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INTERVIEW

トップインタビュー【復刻インタビュー】町田直隆(2005年12月号)- BUNGEE JUMP FESTIVAL解散の真相に迫る

BUNGEE JUMP FESTIVAL解散の真相に迫る

2005.12.01

2005年12月10日、BUNGEE JUMP FESTIVALは吉祥寺STAR PINE'S CAFEで行われるワンマンをもって9年間の活動に終止符を打つ。どんなに年を取ろうとも、このバンドの、この3人の音をずっと鳴らし続けていて欲しい。絶対に解散して欲しくないし、しないだろうと思っていたバンドだっただけにこの衝撃は何よりも大きなものだった。ギターを掻き鳴らし目をひん向き、狙いを定めた野獣のように唄うボーカルの町田直隆、淡々とした中にも力強さを秘めずっしりとバンドの音を引っぱるベースの堀越武志、鋭い牙のようにドラムを叩く田辺純平。3人の音が重なり合ったとき、BUNGEE JUMP FESTIVALは最高の音をぶちかます。  今回のインタビューは、私がどうしても解散の話を聞きたい!とお願いして実現したもの。解散というただただ何とも言えない寂しさではなく、『B.J.F. IS DEAD』ではないということをこのインタビューで町田君が証明してくれた。(interview:やまだともこ)

解散という結論は後悔ではない

──12/10のワンマンを最後にBUNGEE JUMP FESTIVALは残念ながら解散ということになってしまうんだけど、どうして解散という結論に至ったの?

町田:メンバーのやりたい音楽的なものが変わってきたところが一番でかいんじゃないかな。あと、純平(dr)が足の調子悪くしちゃったのもあったし。いろいろ話した結果それだったら解散しようっていうところで。

──誰が最初に言ったの?

町田:最初に言ったのは僕。客観的に考えてこの先、例えば無理して続けていくリスクよりも3人別の道を行くリスクのほうが軽い気がした。

──無理するっていうのはやりたい音楽性が違うところとか純平くんの足の問題とか。

町田:そう。僕の中でも前のアルバム『CRUITHNE』を作った時にある種の達成感みたいなものがあって、これから先どういうバンジーを作っていくか、どういうライブをやっていくかというビジョンがはっきり見えなくなっていたのがある。

──やっぱりバンジーの中でも『CRUITHNE』はかなり達成感のあるアルバムだったんだ。

町田:バンジーの中でというよりは僕の中でね。事務所もレコード会社も辞めたときに、絶対自分がすごく満足できるものを作るぞって思って、『CRUITHNE』が限りなくベストな形で作れて、ひとつの達成しちゃった感はあったんだよ。まわりからしたらこれで満足なの?っていうのはあるかもしれないけど、僕の中でやったなって感じがしたのは事実で。もちろん次はこれ以上の作品を作るっていう気持ちはあったんだけど、当面見えなかったんだよね。また『CRUITHNE』ぐらいのポテンシャルで作品作るのにあのぐらいの時間を要する気がしてならなかったんだよ。

──でも、『CRUITHNE』のリリースが前の作品から2年ぐらい経ってたから、それぐらい時間をかけても良さそうな気がするけど…。

町田:とりあえず一旦終わらせようって思った。また第二章があるのかわからないけど、一章は終わりっていうふうにしたかった。

──もったいないよ。

町田:もったいないなって思ってくれるのはありがたい話。僕ももったいないなと思う。だけど、解散を決めた今の心境として後悔してるかって言ったらそういう気持ちじゃないんだよね。僕はもっとやりたい気持ちはあったけど、客観的に判断して。

──それはメンバー全員うなづいてるの?

町田:僕が言い出しっぺでありながら僕がうなづけてない部分があるんだよ。でも、現時点では正しい選択だった気はしてる。その時はいろいろ考えて出した結論だったから後悔はないな。

──バンドの解散って何なんだろうね。聴く側からしたら音が聴けなくなるし寂しいのかな。

町田:バンジーの音が聴けなくなるのは俺も寂しい。俺も寂しいんだからお客さんはもっと寂しい。俺がもう1人いるんだったらバンジー続けて欲しいもん。

──『CRUITHNE』でインタビューした時、原点回帰的なところで作品が出来たって言ってたけれど、あの時点でもしかしたらこうなるっていう何かがあったりしたの?

町田:気持ちとしては原点回帰だったけど音としては全ての集大成だったな。全てのアルバムの要素があと思う。これで終わりになるってことは思ってなかったと思う。でも、どこかでそういうことをちょっとは感じてたのかも。その時の気持ちとしてはその時点でベストを尽くすっていうことだったけど、結果的には集大成的な内容なったかも。

BUNGEE JUMP FESTIVALは消えない

──この何年かで事務所辞めたりレコード会社変わったりいろいろあったけど、それでも自分達でやってきたりして。

町田:事務所を辞めてからの2年間はホントに充実してたよ。好きなようにできたしイキイキしてたと思う。すごくバンドらしくなった。いろいろ転々としすぎたね。不誠実な対応してきたわけじゃないし、うまくやらない気があったわけじゃない。いろんなことが肌に合わなかったんだろうね。音楽の世界の(笑)。とても険しいROAD TO ROCK'N ROLLでしたよ。音楽業界からは愛されなかったけど、ある意味ロックからは愛された3人かもしれないね。。

──お客さんからも愛されてたよ。バンジーのお客さんはあったかいよね。

町田:お客さんからも愛されてた。それは財産だよ。心の許容量がスゴイ広い人が多くて、ライブでもすごい余裕を持って見てくれてる感じがする(笑)。

──町田君、ステージに立つと何するか予測不可能になるもんね。

町田:僕は突発的だから。やりたいことをやらなきゃうそなんだぜっていうのをジョー・ストラマーから教わったから。やりたい時はその時やる。その時やりたいことをやるっていうのがパンクだぜ。それが僕の基本的な理念だから。これは芸じゃないんだよ。芸じゃないということはプロもアマもないってこと。ただ、3人の表現者がそこにいた。?赶

──すごい表現者が集まってBUNGEE JUMP FESTIVALになったってことだね。12/10の解散ワンマンはどんなかんじに。

町田:オレ達芸人じゃないからわからないや。突発的なライブになるんじゃないかな。新旧織り交ぜてやろうと思ってます。最後はちゃんと自分の中にあるプロ意識を持ってやりますよ。これがバンジーじゃい!っていうことがプロ意識だからね。これがバンジーじゃい!! …文句あっか! って。

──でもさ、「これがバンジー!」って言っても“これ”が決まってないじゃん。

町田:いろんな“これ”があるからね。“これ”をかいつまんでね。

──本当に解散ライブなんだよね。チケットは即完だし。もっとデカイところでやんなきゃ無理だろと思ったよ。

町田:ビックリだよね。僕の中で非現実的な現象だもん。ありがたい話だけどね。解散ライブでお客さん3人ぐらいしかいなかったらね。それはそれで楽しいけど、やっぱりいっぱいいてくれたほうがうれしいしね。

──最後にバンドとして音源とか出したりする予定はあるの?

町田:大人の事情で…。これからの俺のがんばり、メンバーのがんばりだよね。とにかくいろんな事に対して、、、。日本の音楽業界はクソだって言うじゃん。クソだっていう以上はなんとか自分のまわりだけはクソにしたくないわけですよ。以上。

──う・・・ん??? ということは音源は未定?

町田:すごく出したいけど、がんばるよとしか言えない。バンジーの音楽を闇に葬ったままなのはすごくもったいない。この先、人数は少ないとしてもバンジーの音を必要としてる人がいると思うんですよ。そこはがんばってなんとか復活させたいね。バンジー解散したあともそういう意味でも続いていくんだよ。インディアンの発想ですごく好きなのは「人が死ぬ時っていうのは人の記憶からその人の存在が完全に忘れ去られた時がその人が死ぬ時だ」って言う有名な教えがあるけど、音楽もそうだと思うよ。音楽こそまさにそれだと思う。消えた日がホントに解散だね。その日までBUNGEE JUMP FESTIVALはある。

──消えることはないだろうね。

町田:僕たちは消しちゃいけないからね。3人あってのバンジーだからどこも欠けちゃいけないんだよ。そういうことです。

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