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鈴木涼美「ニッポンのおじさん」- 歪なスマートさを携えたわたしたちがミスチルの歌詞に腹が立つ夜を生き抜くためのアンサー

2021.05.02   CULTURE | CD

鈴木涼美 「ニッポンのおじさん」

歪なスマートさを携えたわたしたちがミスチルの歌詞に腹が立つ夜を生き抜くためのアンサー

 とつぜん、お風呂の中でミスチルの『シーソーゲーム~勇敢な恋の歌~』を思い出したら急に腹がたってきて、濡れた髪をタオルで雑に拭きながら歌詞検索サイト・うたまっぷで歌詞を検索したのが昨日。
 鈴木涼美さんによる『ニッポンのおじさん』収録「僕らがミスをチル理由」の、「男に必要とされるその歌詞は、当然のことながら男の欺瞞と都合に満ち満ちており」「(女の子にとっては)気にしだすととめどなく気になる類のもの」といった一文を繰り返し読み、東京都でいちばん大きな声の「ほんとそれな!」を言いたい気分でした。
 
 言わなくてもいいことまでわざわざ本人に言いたい/主張しておきたいタイプというのは一定人数いるので、いくら年齢を重ねていい大人になろうが運悪く巡りあい、生活圏で声をあげられると世界はすこし濁ります。言わなくてもいいことは、「○○のほうが人気があるしフォロワーもいるけど、自分は△△のほうがいいと思うよ」系の褒めてるのか褒めてないのか、もしくは遠まわしにディスっているのかわからないそれです。
 
 SNSでいまだに見かけるそれを暫定・素直に褒めることができない病と呼ぶとして、その病を一度わずらってしまうと、ちょっとした言動にもにじみ出てしまうものです。「もしかしたらこちらが勘ぐりすぎたかな?」と思わせるくらい巧みな構文に進化すると、ずいぶん時間がたってから「あれは嫌味だ!」と気づかせるちょっとした職人技を発揮し、いくら腹がたっても今さら言うのもな……と、こちらは口をつぐんでしまうし、悪気はないのかもしれない、とつい思ってしまうからです。(だって、わたしたちはそこそこ優しいから!)
 
 しかし、聞かなくてもいいことまで聞かされてしまったからといってそこを指摘すると"めんどくさい女"認定される世の中にはドロップキックなどせず、ヤなことはそっとミュートするのが、2021年まで生きのびたわたしたちが強制的に身につけてしまった無駄なスマートさ。
 ここぞの場面で怒りを発動するために蓄積しているのだと言い聞かせてはいても、多少の空気を読んでしまうたびにこれはあまり身につけなくていい類の間違った習慣だとひしひし感じるのです。いや、やっぱり腹がたつ、可能ならば毎日ブチ切れていたい。美徳なんてクソくらえ。
 
 という声すらJ-WAVEのようにサラっと聞き流せてしまう圧倒的権力と、自らがもっている権力に無自覚なおじさん(あえてこう呼びます)に対して、歪なスマートさを携えてしまったわたしたちがなにに腹をたてて、それなりに言葉を尽くしてもなぜ理解しあえなかったのか。
 『ニッポンのおじさん』では、女性を過剰に美化し最終的には神格化をして真実を知ろうともしない系おじさんには結局彼らは愚かしい自分たちにしか、全力の愛情を向けていないのだ」、若者へ媚を売ろうとして本末転倒になっている系おじさんへ向けられるカワイイのニュアンスをついでにバカだとも言っているような気もする、新時代のリーダーを気取り本業を頑張るよりもヒーローになることに夢中になっている系おじさんには「暴力的な他者巻き込み型自慰行為と、大きいおともだちや大きい赤ちゃんにもわかるように極丁寧に深い愛情と一部の層にとっては目を向けたくないだろう真実の両方をもって説明されています。
 
 ところで、例の言わなくていいのにわざわざ本人の耳に入るように言うソングナンバーワンこと『シーソーゲーム~勇敢な恋の歌~』の「友人の評価はイマイチでも She So Cute」ですが、数日の時間をあけて考えてもやはり余計なお世話すぎるし、それを善意と思って言っているなら相当アレじゃないですか。
 照れ隠しだったと言い訳をされても9:1で、友人の評価はイマイチでも>>>>超えられない壁>>>>She So Cuteとしか聞こえないわけで、人を傷つける可能性がある前提をつけなければ言えないことならば、心底言わないほうがましだと思うわけです。マッチョイズムの人を不快にさせる最たるもの=照れ隠しにともなうネガキャン。
 
 ですが、「精一杯考えて出た言葉がそれか……」の"精一杯考える姿のいじらしさと滑稽さ"が描かれているので、涼美さんの文章を読むたびにあらゆる人のなかにあるどうしようもない人間味に気づくことができます。わたしも今後、照れ隠しネガキャンおじさんに遭遇したら「大丈夫、そこで素直に褒めてもあなたの尊厳は少しも減らないしむしろ逆だよ」と教えてあげたくもなる……かもしれないしやっぱり「ずっとその世界線にいろ、わたしたちは先に行く」とスルーするかもしれません。それに、わたしの思う"先"だって、別に今より先ではないのかもしれないし。
 
 今まさにドトールで隣の席に座るおじさんがうとうとと良い具合です。首がガクっとするたびに手も弛緩するようで、首のガクっに合わせて開いていた文庫本をバタンっと閉じてしまっており最初は気になっていたのですが、この本を読み終わったあたりには「そんなに無防備になるほど疲れているのね」と想像をするほどには優しくなれたので、心の階層も学べました。でも、最終的には本も閉じて深く座りなおし店内にいびきを響かせ、大げさに組んだ足の靴先がわたしのワンピースに触れそうになっていることに気づいた瞬間に「お店で寝るな家で寝ろ」と結局死ぬほどイライラしています。
 
 わたしたちは単純なので、決めつけてしまえば楽なこともブレないことが美しく見えがちなことも知っています。しかし、感情なんて立ち位置や見る角度によってすぐにブレる。
 あとがきに書かれている「単純な善悪も優劣も多面的で、一度悪者や善人に認定した者も、結構簡単に揺らぐ。そしてその、正しさが常に揺らいでいる、ということが、圧倒的に正しい」は、めまぐるしく変わる感情がもつ真実と、その真実が瞬間的だろうとも「自分がない」「軸がブレている」なんて決めつけない柔軟性のある救いでした。揺らぎが正しいと言われたい場面、これまでの人生にたくさんありませんでしたか? わたしには1億回くらいあります。
 その言葉を免罪符に、生きているだけでどうしたって生じる他者との認識や感覚のズレはズレのままで、さらにはわたしのなかで生じる両極端な感情も反発しあったまま今日も同じ重さで存在しているのでした。(成宮アイコ)
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