映画『見はらし世代』
【キャスト】
黒崎煌代
遠藤憲一
木竜麻生 菊池亜希子
中山慎悟 吉岡睦雄 蘇 鈺淳 服部樹咲 石田莉子 荒生凛太郎
中村 蒼 / 井川 遥
【監督・脚本】団塚唯我
【企画・製作】山上徹⼆郎
【製作】本間 憲、金子幸輔、長峰憲司
【プロデューサー】山上賢治
【音楽】寺西 涼
【制作プロダクション・配給】シグロ
【配給協力】インターフィルム、レプロエンタテインメント
【宣伝】共同ピーアール、フリーストーン
【『見はらし世代』製作委員会】シグロ、レプロエンタテインメント
2025年 | カラー | 115分 | 2:1 | 5.1ch | DCP
【助成】
文化庁文化芸術振興費補助金(日本映画製作支援事業)
独立行政法人日本芸術文化振興会
©︎2025 シグロ / レプロエンタテインメント
【劇場公開日】2025年10月10日(金)よりBunkamura ル・シネマ 渋谷宮下、新宿武蔵野館、アップリンク吉祥寺ほか全国公開
団塚唯我監督の『見はらし世代』が10月10日に公開。団塚監督は2022年、若手映画作家育成プロジェクト「ndjc(New Directions in Japanese Cinema)」で短編『遠くへいきたいわ』を発表。脚本も手掛けた初の長編である『見はらし世代』は、今年5月の第78回カンヌ国際映画祭の監督週間に選出された。日本人史上最年少の26歳での選出である。
20代の監督が選んだテーマが「家族」、そして渋谷を中心とした「街」。はなればなれになった家族の再生への過程の背景にあるのは、大規模再開発で変わりゆく街、渋谷。家族の変遷と街の変遷が重なり合う。
冒頭。家族は街から海辺へと旅行に向かっている。サービスエリアからコテージへ。父親と母親、中学生の姉と小学生の弟。小学生の弟は父親にサッカーボールを蹴る。パスが続いたのは僅か。仕事の電話が入り、サッカーや海辺の遊びや家族の団欒より仕事を選ぶ父親。冒頭の描写で家族の様子が見えてくる。
それから時を経て10年と半年後。家族はどうやら離れて暮らしているようだ。説明はない。言葉も少ない。少ない会話と表情で、姉と弟は父親と疎遠になっていること、母親は既に亡くなっていることが、徐々にわかってくる。
主人公は蓮。胡蝶蘭の配送運転手として働く20代の蓮を演じるのは、『さよなら ほやマン』で映画デビューし、連続テレビ小説『ブギウギ』に出演していた黒崎煌代。蓮はかなり無口でぶっきらぼう。実は自身の感情を持て余しているのだろう、手足は常に動いていたりサッカーボールを持ち出しリフティングしていたり。家族を置いて海外での仕事を選び成功している父親に対して、先に逝ってしまった母親に対して、言葉にならない複雑な感情が、文字通り言葉ではなく仕草や表情で伝わってくる。
「弟がシュッと動かないでいるのを見たことがない」なんてことを言う場面がある姉の恵美を演じるのは木竜麻生。大きな強い瞳が印象的な恵美は、過去は過去と割り切り未来へ向けて恋人との結婚の準備を始めている。
父親の初を演じるのは遠藤憲一。初の仕事はランドスケープデザイナー。あの渋谷のMIYASHITA PARKを生み出したのも初だ。家族よりも仕事を選び、渋谷の街を変えるほどの大きな仕事をしているのならさぞ自信に満ちた人物だろうと思いきや、常に迷っているような表情。もちろん仕事は楽しいし、やり甲斐も充分過ぎるほどある。だが成功すればするほど家族を捨てた負い目に襲われるのか、「俺にとっては昔のことだ」と口では言うが心境は複雑だろう。
そして井川遥が演じる初の妻、蓮と恵美の母親の由美子。由美子の後ろ姿が実にいい。夫と子どもたちから一人遅れてしまった後ろ姿、時を経て颯爽と歩み寄る後ろ姿。登場場面は少ないが、不在だからこその存在感。家族のそれぞれの感情が、丁寧に切実に、だが重々しくなくむしろ軽やかに描かれていく。
そして街の景色。走る車から見える景色、ライトだけが光る高速道路のトンネル。再開発の渋谷の景色。胡蝶蘭の配送で新しいビルの階段を降りる蓮。その機能美というか空間美というか。
MIYASHITA PARKも美しく、若い人々の笑顔と躍動も渋谷の街に馴染んでいる。駅前には重機がそびえ立ち、街はどんどん変わっていく。が、同時に路地裏には小さな住宅地と公園があり、炊き出しが行なわれている。MIYASHITA PARKだって数年前までは宮下公園として炊き出しが行なわれていた。路上生活者を追い出し、MIYASHITA PARKは完成したのだ。路地裏の公園も路上生活者も再開発の名のもと、排除されようとしている。初は部下に路上生活者の対応を批判されるが、「それは行政の仕事だ」と言い「水掛け論だな」と言う。「水掛け論だな」とは海辺のコテージで家族との団欒より仕事を選び揉めた時、由美子に放った言葉だ。
渋谷の表だけではなく、いわば裏も出しているところに、団塚監督の一つの意志を感じる。
いくつかの伏線があり、家族のそれぞれの感情、変化が描き出される。蓮と初の泣くシチュエーションと泣き方がよく似ていたり。人間の弱さ、不器用さ、生真面目さ、いい加減さ、したたかさ。いいとこもダメなとこもある。変貌していく渋谷を背景に、家族は変わっていないようでそれぞれ確実に一歩踏み出していく。そのきっかけとなったのが、後半の奇跡の出来事で、それはもちろん言葉にできない。
で、最後は、え? って終わり方なのだが、渋谷は常に若い人が生きている街ってことで、『見はらし世代』とは大人を見ている若い世代ということかな? なんて思う。
家族の物語でもいわゆる美談ではないところがいいし、街の景色の映像美、音楽がピッタリとハマっている。(Text:遠藤妙子)