Rooftop ルーフトップ

INTERVIEW

デビュー20周年を記念して10年ぶりの再結成ライヴを敢行!

2011.08.11

SKAと、FUNKのFにスラッシュで、スカンクと読む。88年東京で結成、活動期間はわずか4年と短かったが、スカやパンク、ニュー・ウェイヴ等をクロス・オーヴァーする攻撃的なダンス・ミュージックで当時のシーンを席巻し、大きな人気と評価を獲得したミクスチャー・バンドだ。
その彼らが、2011年10月、再結成ライヴを敢行する運びとなった。ちなみに前回の再結成ライヴは2001年10月のシェルターで、今回がちょうど10年ぶりの復活となる。出演メンバーは、Vo.宮崎洋一(杉本恭一&The Dominators、ex. analers)、G. TAKUYA(ROBO+S、ex. JUDY AND MARY)、B. 立川、Dr. 三池、さらにサポート・キーボーディストとして、MAGUMI & THE BREATHLESSのRYOMAGICが参加。リーダーにしてヴォーカリスト、宮崎洋一に話を聞いた。(interview:中込智子)

新宿ロフト初出演は、掟破りの夜の部スタート

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──まずは結成当初の話から伺いたいのですが、スカンクはどのように始まったんですか?

「えーと、高校を中退して…実は2週間しか行っとらんのやけど(笑)、とにかくすぐ熊本から東京に出てきたんだよ、音楽がやりたくて。15歳の頃。でも、最初の4年間はウダウダしてたと言うか、最初はちょこっと音楽学校に通ってたんだけど、高校にも通えない人間が専門学校なんかにまともに通えるわけもなく(笑)。で、パチンコやっとった。でもそのパチンコで1ヶ月で200万くらい勝って、その内の100万くらい使って機材揃えて、高円寺のマンションに住んでたよ」

──どこから突っ込んだらいいのか……とりあえず、パチンコはまだやってはいけない年齢だったのは確かっすね。

「はっはっはっは。でも、その時にだいぶ、機材を覚えたんよ。8トラックのオープンリールのレコーディング機材なんかも揃えたし。ただその頃の俺はまだ自分で曲とか書けなかったもんだから、その機材使ってARBとか歌いよったね」

──宝の持ち腐れ?

「でもレピッシュのファースト・アルバムの杉本(恭一)さんの曲は、その時のウチの機材使って作ってたんよ? よく来て朝までやってた(笑)」

──有効活用されて良かったです。で、そこからどのようにバンドが始まるんですか?

「いったん半年くらい熊本帰ったんやけど、その時に地元でアタックビートというバンドを始めて、そこからまたすぐ東京に戻ってスカンクを結成したんだよ。メンバーは、そのアタックビートで一回東京で、下北沢屋根裏でライヴやった時の対バンと、ウチのバンドが合体した感じ。88年、俺が20歳か21歳くらいの頃だったと思う」

──そして、いったん動き出したら早かったですよね。

「そうやね。で、ライヴは新宿ロフト、下北沢屋根裏、代々木チョコレートシティーでやることが多かったんだけど、ロフトは昼の部から出るのを覚悟してテープを持っていったんよ。だって、ロフトはみんな、ほぼ例外なく昼の部からやってるやん?」

──ですね。あれ? でも、スカンクってロフトの昼やりましたっけ?

「やってない。それがさ、その前の年に、俺、ロフト出たやん? ミニコミ・オゲレツのイベント(笑)」

──私のやってたミニコミの企画イベントか(笑)。思い出した、レピッシュとロンドン・タイムスとバットロッツ他のメンバーによる合作ソノシートを無料配布したライヴで、そのソノシートの曲のメインVoを担当したのが、何故か当時何もやってない洋一さんだったんですよね。

「うん(笑)。で、当時のロフトの担当の人がそれを覚えててくれて、いいよっつって夜からやらせてもらえたんだ」

──まさかそういう経緯だったとは。

「はっはっは。で、最初の半年くらいは月1〜2本くらいのペースでライブやってたんだけど、その後ぐらいからどんどん増えていって。時期的には、ちょうどカステラが人気出始めたくらいの頃だったかな」

短い期間を駆け抜けた、怒涛のバンド・ヒストリー

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──なるほど。そしてスカンクと言えば、フィッシュマンズ、KUSU KUSU、ポテトチップス、ムスタングAKAらと参加したオムニバス『パニック・パラダイス』(89年)での登場が非常に鮮烈で、あのアルバムが起点となって大きな人気を獲得していった印象がありますが、当時のムードはどんな感じだったのでしょう?

「バンド・ブームになりかかってきた頃だったと思う。で、『パニック・パラダイス』は相当評判になったと言うか、売れたんだ、ものすごく。何万という単位で売れたって聞いてる、キャプテンとは言え自主盤なのにね(笑)」

──しかもオムニバスな上に、収録バンドはほぼ全てこれが初音源という、揃ってド新人状態だったのにも関わらず(笑)。で、そこから動員も大きく伸び?

「うん。実はその前にレピッシュやアンジー、POGOとかと一緒に出た“ポコチンロックフェス”で一旦がーっと動員が増えたんだけど、直後にすごく酷いライヴをやっちゃって……ずっとゲホゲホ咳してるだけで全然歌えないって言う、もちろんそれはわざとじゃないけど、そんなんやったら次、人こないよね(笑)。で、その後に『パニック・パラダイス』があって、レコ発をやって、その後はKUSU KUSUと一緒に初めて東名阪ツアーを回って……大阪で、500人以上人が入って、すごくびっくりしたのを覚えてる」

──KUSU KUSUとは仲が良かったですよね。

「まるで兄貴分のように慕ってくれたな、何故か。まぁ、あっちの方が出世が早かったので、あっと言う間に一緒に演ってくれなくなるんやけど(笑)。で、この89年には初めてのワンマンを代々木チョコレートシティーで、即完でソールドして! 10月にキャプテン・レコードから1stアルバム『ブレイン・ゲーム』が出て、そして新宿ロフトでワンマン」

──怒涛の年でしたねぇ。

「この頃から、年間100本以上ライヴやっとったしね。ただ、社会的現象としてバンド・ブームがあってさ、雑誌やら何やらの扱いがとにかく多くて、とにかく忙しかったって思い出があるんだよ。バンドでそんなにお金が入るわけでもないインディー・バンドが……あ、バンドのお金はバンド貯金でプールしとったんよ、俺ら。だから、お金もないのに忙しくてさぁ」

──パチンコ時代のほうがよほど金持ちだったと(笑)。

「ホントそう(笑)。今思えば、変な時代だったよな」

──そして翌90年、2ndアルバム『ルール・オブ・パーティー』を同じくキャプテンからリリース。

「そう言えば俺ら、キャプテンで初の年間契約バンドだったんよ。そんで1年間で2枚出したの。で、今でも覚えてるのがさ、これ、言っていいのかわからんけど、やたらマグネッツが対抗意識燃やしてたんよ」

──全然ジャンルが違うじゃないっすか。

「そうなんだけどさ、マグネッツが俺たちの次にキャプテンの年間契約バンドだったのが関係してるらしい。あとマグネッツのマネージャーの百瀬さんも、その前はビクターでレピッシュの担当してた人だったしね。まぁでも、俺個人は実はマグネッツ好きで、よくライヴ見に行ったりしてたんだけど(笑)」

──客層全然違うのに競ってたんだ、なんだかほほえましいっすね(笑)。で、その後スカンクは、91年4月にソニーから『スカンクIII』でメジャー・デビュー。

「俺らの後をマグネッツが追いかけ、俺らはKUSU KUSUを追いかけるというコースだな(笑)」

──はははは。で、この頃は、動物繋がりとよく例えられたスピッツや、ケンヂ&トリップス時代から密かに親交があった佐藤シンイチロウ、上田ケンジが在籍した、結成したてのピロウズ辺りとも仲が良かった印象があります。ただこの3バンドで考えると、スカンクだけ音が激しく浮いてる感じがしないでもありませんが。

「おい(笑)」

──でも、メジャー2枚目の製作に取り掛かろうとしていた92年4月、スカンクは突如解散しますよね。

「まぁ、いろいろあったんやけど、一言で言うなら、合わんかったんやろうね、ソニーと(笑)」

──ライヴ自体は順調そうに見えたので、非常に驚いた記憶があります。

「うん。例えばピロウズと一緒に回った“ロフト・サーキット”は、特に楽しかった思い出があるなぁ。山中がいっつも俺の頭をセットしてくれてたんだよ(笑)。山中はオシャレよね。あと、スピッツと一緒に回ったツアーで、山奥の畑の真ん中でやったヤツは今でも忘れられない思い出だな。キャパでかい上に当たり前に人少なくて、寂しかったから、2階からずっとヤケクソのように“三輪ーっ、三輪ーっ!”って叫んでたら、マサムネがステージから“ちょっと洋一くん黙って!”って(笑)」

──はははははは。

「まぁ、基本的にライヴは楽しかったな。で、解散直前は、バンドのサウンドもちょっと変わり始めた頃だったと言うか、サウンド的な分岐点だった気がする」

──スカンクと言えば、アッパーで攻撃的なミクスチャーが持ち味という印象でしたが、そこからさらに進化の兆しを見せていた矢先の……いや、それゆえに不安定な時期だったと言えるのかもしれないですね。

「うーん。それと後、俺もって言うか俺が悪いんやね。この頃の俺って、あんまり良くないんよ」

──えっ、どういうことですか?

「何だろね、今現在の自分を知らない当時の俺を知ってる人間からすれば、嫌なヤツだったんだろうなって雰囲気は、どこにでもあるな」

──でも洋一さんは、人によって態度を変えるとかは全く無かったじゃないですか。誰に対しても傍若無人、非常に公平かつ不器用と言うか頭の悪いあの感じ、私は好きでしたよ?

「おいっっ!!(笑) 確かに人によって態度変えるとかは無かったけど、初めて会った人の俺の態度って、相当酷く感じられたみたい。暴力的では決してないつもりだったんだけど、まぁ、言葉も暴力だもんね」

──ああー。確かに毒舌家でしたものね、それも猛烈な(笑)。

「まぁ、俺が毒舌を吐かなくなるのは、好きな子が目の前にいる時だけだったな。そういう時は単純に何も話せなくなってた(笑)」

──あらまぁ可愛らしい。まぁそんなことはいいとして、今回、10月の再結成ライヴに合わせ、先の2枚のキャプテン盤及び『パニック・パラダイス』の2曲を収録したキャプテン・ベスト(タイトル未定)もリリースされる運びとなりました。

「うん、まぁ、出ます(笑)」

──興味を持った方は、是非ここから入っていただくとして、ちなみに、現在新曲は作ってたりします?

「それが、ありすぎて困るというか、TAKUYAが作ってくれるしね(笑)」

──おおー!

「メジャー2枚目で入れるはずだった曲もあるしね。まぁ、ライヴでどこまで発表できるかわからんけれども、よかったら見に来てください!」

LIVE INFOライブ情報

SKAFUNK 20周年anniversaryライブ
2011年10月9日(日)下北沢CLUB251

with:ULTRA POP 50 a.k.a 高畠俊太郎BAND/????
OPEN 17:30/START 18:00
前売4,000円/当日4,500円(共にDRINK代別500円)
オールスタンディング/入場時に缶バッチ配布
*チケットはCLUB251店頭、チケットぴあ(Pコード:145-556)、ローソンチケット(Lコード:76012)、イープラスにて発売中(入場順は店頭→プレイガイド)。
問い合わせ:下北沢CLUB251 03-5481-4141

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