でオープンしていたライブハウス)で見てからだよね。カセットテープでリリースするレーベルをやっていた牧野君のイベントを手伝っていたの。当時そういうレーベルがいっぱいあったんだよね。

新井:海外でもインディーズレーベルがけっこう出てきて7インチとかリリースしていたんだけど、日本ではCDが高いから、カセットでオムニバスを作ってる人がけっこういたんだよね。

──モリヘーさんのイベントには出たことあったんでしたっけ?

モリヘー:RON RON CLOUは出てるけどN.G.THREEはシェルターとQueで1回ずつ。

新井:N.G.THREEのシェルター初出演は、モリヘーさんが紹介してくれた企画をやってる小林さんから「おまえらに一緒にやらせたいバンドがあるから、その後に出ろよ」って言われて、それがギターウルフだったんだけど、ライブを楽屋から「ウワー!」って言いながら見ていて、その後にやったっていう記憶が一番強い(笑)。ステージ水浸しだし(笑)。シェルターのオーディション受かってないのに、こんな水浸しのところで?って。そのときはステージで手を食いちぎる暴力温泉芸者とギターウルフとN.G.THREE だった(笑)。

一同:わぁ…。

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