株式会社飛鳥新社は、 8月22日に逝去された内海桂子さんの最後のメッセージを収録した書籍『人生は七転び八起き』を9月10日(木)に刊行。大正、 昭和、 平成、 そして令和と4つの時代を駆け抜けた稀代の漫才師・内海桂子。 その生きざまは決して順風満帆ではなく、 貧しい生い立ちにはじまり、 いじめで自殺を考えた日々、 シングルマザーとしての苦労を抱えるなど、 波瀾万丈の人生を送ってこらた。 本書では、 その七転八倒の人生から得た教訓や知恵を率直に、 そして赤裸々に語っていただいた。 人生の酸いも甘いも経験した内海桂子だからこそ、 心のひだに触れる言葉がたくさん出てくる そして「生の言葉」には、 厳しさとやさしさが満ち溢れている。生きづらさを感じている人、 一歩を踏み出せない人、 停滞している人、 悩めるすべての方々へ向けて、 最後に内海桂子は、 あたたかいメッセージを遺してくれた。
本書の挿画は、 お笑い芸人で漫画家のカラテカ矢部太郎が担当。 内海桂子の日常を描いたイラストは、 総26点。 桂子師匠の言葉を読み解いていただき、 あたたかく、 ときにはユーモアを交えながら、 1コマ1コマを丁寧に描いいる。 弟子であるナイツやご主人の成田常也との微笑ましいエピソードを描いたイラストには矢部太郎ならではのやさしいまなざしがあった。
また、 初版限定の購入特典として、 桂子師匠×矢部太郎さんの「特製ことだまポストカード」が付く。 (全3種のうち、 ランダムで1種が必ず付く)
帯文には、 番組共演などで親交のあった黒柳徹子さんが寄稿。 「内海桂子さんが『メールだけじゃ静かすぎます。 もっとしゃべりましょう』と私達を励まして下さっています。 勇気がわきます」と本書を読んでいただき、 コメントを寄せている。
本文の一部を抜粋
私は9歳から働き始めて、 百歳近くなったいまでも働いています。 貧乏ゆえに奉公に出された蕎麦屋に始まって、 下駄の鼻緒つけ、 チンドン屋、 そして焼き団子やお寿司を売ったり、 キャバレーに勤めたり。 多少、 身を落としたとしても、 とにかく体さえ動かしていれば生きていけるんです。
「つらい」とか「死にたい」とかグチをこぼしたり泣き言をいう暇があったら、 まずは動いてみる。 そうすると、 なにか新しいことが起こるものです。
人生は七転び八起き。 転んだら起きればいいんです。 人は死ぬ気になれば、 だいたいのことはできるはずだし、 下り坂があるから、 また上れるんです。 下りっぱなしなんてことはないんです。 今日がダメでも明日がある。 関東大震災も戦争も生き延びてきた私が言うんだから、 間違いありません。
弟子のナイツにも叱咤激励。ウイットのきいた「ものいい」は内海の真骨頂。 ちょっと辛辣ですが、 あたたかさが伝わる、 知られざるエピソードが本書では多数紹介されている。
(本文の一部を抜粋)
直々の弟子であるナイツが、 私たちのことを「53歳で初婚の相手が77歳」とネタにしています。 こちとら芸人とその亭主ですから、 なんだって話題にしてもらえるんだったら「よし」としています。
「内海桂子は900歳なんですよ」なんてくだらないことも、 ときどき言っていますが、 どうせだったらネタを作ればいいのにと思っています。
「内海桂子師匠は900歳だろ?」
「バカだね。 そんなわけないだろ」
「なんでだよ」
「そんなに生きられるほど金持ちじゃないよ、 桂子師匠は」
これくらいやって、 私をもっとネタにしてもらいたいものです。
大正生まれの内海の人生はまさに日本の現代史と重なる。 生まれてすぐに関東大震災を経験し、 戦中、 戦後と時代の荒波に翻弄されてきた。 さまざまな波乱はありましたが、 いつも前向きに生きてきた内海。 誠実に、 前向きに生きていれば明日は味方をしてくれると信じていたそう。 壮絶な生きざまはまさに移りゆく人生絵巻。 巻末には、 生きた証となる年表を掲載。
(本文の一部を抜粋)
長生きをするということは、 人に言えないことや過ちが多くなることでもあります。 たとえば有名人の不倫ニュースがあとをたちませんが、 かくいう私も不本意ながら不倫の経験があります。 (中略)
事情を汲くみ取ろうとしないで、 言いたい放題だったおかみさんに腹の虫はおさまらず、 悔しいやらばかばかしいやらで、 ほとほと嫌な気持ちを引きずっていましたが、 十年以上も経ってしまうと、 そんな気持ちも薄らぎました。 そして、 いつしかおかみさんのことを許す気持ちにもなりました。 同様に、 おかみさんも年とともに丸くなり、 私に対する気持ちが変化したんだろうと思います。
長く生きていると理不尽なこともあれば、 自分の努力だけでは解決できないことがあるのものです。 でも、 時が解決してくれることがあるのも、 また事実です。