©︎ MASAYA NODA
福島第一原発事故後、30km離れた人口約1400人の山村に大量の放射性物質が降り注ぎ、今なおほとんどの地域が「帰還困難区域」に指定されている、福島県浪江町津島。故郷を追われ、10年以上を経た元住⺠たちへのインタビューで構成されたドキュメンタリー映画『津島 ─福島は語る・第二章─』(監督:土井敏邦 / 配給協力:リガード)が、2024年3月2日(土)よりK's cinemaほか全国順次公開となる。公開に先立ち、予告編が解禁された。
▼『津島 ─福島は語る・第二章─』予告編
今回、解禁された予告編では、住⺠たちが居なくなった山村の美しい自然とともに、「故郷・津島」について涙ながらに語る元住⺠たちの姿が映し出されている。
⻑年暮らしてきた故郷を離れるということが何を意味するのか。先祖が開拓した土地を受け継ぎ、守ってきた人々の思い。豊かな自然や古くから伝わる伝統芸能。暮らしを支え、人々を支えてきたあたたかな地域コミュニティのつながり。原発事故によって有形無形のたくさんのものが半永久的に失われてしまった事実が淡々と伝わってくる。
©2023 DOI Toshikuni
「100年は帰れない」と言われながらも、故郷の姿を未来につなげようとする津島の方々の言葉と、福島在住で自身も原発事故の被害者でもある武藤類子が故郷を思い作詞し、李政美が作曲・歌唱する「ああ福島」のあたたかな調べが印象的な予告編となっている。
土井敏邦監督コメント
「津島の記録映画を作りたい」と私を駆り立てたのは、一冊の裁判記録だった。そこには、32人の原告たちが裁判所で陳述した、家族の歴史、原発事故による家族と人の心の破壊、失った故郷への深い想いが切々と綴られていた。「あの原発事故は住⺠の人生をこれほどまでに破壊していたのか」と、私は強い衝撃を受けた。「この陳述集の声を映像で記録したい」それが映画「津島」制作の原点である。
2021年春から、私は陳述集に登場する原告たちを訪ね歩き始めた。横浜から福島まで車で往復し車中泊を繰り返す、ほぼ10カ月がかりのインタビューの旅だった。
“津島”は、人口約1400人の問題に終わらない。「多数派の幸福、安全、快適さのために少数派を犠牲にする」在り方への、津島住⺠の“異議申し立て”であり“抵抗”だともいえる。そういう意味で、“津島の存在と闘い”は小さな一地域の問題ではなく、日本と世界に通底する“普遍的なテーマ”を私たちに問いかけていると私は思う。
「『フクシマは終わったこと、なかったこと』にされてたまるか!」。
映画の中で涙ながらに語る証言者たちの声の後ろに、そんな悲痛な叫び声を私は聞いてしまうのである。
商品情報
映画『津島 ─福島は語る・第二章─』
監督・撮影・編集・製作:土井敏邦
整音:藤口諒太
音楽:李政美(歌・作曲)、武藤類子(作詞)
写真提供:森住卓
宣伝デザイン:野田雅也、尾尻弘一
WEBデザイン:ハディ・ハーニ
配給協力・宣伝:リガード
2023/日本/187分/DCP/ドキュメンタリー
© 2023 DOI Toshikuni
2024年3月2日(土)よりK's cinemaほか全国順次公開
【作品概要】
浪江町津島は福島県の東部、阿武隈山系の山々に囲まれた人口約1400人の平穏な山村でした。福島第一原発から北⻄に30キロも離れているにもかかわらず、2011年3月11日の事故直後に大量の放射性物質が降り注ぎ、地域の大部分が「帰還困難区域」に指定されたまま、現在も多くの住⺠が帰れずにいます。
故郷を離れ10年以上を経た今も、人々の心の中には津島での日々がありました。貧しかった開拓時代の記憶、地域コミュニティと共にあった暮らし、綿々と受け継がれてきた伝統文化、今は亡き家族との思い出…。
「100年は帰れない」と言われた故郷・津島の歴史と、そこで生きてきた人々の記憶と感情を映像化したのは、『福島は語る』(2018年)の土井敏邦監督。裁判記録「ふるさとを返せ 津島原発訴訟 原告意見陳述集」に記された住⺠たちの言葉に衝撃を受けた土井監督は、「この声を映像で記録したい」と原告32名の元を訪ね歩き、10ヶ月にわたるインタビューを敢行。その中には、避難先で起こった子どもたちへの差別といじめについての証言もありました。
総勢18名による、全9章、3時間を超える圧巻の語りの数々。その聞き手となるのは、災禍の時代を共に生きる私たち一人ひとりです。
関連リンク