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INTERVIEW

トップインタビュー【復刻インタビュー】CUBISMO GRAFICO FIVE(2005年1月号)- いつだって満足できる至福のポップ・ミュージック

いつだって満足できる至福のポップ・ミュージック

2005.01.01

 松田"チャーベ"岳二(ニール&イライザ)が腕利きミュージシャンばかりを集めた夢のスーパー・バンド、CUBISMO GRAFICO FIVE(以下、CGF)。昨年7月にリリースしたファースト・アルバム『CINQ (four+one)』に続き、アルバム名と曲名もすべて"S"で始まる"sweet"で"soulful"で"stylish"に"swing"しまくる、どこまでも"S"づくしな至福のダンス・パンク・アルバム...その名も『SEEDY』を完成させた。チャーベ君を筆頭にFRONTIER BACKYARDの田上修太郎、Hi-STANDARDの恒岡 章、ニール&イライザ等のサポートで知られる330、人気セッション・ミュージシャンの村田シゲという豪華な顔ぶれの第2期CGF、今月末には"SHELTER"(これまたイニシャル"S"!)にて待望のワンマン2daysを行う。否応なしに聴き手の気分を高揚させる彼らのポップ・ミュージックに身を委ね、まるで魔法のようなその音楽の効力を是非体感して頂きたい。(interview:椎名宗之)

メンバー・チェンジのピンチをチャンスとして捉えてみた

──前作『CINQ (four+one)』では松田さん主導による企画性の強いユニットという印象だったCGFですが、今回リリースされた『SEEDY』ではグルーヴ感が増して、よりバンド感が前面 に出ていますね。
 
松田:『CINQ (four+one)』に収めたのは元々あった曲だったり、カヴァーもあったし、CUBISMO GRAFICO(松田氏のソロ名義)として打ち込みでやっていた曲をバンドに置き換えてみたものがあったり、あの時のメンバーで作った曲は3曲だけだったんです。今回のアルバムは一からみんなで曲を作っていったので、自ずとバンド・サウンドになったっていうか。メンバー個々のやりたいことを1枚のアルバムとして一箇所に投げ込めたんですよね。前はコードなりメロディなりが初めにありきでしたから。だからこのアルバムでようやくひとつの“バンド”になれたかなって思ってます。
 
──『CINQ (four+one)』リリース後に行われたライヴを通じて、松田さんのなかで感じたバンドとしての手応えもあったでしょうし。
 
松田:そうですね。このバンドはやっていて凄く楽しいんですよ。いい意味での緊張感もたまにあるけど、かと言ってヒリヒリするようなものでもない。とにかく一緒に音を出していて楽しい面 子なんですね。CDをリリースしてもしなくても、バンド名を変えてでも、何らかの形で続けていきたいとはずっと思っていて。この顔ぶれでまたライヴをやる口実としては、新しい作品を作るのが一番だと思ったし(笑)、そうしないとみんなもフレッシュな気持ちにならないんじゃないかと。丁度いいタイミングで新しいアルバムを作る機会にも恵まれたのでラッキーでしたね。
 
──第2期CGFではDOPING PANDAの古川(裕)さんが“卒業”、ベースの330さんがギターに“席替え”。新たにクリンゴンのサポート等で知られる村田シゲさんがベーシストとして“入学”されて。そんな新たな血の導入もバンドが活性化した原因のひとつなのかなと。
 
松田:それもありますね。シゲは一緒に何かやってみたいリストのなかにずっと入ってたんです。古川はドーパンが忙しくてスケジュール的に無理だなぁと思ってた時に、ギターを探すよりもまず最初に頭に浮かんだのがシゲだったんですよ。古川が入る前には元々330君にギターをやってもらってたので、今回は戻ってもらう形にして。ある意味ピンチだったんですよ、このメンバーの変動に関しては。
 
──そのピンチを逆手に取って、結果バンドとしての勢いが増したわけですね。
 
松田:そうなんです。このタイミングでのメンバー・チェンジをいい機会として捉えようと思ったんですよ。億万長者の人が“ピンチをチャンスに変えろ!”って言うことの200分の1くらいは今回理解できましたね(笑)。
 
──『SEEDY』に収録されたのはどれもCGFのために書き下ろされた曲ですか?
 
松田:そうです。メンバー全員で一から作り上げました。“こういうコードでこんな感じの曲をやりたいんだ”って伝えて、みんなでワイワイやりながらまとめていったり、田上君がギターを持って“ちょっとこういうのやってみない?”ってフレーズの出し合いっこをしてみたり。9月の頭からスタジオに入ったんですけど、シゲがバンドに入るのを決めたのは8月の末だったんですよ(笑)。うまく行くかどうかは正直不安なところもあったんですけど、スタジオで顔を合わせた初日に“これは行ける!”って思えたんですよね。みんなで演奏して夢中になれたんです。
 
──松田さんもバンドの“one of them”であり、5人がCGFのなかで対等な関係を築けたからこその一体感なんでしょうね。
 
松田:僕はちょっとしたきっかけの一言を言うくらいで、あとはメンバーがどんどん転がしてアレンジを作っていったりしてましたから。僕自身、堀江(博久)さんと2人でニール&イライザをやってみたり、1人でCUBISMO GRAFICOをやったりしてたくらいで、バンド・アレンジに関してはまだ経験が浅いんですよ。だからCGFでは凄く勉強になるんです。何から何まで全部自分で細かく決めちゃうと箱庭っぽくなるっていうか、自分の知ってることしかできないじゃないですか。いわゆる手癖の範囲で僕ができることしかやらなくなる。それがCGFのように他のメンバーからどんどん意見が出てくると、僕のなかでは出てこなかったアイディアが次々と生まれてくるから新鮮なんですよ。
 
──曲の骨組みは6~7割を松田さんが作って、あとは現場でメンバーに振るという感じですか?
 
松田:いや、1割とかじゃないですかね。コードを2つばかり持っていって、“雰囲気はこうしたい”って伝える程度ですよ。そうすると“じゃあそこにもう1つコードを入れようか?”とか意見がすぐに返って来るんです。田上君が小学5年生の時に作った曲(『SNOWDOME』)や2曲目の『SOUND BWOYS FIRE!!!』は田上君が骨組みを持ってきたパターンですね。
 
──ただ、バンドのメンバーを適材適所に配置するセンスというか、DJとしても活躍されている松田さんの優れた編集者的資質をやはり随所に感じるんですよね。
 
松田:僕自身、作曲家やメロディ・メーカーではないと思ってるんですよ。やっぱり、トラックを作るDJ的な発想に近いんですよね。CGFでの活動を通 じて、バンドとして曲を作るってことが最近やっと判ってきた感じなんです。
 
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