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INTERVIEW

トップインタビュー【復刻インタビュー】島田洋七(2003年3月号)- 笑魂伝承にすべてを賭けた全身漫才師を直撃!

笑魂伝承にすべてを賭けた全身漫才師を直撃!

2003.03.01

漫才って、やっさんじゃないけど  何でもできんとあかん

──“M-1”以外で、最近の若手はどうですか?

洋七:キングコングとかが、漫才の間を覚えたらええやろな。ギャグに走ろう、走ろうとしてるからな。品川庄司はイチ押しや。テンポええし、声デカいのは武器やで。おぎやはぎとかは声小さいねん。声を上げて、ボソボソ喋る方法もあるねん。吉本新喜劇見てみいよ。あれじゃ笑い取れへん。やっぱり、技術なんて素人が見てもわからへんことやからな。終わってから「声、上げぇ」言うてあげたがな。

──品川庄司は関西弁じゃないというこだわりはないですか?

洋七:別にないな。タレントとしてテレビよう出てるけど、「漫才もおもろい」と言われなあかんわな。

──笑い飯はどうでした?

洋七:もっと、勉強せなな。一発、ポコっとハマっただけや。それだけの話。薄いわ。こないだ一緒に番組出たら、滑ってたもん。むっちゃ漫才こけてた。すぐ出したらあかんよ、会社も。せめて、あと2年くらい頑張らさな。

──ダブルボケってのは、新しいって言われてますけど。

洋七:新しないよ。昔からあった。皆見てへんだけや。ダブルボケ言うても、どっちもツッコんだりしてるしな。自分らで、ダブルボケっていう売りを作ったのは偉いな。やってることは一緒。俺なんて、ツッコミボケや。ネタもふるし、ツッコむし、ボケるし大変や。真面 目なこと言うて、ドーンと落とす。でも、落ちたらそれは大きい。人がふるんじゃなくてな。説得力があるから落ちるねん。いかにほんまみたいな顔をして、オチを平然と言うんよ。「ボケまっせー」言うてボケても、笑いが半減するからな。だからそこに、フットボールアワーはワーっと笑われへんところがあるんよ。もう、ボケるのがわかるからな。漫才ってな、やっぱ、やっさん(故・横山やすし)じゃないけど、何でもできんと。ツッコミもわかっといて、ボケてみたりするから、おもろいねん。

──予定調和ですもんね。

洋七:今頃のは、型決めたらそれだけ。フットもボケたら、ボケただけ。まぁ、まだ7年目やからな。センスはええねん、あのネタの作り方は。決勝戦のネタでボケが違うパターンを持ってきてたら、優勝してたやろな。

──ネタ自体は嫌いではない?

洋七:嫌いちゃうよ。あれは上手い。いとし・こいし【註6】みたいなもんや。

──いとし・こいしですか?(笑) 最高の例えですね。で、最後なんですけど、もし漫才ブームの時に“M-1”的なものがあったとしたら、優勝は誰がしてたか予想できます?

洋七:俺やな。B&B。絶対優勝してるわ。

【註1】『オレたちひょうきん族』終了以降で、この2人が絡んだのはほぼ皆無。上岡龍太郎と笑福亭鶴瓶の『パペポTV』の最終回での2人の絡みは伝説になっている。
【註2】関西の雄、やしきたかじんがホスト役を務める番組。最終回でビートたけしをゲストに迎え、たかじんが媚びへつらう姿は多くの視聴者を失望させた。
【註3】『探偵ナイトスクープ』の探偵として有名。洋七師匠の企画した映画『THE HEART MAN』の監督でもある。
【註4】島田紳助が提案した、漫才のNo.1を決める大会。優勝賞金は1,000万円で、第1回の優勝者は中川家であった。
【註5】研究熱心な島田紳助は島田洋七の喋りを盗むために、同じ島田洋之助師匠に弟子入りしたのである。
【註6】夢路いとし・喜味こいし。上方漫才の大御所。平成11年には大阪市指定無形文化財に認定される。

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