2020年12月23日のライブを以て活動休止した大阪のロック・バンド、Brian the Sun。そこでフロントマン/ソングライターを務めていた森良太が2021年5月2日、ソロ第1弾音源となるEP『杪春の候』をリリースする。
そこには現在、ライブを共にしている鈴村英雄(Ba)、Brian the Sun時代の盟友、田中駿汰(Dr)とレコーディングした「杪春の候」「楽園」「獏の白昼夢」の3曲を収録。その3曲は活動休止から約4か月、弾き語りに加え、バンド編成のライブを行う一方で、制作過程をファンと共有しながら(!)続けてきた曲作りは今回、ソロキャリアの幕開けにふさわしい爆音で鳴るロック・ナンバーに実を結んだが、まだこれはほんの序の口。「枠組みから曲を作るのをいったんやめて、作って、作って、作って、あぁ、これが今の俺の形なんだってわかるための作業をやっている」と語る森良太は、そこでいずれ見つかる"自分らしさ森良太らしさ"を待っているところだという。
ソロ活動をきっかけに森良太というアーティストと新たに出会うリスナーも少なからずいるに違いない。今回のインタビューでは、これまでBrian the Sunのフロントマンとして答えることが多かった彼に音楽との出会いにまで遡って、改めて1人のミュージシャンとして話を訊いてみた。EPの3曲を聴きながら、既存のスタイルに囚われない活動に取り組んでいる彼の言葉に耳を傾けていただきたい。
5月7日には、新宿LOFTで開催される「LOFT三つ巴ライブ」に出演。ともにライブハウス・シーンの荒波をくぐりぬけてきたSHIFT_CONTORL、ヨイズとともにバンド編成でステージに立つ。(interview 山口智男)
もっと根本にある人間の欲求
──noteに森さんが書かれていた言葉を借りれば、「深淵に向かう手応えをもう一度取り戻すため」に、さまざまな活動を行いながら、新しいところに向かっている真っ最中ですが、今のところどんな手応えがありますか?
森:弾き語りに加え、他のメンバーも交えて、Brian the Sunとはまた違う形の音楽をやろうというのを、なんとなく手探りで始めて、やっと形になりだしたと言うか、手応えは確実にあります。もちろん、Brian the Sun像っていうのがあると思うので、「それはいったん横に置いておいて」ってお客さんに求めるのはちょっと違うじゃないですか。みんな、Brian the Sunの森良太を見にきてたと思うんですよ。ただ、そこは時間の問題で、みんなが段々慣れてきたら、「これだよね」って思ってもらえるようにはなっていくのかな。自分がやることに関しては、だいぶ見えてきたので、もっと幅広くこだわりなくやりたいと思っています。その中で勝手に削ぎ落されていくのを今、待っているところですね。最初は肉付けがされまくって、それが生活していくうちにと言うか、歌っていくうちに削がれていくんじゃないかって思ってます。
──Brian the Sunの森良太を期待していたお客さんもそのうち森良太が今やりたいのは、こういうことなんだとわかってくれるはずだ、と?
森:わかってもらえればベストですけど、無理という人もいると思います。そもそもバンドの延長がやりたかったら、Brian the Sunをやっているので、それが見たい人はもしかしたら「違う」ってなるかもしれないけど、それはしかたない。シンガー・ソングライターとしての森良太が好きだった人は楽しいと思います。バンドとしてのパッケージングが好きだった人には何かしら違和感があると思うんですけど、そうなったほうが僕はむしろBrian the Sunの存在意義があるので、そのほうが全然安心ですね。どこかのタイミングで、「またやろうか」ってなった時に、そっちを見にきてもらえればいいしという気持ちです。
──今、肉付けてしているところとおっしゃったようにライブをやったり、楽曲の制作過程を、dropboxを使ってファンと共有する「Project Open Source」という新たな試みに取り組みながら、その「Project Open Source」の中ではラジオ番組もやったりと既成のスタイルに囚われない、さまざまな活動に取り組んでいますが、5月2日に配信リリースするEP『杪春の候』を一緒に作った鈴村英雄さん(Ba)と田中駿汰さん(Dr)とのトリオ編成がいろいろやっている中での軸になると考えているんでしょうか?
森:その認識です。やっぱりバンドの最小単位って3人だと思うんですよ。だから、最初は3人でしょみたいな気持ちでやり始めました。
──ソロになってもやっぱりバンドはやりたいわけですね?
森:人と音を鳴らすって、めちゃめちゃいいなと思うので、バンドはやりたいですね。この間、リズムが存在する意味がビールを飲みながらYouTubeを見てたらわかったんですよ(笑)。アフリカの人たちが3人で1本の杭を打つ作業をしているんですけど、1人がパーンと打ったら、次の人が打つ。それをリズムよくやるために歌いながらやっているんです。あ、音楽ってこのためにあるんだって。日本の田植えもそうじゃないですか。
──田植歌を歌いながらやりますね。
森:だから生まれたのかって。ただの娯楽としてテケテケ叩いているだけでも楽しいけど、それよりも1つの物事をみんなで完成させるためにあるんだって目から鱗が落ちました。1人でやる音楽も好きですけど、何人かでやって1つのライブを作るとか、音楽を作るとかっていうのは、本能と言うか、自分がそれをやりたいと言うよりは、もっと根本にある人間の欲求なんだと思います。
──そうか、人間としての欲求なのか。それが形になったEPについては後ほど聞かせてください。その前に森さんのミュージシャンとして遍歴を、音楽に興味を持ったきっかけから改めて聞かせてほしいのですが、なんでも幼稚園から小学校6年まで合唱団に入っていて、同時にピアノも習っていたそうですね。
森:はい。ちょっとだけ習ってました。
──その頃には歌うことやピアノを演奏することが楽しいと思っていたんですか?
森:う~ん、僕が入っていた八尾児童合唱団って当時、人数がけっこういたんですけど、コーラスがハモッた時にビビビって音が揺れるのを聴いてすごいなと思ったのが、音楽って楽しいと言うか、気持ちいいと思った最初かも知れないです。もっとも、当時はそれが気持ちいいことなのか、楽しいことなのか、全然わからずにやってたし、全員が違うパートを歌うことの意味もあんまりわかってなくて、何のために毎週ここに来てるんだろうって思ってました(笑)。でも、今思えば、そこでやっていたハーモニーを重ねるってことが今、音楽を作る上ですごく役立っているんです。
──合唱団に入ったきっかけは?
森:自分の意志じゃなかったです。おばあちゃんがクラシックや合唱が好きだったり、おじいちゃんが交響楽団を作って、指揮者をやったりしていたので、そういう影響ですね。音楽家系ではあるんですよ。
──お母さんは歌手でしたよね?
森:そうです。テレビアニメ『らんま1/2 熱闘編』のエンディング・テーマ「虹と太陽の丘」を歌っていたので、Brian the Sunが『僕のヒーローアカデミア』のエンディング・テーマ(「HEROES」)を歌うことになってびっくりしました(笑)。
──13歳の時にギターを始めたそうですが、その頃には現在の活動に繋がるような音楽は聴いていたんでしょうか?
森:当時は斉藤和義さんばかり聴いてました。『Golden Delicious』ってアルバムが出て、それを聴きながらすごいと思ってました。ギターを始めたきっかけは自分からと言うよりは、中学の国語の先生が夏休みに教室のペンキを塗り直すっていうんで、それを手伝ってたら、「ギターを買ったんだ」って持ってきて、「やってみいひん?」って言うからやってみたんです。それ以外にもきっかけはいろいろあったと思うんですけど、実際、手に取って、練習を始めたきっかけはそれでした。
──ギターは斉藤さんの曲をコピーすることから始めたんですか?
森:そうでした。片っ端からコピーして、弾き語りの基礎はそれで学びました。
──中学時代には路上ライブもやっていたそうですね。
森:歌う場所がなかったので、路上でやるかって(笑)。
──なかなか度胸がないとできないと思うんですけど(笑)。
森:最初は、おかんに連れていかれてと言うか、たまたまギターを持って、一緒に歩いてたら、「あんた、歌ってみいや」って言われて、歌っていいんだ。じゃあ歌ってみようって思ったんですよ。
──その時、お客さんと言うか、道行く人の反応って何かあったんですか?
森:酔っぱらいのおっちゃんが5,000円くれて。歌が良かったからじゃないっていうのはなんとなくわかったんですけど、そういう形で人とコミュニケーションを取ったことがなかったので、「なんでくれるんだろ? へぇー」って思いながら楽しかったですね。5,000円なんてね、お小遣いでもらおうとしたら中学生には難しいじゃないですか。
──その時は斉藤さんの曲を?
森:自分の曲だったと思います。「自分の曲を歌え」っていうおかんからの教えがあったんですよ。「人の曲を歌ったら著作権があんねんから」って。