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トップレビュー映画『リトル・ガール』- 男の子として生まれた7歳の少女・サシャと、子どもの幸せと自由を守ろうとする母親のノンフィクションは今日も続いていく──

映画『リトル・ガール』- 男の子として生まれた7歳の少女・サシャと、子どもの幸せと自由を守ろうとする母親のノンフィクションは今日も続いていく──

2021.11.24    | CD

映画『リトル・ガール』

監督:セバスチャン・リフシッツ
出演:サシャ(本人)
2020年 / カラー / フランス / フランス語 / 85分
原題:Petite fille
英題:Little Girl
字幕翻訳:橋本裕充
字幕協力:東京国際映画祭
配給・宣伝:サンリスフィルム
©AGAT FILMS & CIE – ARTE France – Final Cut For real – 2020
11月19日(金)新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ渋谷ほかにて全国ロードショー

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snap_000023_RVB.jpg 始まりのシーン。X'masの衣装の準備だろうか、鏡に向かって髪飾りをつけている7歳の女の子。こっちかな? リボンのほうが似合うかな? 真剣な表情。続いて家族と雪で遊ぶシーン。美しい景色、美しい音楽。フィクションと見紛うが、『リトル・ガール』はドキュメンタリー映画。鏡に向かっていた少女・サシャは男の子の体で生まれたが、2歳の頃から自分は女の子であると訴えてきた。この映画はサシャと、サシャの境遇と思いを尊重し救おうとしていく家族のドキュメンタリー。
 

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 最初の雪で遊ぶシーンから家族はカメラをまったく意識していないようで、とても自然。仲のいい家族であることが伝わってくる。
 なぜこんなに自然なのか。
 監督であるセバスチャン・リフシッツはジェンダーやセクシュアリティに目を向けた作品を撮り続け、カンヌで4回、ベルリンで4回にわたって正式出品を果たし、本作『リトル・ガール』も2020年ベルリン国際映画祭で上映後、高い評価を得ている。積み重ねられた経験と経験による洞察力と思慮深さ。サシャと家族はリフシッツ監督と信頼関係を作りあげ、自然に、カメラを意識することなく、そこに居ることができた。
 そしてもう一つ、サシャと家族が自然体でそこに居るのは、サシャの思いを多くの様々な人に知ってほしいからだろう。知ってもらって理解を得たい。そのために隠すことなくいつもの生活を撮ってもらう。それが果たして正しいのかどうか、わからない。サシャは傷つくかもしれない。だけど撮ってもらうと決めたのだ。
 

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 登場人物はサシャと家族と、やっと探し当てた理解ある小児精神科医。ほとんどの場面がサシャと母親のカトリーヌを中心にした家族の姿と言葉。女の子として通学することを認めない学校と闘う家族は映し出されるが、学校の様子や教師や友だちはほとんど出てこない。出てくるのはサシャの大好きなバレエ教室で、しかし男の子の衣装を着せられ踊るところ。大好きなバレエなのにサシャに笑顔はない。何も言わず、ただ踊る。
 小児精神科医と初めて会った日、質問に答えながら、初めは笑顔を作っていたサシャだが溢れ出てくる涙。学校の様子や教師や友だちはほとんど出てこないけど、出てこないからこそ、サシャの苦しみが迫ってくる。
 また、サシャの母親・カトリーヌもずっと自分を責めていた。妊娠を知ったとき女の子を望んだ。サシャが男の子であることに違和感を持ち、女の子であると訴えるのは自分のせいではないかと自分を責め続けた。サシャはきっとカトリーヌを気遣っている。カトリーヌはサシャに自由になってほしいと願っている。家族は思い合っている。素晴らしい家族。だけど小児精神科医という他人が関わり、サシャは泣くことができた。「助けてほしい」と訴えることができた。解放の始まりの瞬間。
 
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 『リトル・ガール』はサシャと家族の愛と闘いのドキュメンタリーであり家族の“物語”ではないことを、他人である小児精神科医のサシャのこれからについての具体的な言葉で気づかされる。思春期を迎えていく頃、またその先、考えなければならないこと。
 フィクションなら感動して終わりでいいかもしれないけど、ノンフィクションは続いていく。続いていくということを知っていなきゃいけないのは、『リトル・ガール』を観た私たちだ。(text:遠藤妙子
 

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