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INTERVIEW

トップインタビュー【復刻インタビュー】GRIFFIN(2003年5月号)- GRIFFIN 射延篤史が語る素顔のジョー・ストラマー

GRIFFIN 射延篤史が語る素顔のジョー・ストラマー

2003.05.01

昨年12月22日、50歳の若さで急逝した元クラッシュのジョー・ストラマー。「クラッシュがU2のルールブックを作ったんだ」とはボノによる発言だが、GRIFFINとてそれは例外ではない。ジョー・ストラマーから絶大な影響を受け、来日の際には本人と直接対面 も果たした射延篤志(vo)が、今は亡きジョーへの想いを小誌だけに語ってくれた。(構成:椎名宗之)

ジョーだけはクラッシュ再結成に“NO”

射延: ジョー・ストラマーのことは、それこそいろんな人が語ってるから、俺がここで語る必要もないねんけど(笑)、これホンマに『Rooftop』だけにしとくわな。
クラッシュが来日した1982年って、俺中学3年でもうすぐ卒業って時で、クラッシュのことは知らんかった。それより歌謡曲とかツッパリ・ブームの頃やったから。で、遅ればせながら何ヵ月後かぐらいにパンク・ロックに矛先を変えて。ジョー・ストラマーの写 真を見て今でも“めっちゃかっこええなぁ”と思うのは、82年の来日した時に履いてた白のエアーソウル。あれは今見てもかっこええな。

射延:アルバムで一番ええのは2nd(『GIVE 'EM ENOUGH ROPE/動乱〈獣を野に放て〉』)かな。次に1st(『THE CLASH/白い暴動』)。『LONDON CALLING』は聴きすぎて飽きたっていうのもあんのかな。『SANDINISTA!』の何曲かはCDで聴いたらペラッペラやねん。ちゃんとマスタリングしてへんのやろな。『COMBAT ROCK』はB面は聴かへんかな。『CUT THE CRAP』ってCD出てるよな。あれはもう1回聴こうかなぁ。『PEARL HARBOUR '79』(1stを再編集し未発表曲等を加えたアルバム)がCD化されてへんねんな。あれはちゃんとマスタリングしてCD化してほしいな。

射延:ジョー・ストラマーと会った話? でもあのおっさんなぁ、誰とでも写真撮るようになったから今や珍しくもない話やん。俺が会うた時はホンマに貴重やってん。貴重って、そんな言い方するとちょっと安っぽいけどな。ポーグスのメンバーとして10年振りに来日した時やから、もう11年も前(92年2月)になるわ。そん時は俺が強烈なジョー・ストラマー熱の時で、少なくとも大阪一のファンやったと思うねん。だからもう強攻手段で会ったみたいな感じやったわ。知り合いのプロモーターに頼み込んで、強攻、強攻で押し掛けてな。搬出終わって、エレベーターにポーグスのメンバーが乗ってんねん。ジョー・ストラマーも乗って下に行かなあかんのに、俺らが引き止めてるから。そしたらジョー・ストラマーが「明日また来い。ゲスト・リストに入れたるから」言うてくれて。でもその次の日はプロモーターとかの関係がどうのこうので都合つかなくて。で、結局3デイズの3日目にな、「呑みに行こう」って言われて、11時半に道頓堀集合や。「ホンマっすか? ほな行きますわ!」言うて。“関係者から何から、50人、いや500人くらいで来るんやろなぁ”なんて思ってたら、5人だけで来よってな(笑)。こっちも5人で店はガラガラで。「打ち上げでももっと人おんで!」っていう状態。まぁ、とにかく喋る、喋る。よう呑むし。朝の3時、4時くらいまでずーっと続いた。そん時に「クラッシュ再結成すんの?」って訊いたら、「ミック・ジョーンズは何万ポンドで話が来て“YES”って言いよった、ポール・シムノンも“YES”、トッパー・ヒードンも“YES”、でも俺だけは“NO”って言った」って。で、「あんたやっぱりすごい人や!」って話した記憶ある。俺らホンマ、ただのファンやから要らん話ばっかりしとってんやん。でもその話にちゃんとノってくるし、何やったらその話をもっと広げてくれるし。ファンに降りてくるっていうか。

月並みな言い方やけど、ホンマいい人やった

射延:そん時にGRIFFINのTシャツを持っていってん、3種類。そしたらジョー・ストラマーが「これ欲しい! かっこいい!」って俺の手から1枚をバーって取って、「あとの2枚はスパイダー(・ステイシー/ポーグス)にあげてくれ」って言うの。そん時にな、スパイダーが俺の詩を見ながら怒ってんねん。「何で自分の国の言葉で唄わへんのや?」って。だから「これホンマは日本語やねんけど、あんたらに見せるために英語にしてるだけや」言うたら、「それやったらええけど、ドイツ行ってもフランス行っても、ヘタな英語で皆唄いやがんねや」って。そんなこともあって、それからポーグスの音楽にハマって聴くようになったな。でもホンマに、月並みな言い方やけどいい人やなぁ。もし俺があの人やったらシンドイで。お会計の時に「皆で割ろう」言うて金出したら、「構へん構へん、俺が奢る。ナンボやねん、ええからええから」ってジョー・ストラマーが言うねんで、払ってくれてん。“うわどうしよ、悪いなぁ”思うてたら、店の人に「すいません、2万足らないんですけど」って言われて、(ジョーを)立てようってことで皆で出し合った。ジョーにしたらどれが1万円札かとか、多分紙幣が判らへんかったんと思うけど、あれは面 白かったなぁ。

射延:それから、2001年に『DOLL』からジョー・ストラマーのニュー・アルバム(『Global A Go-Go』)が出るからってインタビューの話が来て、「久しぶりやなぁ」って電話で話してんけど、こっちのことをちゃんと覚えててくれたから、また感動や。「今でもGRIFFINのTシャツ着てるぞ」とか「来日すんのが11月やから、そん時また会おうや」とかいろいろ言うてくれて。それでまた来日した時にな、ON AIR 大阪で搬出っちゅうか機材をバラしてる作業をしとってん。そん時にクレーンで“ギーン、ガシャン、ギーン、ガシャン”って音がしてて。そしたらジョー・ストラマーがファンにサインしながら「これ、GRIFFINのニュー・アルバムや」って。“ギーン、ガシャン”って音が(笑)。“あ、覚えててくれてはんのや”と思ったけど、よくよく考えたら“ナメられてんな、これ完全に”っていうエピソードがあります(笑)。そう、服も貰ったな。今そんなん言うても自慢になれへんねんけど。『ROCKIN' ON』の2万字インタビューの時に猫と一緒に写ってる写真って知らん? そん時に着てたウェスタン・シャツみたいなの。しばらくはジョー・ストラマーの匂いが付いとんねん。「うわ、ジョー・ストラマーの匂いやー」って洗わんとずっと飾っとって。けど、だんだん日にち経ったら香水の匂いが取れて、ワキの臭いがきたんや、やっぱり(笑)。

射延:ジョー・ストラマーと関わりを持てたのはホンマに、生涯で夢のようなことっていうのが皆一度はあると思うねんけど、まさしくそれやってんか。ホンマに、もう二度と会うこともなくなったし…。だからやっぱり、大事な思い出やな。

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