Rooftop ルーフトップ

INTERVIEW

トップインタビュー近藤房之助('10年7月号)

1968年当時の心象風景を呼び覚ますゆりかごのブルース

2010.06.22

 日本が世界に誇る生粋のブルース・シンガー、近藤房之助が自身の音楽活動の根幹を成すブルースに焦点を当てたカヴァー・アルバム『1968』を発表する。1990年1月にリリースしたソロ・ファースト・アルバム『Heart Of Stone』から今年で丸20年。ブルースを軸に据えた転がる石と意志に苔が生えるはずもなく、記名性の高いその嗄れた歌声はますます円熟味を増すばかり。59歳を迎えた彼がブルースにのめり込んでいった1968年当時の心象風景を思い描こうとセレクトしたブルース・ナンバーは、ロバート・ジョンソン、B.B.キング、オーティス・ラッシュ、マディ・ウォーターズといったブルースの巨人たちの著名な楽曲群で、オリジナルに肉迫せんと発せられる凄味に満ちた歌と演奏にはただただ圧倒される。そんな近藤の至高のブルースを生で体感する絶好の機会が、我が阿佐ヶ谷ロフトAで開催されているプレミアム・ライヴ・シリーズ"VINTAGE A"だ。ライヴの開催を前に、最新作の話を伺うべく自身がオーナーを務める下北沢のショット・バー"STOMP"にお邪魔した。目前のブルースマンは「何でも訊いてよ」と笑みを浮かべながら瓶ビールをコップに並々と注ぎ、グイッと一気に呑み干した。(interview:椎名宗之)

音楽が職業になった20年

──近藤さんはBREAK DOWN時代(1976〜1986年)にロフトに出演経験もあるそうですね。

K:うん。下北沢ロフトでは2回くらいやったのかな。あと、荻窪ロフトでも1回やったね。下北ロフトの打ち上げで、国士舘大学のボクシング部と空手部の連中とケンカをやったことはよく覚えてる(笑)。尾関真っていう憂歌団の曲を書いてた男が挑発したみたいなんだけど、相手は腕っ節だし、ボコボコにされてさ。こっちは女の子たちとワーッと騒いでたから、向こうも気に食わなかったんだろうね。

──このSTOMPというバーをオープンさせたのは、下北沢という街ありきだったんですか。

K:下北くらいしか呑む場所を知らなかったんでね。当時は生まれ育った名古屋からこっちへ通ってたしさ。この場所はもともと知り合いがバーをやっていて、ここでよく打ち上げをやってたんだよ。その知り合いが店をたたむことになって、今から27年前に僕が譲り受けることにしたんだ。当時は1,500円しか持ってなかったんだけど、何とかなるだろうと思って(笑)。内装も全部自分で手掛けてさ。バンドだけじゃ食えないから、みんないろんなバイトをやるよね? 仮に日雇い労働の仕事をすれば、音楽から離れることになる。だったらここで働けば、ずっと音楽も流れてるし環境もいいんじゃないかと思ってね。

──近藤さんのファンやブルースの愛好者にはサロン的役割を果たしているのでは?

K:いや、そんなに敷居の高いもんじゃないよ。地方から東京へ来る時に寄ってくれる人もいるから有り難いけどさ。僕のやってる自転車のチームもこの店に集まる人間で組んでるし、言ってみれば街のスナックだね(笑)。

──今年はソロ・デビューを果たしてから20周年を迎える節目の年ということで。

K:そうらしいね。それまでの僕はずっとバンドマンだったから、いきなり自分の名前で活動することになった時は正直やりにくかったよね。匿名性を残して、BREAK DOWNの2番目のギタリスト兼ヴォーカリストとして地方を回るのが好きだった。未だに僕はそうだもんね。B.B.クイーンズ然り、織田哲郎や宇徳敬子とのデュエット曲然り、ああいうのはプロデューサーから話を頂いてのことだから。

──ただ、そうしたメジャー仕事をきっかけに近藤さんの知名度が格段に増したのも事実ですよね。

K:確かにね。ある日、この店の厨房で鍋を振ってたんだよ。そしたら、客から「ここに近藤房之助さんがよく来るって聞いたんですけど」って言われてさ。その時に"ああ、このままじゃいけないな"と思ってね。自分のやりたい音楽だけに固執することなく、ちょっと外側にも出てみようと。だから何でもやったよ。この店の従業員を食わせるために別の仕事をやらなくちゃいけないっていう本末転倒みたいなことにもなったんだけどね(笑)。温度計を作る地味なバイトもしたし、左官屋の仕事もやったし、バンドよりもギャラの高いナレーションの仕事もしたしね。音楽一本で食えるようになったのは40歳を超えてからなんだよ。だからこの20年というのは、ざっくり言えば『おどるポンポコリン』以降ってことだよね。職業が音楽になった20年って言うか。

──今回、20周年を記念して発表される『1968』ですが、およそ2年の制作期間を掛けてじっくり完成に漕ぎ着けたそうですね。

K:1968年当時に僕が頭の中で描いていたブルースのイメージみたいなものがあるんだけど、それを今やっているD-Toolsというバンドの連中に求めるのがイヤでね。バンドである以上、各人が培ってきたものを全部出すのが筋だと思うし、それぞれの個が少しずつ合わさっていく形が一番美しいと僕は思っているわけ。だから普段からあまり注文も付けない。でも、今度のアルバムは1968年当時の僕の心象風景がテーマだから、どうしても注文を付けなくちゃいけないし、それなら自分一人でやろうと思ってね。最初はコンピューターのマニピュレーターと2人だけで作業を始めたんだよ。そこから足りないものを付け足していった感じだね。打ち込みに僕の生ドラムを重ねてみたりして。

──2001年に『TAKE ME BACK TO THE BLUES』というブルースのカヴァー・アルバムを発表したことがありましたけど、それよりももっとプライヴェート色が強いわけですね。

K:あの時はパーマネント・バンドでスタジオに入って"せーの!"で録ったけど、今回はブルースの持つ匂いをもっと強く出したかったんだよ。だから敢えて一人でやってみた。

ブルースとは"超えられない何か"

──ロバート・ペットウェイの『Catfish Blues』を筆頭に、オーティス・ラッシュの『All Your Love I Miss Loving』やロバート・ジョンソンの『Sweet Home Chicago』といったあまりに有名なブルースのスタンダード・ナンバーばかり選ばれているのが少々意外だったんですが。

K:僕自身はもっとエグいブルースのほうが好きだし、最初はもっとマニアックな選曲で行こうと思ったんだけど、敢えてああいうブルースの入門編的な選曲にしたんだよ。あまり有名な曲ばかりをやると自分の力量のなさがバレちゃうのがネックだったんだけど、まぁいいやと思ってさ。ブルースっていうのは本来自由な音楽だと思ってるし、本場のブルースマンは自分の気分でやってるだけなんだよ。その気分が僕たちのお手本になってるのが悔しいんだけど、今回はブルースをブルースらしく唄うのが凄く難しかったね。

──この歳になったからこそ、王道のブルースを真正面から唄えるようになったとも言えませんか?

K:ホントはそのはずだったんだけどね。でも、これがちっとも渋くならないし、マディ・ウォーターズに比べたらまだまだ僕は子供だよ。僕にとってブルースとは、未だに超えられない何かなんだね。どう足掻いても超えられないものを持つことは、音楽をやる上で凄い大事なことだと思う。それがある以上、今もずっと浮ついた気持ちではいられないからさ。今回もブルースの古典を唄い込んで、相当に遠い存在だなと思ったよ。

──ブルースを知れば知るほど、ブルースが遠退いていくという...。

K:うん。誰からも羨ましがられるくらいブルースに近付いてるはずなんだけどね。オーティス・ラッシュと共演させてもらった時も、何かこう...遠い感じがしたんだよ。上手く言えないんだけどさ。ブルースは音楽である以前にアフロ・アメリカンの文化だし、最後はやっぱりそこに踏み込めないんだよね。僕はブルースが大好きだけど、自分で作った音楽じゃないよね? そこにいつもぶち当たってしまう。まるで自分が作ったかのようにブルースを唄うカタルシスには陥りたくないし、クールでいたいんだよ。

──コンポーザーと言うよりも、シンガーとしての資質が強いんでしょうか。

K:両方あると思う。今は曲をどんどん書いていきたいし、人真似じゃない何かがまだできそうな気がしているから。その辺は割と楽天的なんだよね(笑)。

──1968年、当時17歳だった近藤さんはどんな少年だったんですか。

K:名古屋市立工業高等学校のデザイン科に入ったんだけど、別にデザインをやりたかったわけじゃないんだよ。授業で絵を描ける学校ならどこでも良くて、当時は油絵にのめり込んでたね。大学も油絵の学校へ行ったんだけどさ。まだライヴハウスもない頃で、ディスコみたいな所に住み込みで演奏をし始めた頃でもあるね。

──ジョン・メイオール、クリーム、テン・イヤーズ・アフター、ポール・バターフィールズ・ブルース・バンドといったブルースを基軸としたバンドが隆盛を誇っていた時期ですよね。

K:うん。そういうのも聴いたけど、すぐにオリジネーターまで遡って聴くようになったね。ちょうどキングレコードがブルースのレコードをシリーズで出していたし、『ニュー・ミュージック・マガジン』がブルースの特集をやったりして、ブルースが盛り上がる気運が高まっていた時期なんだよ。NHKでもシカゴ・ブルースの番組をやっていたし、"こんな世界があるんだ"と思って、そこから入り込んだんだよね。

──ブルースのどんな部分に一番惹かれましたか。

K:たとえばさ、ロバート・ジョンソンの『Me and The Devil Blues』に"I'm goin' to beat my woman, until I get satisfied"(俺の女を気が済むまで殴りたい)っていう歌詞があるんだよ。ムチャクチャだなと思ってさ。"こんなことを唄っていいのか!?"っていうのがまず素直な驚きだったね。売るためのエクスキューズがまるでないし、あまりに赤裸々だった。そこに惹かれたのかもしれない。小学校の5、6年生の頃からキャッシュボックスやビルボードのトップ10に夢中だったけど、1968年を境に全く見向きもせず、ブルースしか聴かないようになった。ヒット・チャートにもいい曲はあったのにね。マーヴィン・ゲイの『Let's Get It On』とか、うんと後から聴いて"いい曲だな"と思ったけど、当時はとにかくブルース一色だった。

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13th ALBUM
1968

ZAIN RECORDS ZACL-9044
3,000yen (tax in)
2010.7.07 IN STORES

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LIVE INFOライブ情報

 

VINTAGE A Vol.3 〜近藤房之助 The Buried Alive 阿佐ヶ谷ライヴ〜
2010年7月19日(月)阿佐ヶ谷ロフトA
出演:近藤房之助 The Buried Alive[近藤房之助(vo, g)、小山英樹(key)、川相賢太郎(g)]
オープニング・アクト:矢口壹琅&Mud Pie Mojo[矢口壹琅(vo)、KJ(b)、FUMI(g)、DAVEアイバ(hp)]
開場 18:00/開演 19:00
前売¥4,000/当日¥4,500(共に飲食代別)
*チケットは、ローソンチケット(L:37913)、イープラス、ロフトAウェブ予約にて発売中。
企画協力:ハーヴェストプランニング
問い合わせ:阿佐ヶ谷ロフトA 03-5929-3445
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