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INTERVIEW

トップインタビュー【復刻インタビュー】掟ポルシェ(2002年4月号)-表現者はキチガイであるべき。但し病院に入っちゃいけないキチガイなんです。

表現者はキチガイであるべき。但し病院に入っちゃいけないキチガイなんです。

2002.04.01

80年代は情念の塊のような時代だった 

──洋楽編の『1』もさることながら邦楽編の『2』がまたいいですね。
 
掟: 基本的にポップになりきれないものを集めてるわけじゃないですか。だからポップなものを期待してこのCDを聴いた人は大抵4曲目の戸川純で挫折しますね(笑) 
 
──しかも3曲目で黒木香っていう難関にぶちあたりますし(笑) 
 
掟: この辺で黒い霧がかかるんですね。死にたい気分100%の。5曲目はRUINSだし、間違ってもこれ聴きながらLSDとかやれないですよ(笑)。まあこれは当時トランスレコード(註2)から出た曲ですが、全然トランスできない。そういうのを期待して聴くと火傷どころかケロイド状になってしまう。 
 
──あと、13曲目の泯比佐子さんの歌を聴くと本当に涙が出てきますね。
 
掟: ここに収録されてるのは、この時代、文字通り骨身を削って表現してた人達じゃないですか。自分の中の狂気という、本来人には見せたくない病理的な部分を表現にまで昇華させていたわけだから。多分この中の半分は松沢病院に入っててもおかしくないと思うんです。そのぐらいギリギリの所に向き合って作ったものは人には伝わるっていうか、ズシっときますよ。例えば、女の子と初めて飲みに行った時に、手首のためらい傷を見ちゃった時の「うわ、ヤベー」っていう感じの重み、そういうものを感じて欲しいですね。決して軽い気持ちじゃ聴けない。 
 
──まさに「情念」が渦巻いてるというか。
 
掟: 80年代って情念の塊のような時代だったと思うんです。それが90年代に入るとどんどんうすくなって、キンタマも軽くなりましたよね。例えば、80年代はメイクしなくちゃステージに立てなかった。つまり何か人と違ったことをしなければステージに出れないのが80年代だったはずなんです。でも90年代は、肩の力を抜いて自然体っていうの? Tシャツにスニーカーでステージに出てくるわけじゃないですか。そんなんで出てくるな! 襟を正せ! 正す襟がなければ出てくるな!ってことですよ。俺はそういう忸怩たる思いを90年代イヤという程したために、ロマンポルシェ。というものを始めなければいけなくなったんです。
 
──90年代が逆説的に生んだのがロマンポルシェ。だと。
 
掟: 90年代への怨念が生んだんです。寂しかったですよこの時代は。聴く音楽もないし。だから90年代に死ぬ 思いでやってた人には頭が下がりますよ。
 
──その頃は例えばどんなバンドが好きでした? 
 
掟: マリア観音(註3)をよく観てたんです。大好きでしたね。だって、おかしいですもん。素肌に白い毛皮を着て、下は金魚のスパッツに鉄ゲタ。しかも坊主にサングラス。その格好で山手線に乗ってるんですよ。それを見て女子高生が笑ったら、「お前、今笑っただろ。人のこと見て笑うもんじゃないって親に教えられなかったのか!?」って怒るんですよ。
 
──まるで今のロマンポルシェ。だ。
 
掟: そう。だからロマンポルシェ。ではあの当時俺がマリア観音からもらったものを忠実に再構成して教えているんですよ。すごい影響受けてますから。 
 
──なるほど。つまり掟さんは表現者がもつ狂気としか言いようのないものを伝えるためにやっているんでしょうか。
 
掟: 表現する人間の資質として気違いであるべきだと思うけど、ただそれは病院に入っちゃいけない気違いなんです。病院で薬を処方されてしまうと、気違いは単なる精神病患者のレベルに下がっちゃう。病院に入っている人よりもっと気違いな人が大手を振って歩いてるのが80年代なんですよ。 
 
──表現者が自分を突き詰めていって気が狂う事は時々ありますが、80年代はそういう人達が凝縮されていた時代だったのかもしれないですね。 
 
掟: 当時、ダメだなあと思ってたうちの一人に長渕剛がいるんです。ただ彼は自分がニセモノだと知ってたんですね。ニセモノから本物になろうと努力してついに本物になった人だと思うんです。だから80年代に「順子」なんていうしみったれた歌を歌ってた頃はニセモノだったんですが、その後どんどんおかしくなっていって、映画『ウォータームーン』の辺りから完全におかしくなったんです。すごい映画ですよ。だって、長渕剛が坊さんの格好してるのに宇宙人なんです。全然わかんないですよ。狂おしいまでの衝動がないとできない映画ですね。長渕剛の闇の部分が垣間見れますから。だから長渕剛に関しては後になって「ああ、今思うとあれは俺にとってのNWだったんだな」って思いましたね。 自分は何ものでもない
 
──今までの話を聞いて、掟さんがNWをやりながら男道を説く理由がなんとなくわかったような気がします。
 
掟: だからNWは本来男らしいものだと思いますよ。外見的にメイクしてオカマの格好で歌ってるからといって男らしくないというのは大間違いで、そこに過大な野望があれば男だと言える訳ですよ。性別 が女でも男ですよ。たとえその方向が間違ってても、それを達成するためにどれだけあがけるか、それがNWにとって最も重要なんです。90年代に一番よくなかった出来事って『エヴァンゲリオン』のブームだったと思うんです。「僕はここにいてもいいのかな?」ってことを延々問い続けて、そういうダメな自分を肯定してくれって言い続けてた訳じゃないですか。ダメな自分を肯定したって面 白くないですよ。ところでエヴァとちょうど同じ頃、梶原一騎のリバイバルが起こったのを覚えてますか。梶原一騎が言っていたのは、ダメな自分を肯定するよりも、嘘でもいいから作りあげた自分──俺はこうあるべきだという、よこしまな欲望を肯定した時に初めて人間はそれ以上のものになれるということなんです。僕は人とうまくコミュニケーションできないからお薬飲んでますなんてことをアイデンティファイするなと。男ってのはなぁ、細かいこと考えずにいい車乗っていい女抱けばいいんだよってことを定義したのが梶原一騎の人生観だったんですよ。それは、彼が自分の気弱さやダメさを認識してるからこそ書けたものだと思います。だからこそ肩肘張って生きなければダメなんだと。男なら大風呂敷を広げて、包むもんがなければ後から作れと。風呂敷ないんですスイマセンじゃないだろう、あるように見せかけろってことですよ。フーコーが『監獄の誕生』って言ってましたが、人間は病名をつけられて初めて病気ができあがるんです。病名を付けられて、つまり他者から定義されることによって安心したいんですよ。でもね、定義なんて他者から与えられるもんじゃなくて自分で作るもんなんだよ。おれは病気じゃない!俺には才能がある!ターザン山本なんて気違いだけど大手ふって歩いてるじゃないかと。 
 
──掟さんがそういった気違い道を追及するうちに、自分の中の狂気が暴走して手に負えなくなる心配はありませんか?
 
掟: うーん、手に負えなくなる事はないでしょうね。それは、これは言っちゃいけない一言なんだけど、俺は自分が何ものでもない事を知ってるからです。俺の相棒にロマン優光っていうのがいるんですが、俺はこいつに憧れてるんですよ。なぜなら奴は本物の気違いだから。俺は気違いの真似をしている、気違いになりたい人なんですよ。つまり長渕剛であり大仁田厚なんです。なろうと思ってならないといけないんです。ただ、気違いには憧れてますけど、本当の気違いになりたいかって言われれば……やっぱりなりたくないですね(笑)
 
(註1)ニューウェーヴ・オブ・ニューウェーヴ
90年代後期から日本で盛り上がったNEW WAVEのリバイバル・ムーブメント。代表的バンドであるPOLYSICS、Motovcompoなどが収録されたコンピCD「東京ニューウェーヴ・オブ・ニューウェーヴ'98」が有名。 
(註2)トランスレコード
80年代中期英ニューウェーヴのノイズ、ハードコア、ポジパンなどの流れを受けて日本に出現したレーベル。YBO2、ZOA、ASYLUMなどが所属し「トランス系」と呼ばれていた。現在、小室哲哉が嬉しそうにやっているトランスとはまったく別 物。 
(註3)マリア観音
木幡東介率いる音楽集団。87年、日本人による日本語の日本式ハードコアロックバンドを目指して結成された。まさに孤高のロックバンド。
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