シンガーソングライター・朝日美穂が一昨年から企画制作してきたアルバム『どんなものでも君にかないやしない~岡村靖幸トリビュート』の評判がすこぶるよろしい。セールスも好調なようで、オリコンの国内自主制作チャートでも堂々の3位 をマーク、新しい岡村ファン増殖にも一役買っている。聞けばこのアルバム、某メジャー・レコード会社との契約が切れてフリーの立場となった朝日女史が、自ら単独で参加ミュージシャンの交渉やら発売元のレコード会社探しなどの営業やら諸々のシチ面倒くさい裏方作業の一切をこなし、やっとの思いで発売に漕ぎ着けたという大変なシロモノであるとのこと。彼女を突き動かしたのは、「とにかく岡村ちゃんが好き!」という岡村靖幸への愛情一点においてのみ。他言無用に初志貫徹。あの一見華奢で儚げな容姿とは裏腹に、朝日美穂はとんでもないサムライだった! というわけで、ジャケットのイラストを担当した江口寿史に「このトリビュートに傾ける情熱に本当に感動した!」と言わしめた当プロジェクトの首謀者・朝日美穂に岡村ちゃんへの偏愛っぷり、アルバム制作に賭けた想いをたっぷりと語ってもらった!(interview:椎名宗之)
──すでにいろんなところでお話しされてるとは思いますが、改めて今回の岡村ちゃんトリビュートを作るに至ったいきさつを訊かせて下さい。
朝日:はい。とにかく岡村靖幸さんが大好きで、年中「岡村ちゃん! 岡村ちゃん!」と言ってまして。自分が持っていたJ-WAVEの2時間の生番組でも岡村特集を組んだりして。で、マネージャーに「そんなに好きなら自分で企画して(トリビュート・アルバムを)作れば?」って言われて、“それはいいや! いつかやりたいな!”と思って。でも、まだその頃は自分のアルバムを制作していたので、“そんなの夢だなぁ…”なんて思ってたんですけど、メジャーとの契約が切れた時に“あ、今しかできない!”と。
──とすると、これは何年越しの作品になるんですか?
朝日:2年です。結果的にこんなに豪華な顔ぶれが揃って、自分でもビックリです。
──参加された面々は朝日さんがお一人ずつ声を掛けて?
朝日:そうですね。くるりの場合は、「くるりにやってもらいたいんだけど…」ってミト君(クラムボン)に相談をして、ミト君が佐藤(征史)さんにお声を掛けて下さって。
──どの曲もとにかく、岡村ちゃんへの愛情が「これでもか!」ってくらいにヒシヒシと伝わってくる出来ですよね。
朝日:それは私もビックリしましたよ。音が上がってくる度に、“最初にこれを聴ける私は何て幸せなんだろう!?”って。選曲は全部皆さんにお任せしたんです。早い者順!(笑) 直枝(政広)さんは、HARCOが選んだ「ターザン ボーイ」を本当はやりたかったそうなんですけど、先にやられちゃったから「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」にして、くるりは「あの娘~」をやりたかったのに「直枝さんがこんなに素晴らしい音を作ったんだったら、自分たちは他のをやるしかない!」って「どぉなっちゃってんだよ」を選んで。
──そんな中、朝日さんは直球ストレートに「だいすき」を選ばれてますが、これは「岡村ちゃんが“だいすき”!」っていう意味合いも込めて?
朝日:それは後付けです(笑)。“ヘポタイヤ~”っていうあのフレーズが大好きで、あれを言いたかったんです。
──他に候補曲はあったんですか?
朝日 :「Vegetable」だとか、「ラブ タンバリン」だとか。『家庭教師』(1990年11月発表)っていう渋いアルバムの前の作品って、もうちょっと明るくて弾んだ感じがあるんですね。その頃に私は岡村さんのファンになって、高校時代は本当に岡村さんがアイドルだったんですよ。その気持ちを大切にしたいというか、初心を忘れずにというか(笑)。その頃の曲のほうが自分にも合ってる気がしましたし。
──そもそも朝日さんが岡村ちゃんにハマったのは?
朝日:『シティハンター』っていうアニメ番組の主題歌(「Super Girl」)を聴いて、ちょっとハミ出したような歌詞が気になったのがきっかけです。自分で唄ってみたら凄く気持ち良かったんですよ。
──その頃は他にどんな音楽がお好きだったんですか?
朝日:丁度ブルーハーツが出てきた頃で、自分がやってたバンドではブルーハーツのカヴァーをしたり。あとは…そうそう、今は知り合いになれたトモさん(現トモフスキー)やハルさんがやってたカステラやザ・ピーズとか。
──完全なバンド・ブーム世代なんですね。
朝日:そうです。『アンダウン』でHARCO君が言ってるんですけど、「イカ天から出てきたいろんなバンドと対極的な位 置に岡村靖幸がいて、当時はその両方が面白かった」って。要するにエピック(・レコード)最盛期の最後の頃…TMネットワークや渡辺美里、大江千里とかが活躍してた頃ですよね。
──音楽雑誌でいえば、『PATi-PATi』や『GB』なんかのソニー・マガジンズ系か、まだ真っ当な音楽誌だった頃の『宝島』系か、っていう。
朝日:私は『PATi-PATi』系だったんだと思いますよ。『PATi-PATi』だとか『GB』だとかで、岡村さんがシングルの「イケナイコトカイ」を出した時の写 真を見て、“ワーッ、ヤな感じの人だな”って思ったんですよね、最初(笑)。凄いインパクトでしたね。ベージュのスーツを着て薔薇を持って、中央に“イケナイコトカイ”って文字が入ってるんですよ。“ウワァーッ!”って感じでしたけど、でも凄く気になり始めたんです。“ああ、この人が私の知ってる渡辺美里のヒット曲を書いた人なんだ?”っていう入り方でね。とにかく私にとってはアイドルでした。
──岡村ちゃんの系譜って、今だとやっぱり及川光博とかGacktとかの流れに行き着くんですかね?
朝日:うーん、ちょっと違うと思うんですよね。及川さんは及川さんで、流れは受け継いでるけれど違うものですよね。岡村さんは完全なオリジナルですからね。物凄くキャラクターが濃いですしね。純然たるアーティストというか、独りエンターテイナーというか…。