渋谷系は日本におけるパンク・ムーヴメントみたいなものだった
──世代の話で言うと、今回参加してるミュージシャンって、コレクターズより下の世代の人がほとんどですよね。
加藤:そうだよ。民生とマーシー、あと森若(香織)が同じくらいのデビューで…。
古市:あとはみんな下だね。圧倒的に若い。
加藤:2、3年後くらいに、さわおがデビューして。あとはみんな若いもんね。
──才能ある若者がどんどん出てきて、日本のロックもいい感じになりましたよね、こうして見ると。
古市:ロックがもっと売れればいいんですけどねぇ。
加藤:ねぇ。でも、今の連中は凄いよね。アレンジとかも凄く勉強してるみたいだし。ああいう感じでサッパリと曲書けなかったからね、俺なんか。いいか悪いかは別にして、まとめるのが上手いよね、今の人って。みんな、まとまりのある曲を書くじゃん。
──センスいいですよね。
加藤:俺なんか、めちゃくちゃだったもん。アレンジ能力がないというか、今思うと「これはとても人に聴かせられないな」っていうような曲を書いてた(笑)。スタイルブックみたいなものが売り出されてるわけでしょ、今って。そんなの、俺達の頃はなかったからね。とにかく自分で作ってみるしかなかったんけど、今はありとあらゆる──ファッションでも音楽でも──スタイルブックがあるわけだから。
古市:ギターにしても、“ジャキーン”って音を出してる人、いなかったもん。鮎川誠さんくらいだろうけど、彼だってハムバッカーでしょ? シングル・コイルで印象的な音を出してる人っていなかったよね。
加藤:日本人にはいないよ。海外だってピート・タウンゼントくらいしかいないけど、その時代にピート・タウンゼントがどれくら機能してたか? って言うと、全然機能してなかったわけじゃん。
古市:今は恰好いいギタリストだって一杯いるんだろうし。
──少しはやりやすくなりました?
古市:いや、どうだろう? 今は自分が若くないから判んないけどね、それは。まぁ、ライヴハウスに来る客もさぁ、音楽が好きな人が増えたせいか、お目当て以外のバンドもちゃんと観れるようになったじゃん。前は全然観てなかったんだから、寝ちゃったりしてて。そういう意味では、シーンは良くなってるんじゃない?
加藤:ギターっていうと、歪んだ音で“ジャン、ジャン、ジャン、ジャン”っていう感じか、あとは早弾きするとか、そんな人ばっかりだったからねぇ。まぁ、20年も前ってなると、シーンも全然違うから。
古市:違うねぇ。
加藤:今から思うと、ピンと来ないことばっかりだったし。
古市:そういうギターを弾いてた人もいたんだろうけど、シーンの中心には出てきてなかったから。出てくるだけの…。
加藤:パワーがなかったんだよね。だって、俺達がデビューした頃なんてさぁ、ルースターズとかシーナ&ザ・ロケッツとかはいたけど、やっぱり歌謡的なものっていうか、アン・ルイスとか沢田研二っていう人達がロックに聴こえるっていう時代だもん。だから、この20年で随分と変わったよね。
古市:やっぱ、渋谷系以降なのかな。
加藤:そうそう、渋谷系以降だよね。あれによって、手に入らないようなレアなレコードもどんどんCD化されて、グレート・リスナーが一杯出てきたじゃない? それまではさぁ、ピチカートの小西君とか俺とかコータロー君とか、いろんな中古レコード屋を探し回ってたのに、渋谷のCD屋で簡単に買えるようになったし、みんなもどんどん勉強し始めて、いい音楽がダーッと出てきた。それより前は革命前夜だよ。
古市:90年代以降ってことだな。
加藤:80年代はまだまだ…。渋谷系って、日本におけるパンク・ムーヴメントみたいなものだったと思うんだよね、俺。
──そういう解釈をしている人って、少ないかもしれないですね。
加藤:うん、少ないと思うよ。でも渋谷系っていきなり出てきたものではなくて、俺達がやってたネオGSだったりモッズのイヴェントっていうのが60年代のフィーリングの種を撒いてたわけじゃん? それが育ってきて、生まれたものだと思うんだよね、渋谷系って。別に俺達が仕掛けたわけではないけど、でも、かなり貢献してたと思うし。誰もそこまで言ってくれないけど(苦笑)。
古市:パンクにおけるデトロイト・ロックの役割だよね、コレクターズは。
加藤:ホントだよ。だってさぁ、小西君だってネオGSの頃から、シーンに食い込んできてたし。ヒッピー・ヒッピー・シェイクスのアレンジをやったり、曲も書いてたし。その後でストライクスがデビューした時はプロデュースをやってたしね。いつも俺達の周りにいたっていうかさ。
古市:「あれが日本で初めてのシーンだ」って言ってるからね、彼は。
加藤:俺達のファースト・アルバムにも(高浪)敬太郎君がアレンジやってくれてる曲があるんだよ。だからピチカートとの繋がりっていうのも、その頃から始まってるんだよね。そういう意味では(ネオ??GSは)渋谷系の始まりだったわけで、そこにモッズとしてのアプローチをしていった俺達の存在っていうのは、もうちょっと評価されてもいいはずなんだけどねぇ。でも、なかなかそこまで系統的に聴いてくれる人もいないし。渋谷系とブルーハーツだな、俺のなかでは。日本のロックを揺り動かしたってことで言えば。
──渋谷系の絶頂期だった'93年に『UFO CLUV』っていう大傑作が生まれた、っていうのも意義あることですよね。
加藤:あれもさぁ、フリッパーズ・ギターに関わっていた吉田仁さんがいたから実現した話であって。…って考えると、全部繋がってるんですよ、やっぱり。仁さんはその前にサロン・ミュージックでひとつシーンを作ってきたわけで。そういうことを繋げていくと、日本におけるシーンの流れが判るっていうか。そういうのも面白いんじゃない?
古市:Rooftopで連載やれば? 協力しますよ。
──いいっすねぇ。そう言えば、'93年にピチカートとコレクターズで野音ライヴをやってますよね?
加藤:うん、やったよ。
──あれを観てて、「日本の音楽、凄いことになってるなぁ」って思った記憶があって。
加藤:そうね、あの時は俺と(野宮)真貴ちゃんがファッション・リーダーだったからねぇ。
──ははは! いや、ホントですよね。
加藤:ホント、ホント。俺、“オースティン・パワーズ”よりも全然早かったからさぁ。だけど世間じゃ判んないわけよ、“オースティン・パワーズ”が出てくるまで、悲しいかな。