人類最初の女性とされるパンドーラが決して明けてはならぬ箱を明けた途端、この世にありとあらゆる災難と苦悩が降り注いだというギリシャ神話がある。パンドーラは慌てて箱を閉じるが、すでにひとつを除いて飛び散った後だった。最後に残ったものは"希望"だったと言う。それ以降、人類は様々な災厄に見舞われながらも"希望"だけは失わずに済んだ。だが、"希望"さえあれば困難に立ち向かえるとは限らない。自らの"意志"で理想を現実に変えていかなければ、様々な災厄に抗うことはできないのだから。漆黒の闇の中で空を掴むような当て所ない日々でも"希望"を抱き、それを"意志"に変えることで道は切り拓かれていく──。ローカル・サウンド・スタイルが実に2年半振りに放つセカンド・アルバム『HOPE』で伝えたい"意志"とはまさにそういうことだ。この2年半、バンドのアイデンティティの確立に七転八倒しながらも創作活動に対する意欲の灯を消すことなく、彼らは疾走を続けてきた。そして終ぞ掌握したバンドの"意志"という一条の"希望"の光。大いなる助走であり序奏はもう終わりだ。ローカル・サウンド・スタイルという船は再び帆を上げ、大海原への航海を始める。船の燃料となるのは、もう二度と揺らぐことのない強固な"意志"である。(interview:椎名宗之)
バンドの"意志"を固める不可欠な2年半
──ファースト・アルバムの発表から2年半というこの期間は、バンドにとってどんなものでしたか。
荒関将寛(vo, g):もともとが同じ青森出身で尚かつ東京に住んでいる友達同士で組んだバンドなんですよ。ファースト・アルバムを出した頃まではただがむしゃらにバンドをやってた感じだったんですけど、アルバムを出した後に自分たちはこのバンドで何がやりたいのか? という話になったんです。バンドをやる意義や目標は何なのか? っていう。やりたいことの焦点がぼやけていたのは確かだし、ずっと話し合いを続けていたんですけど、去年アメリカ・ツアーを回ったことがひとつの転機になったんですよ。向こうでは僕らのことなんて誰も知らないし、ライヴに来てるお客さんには日本語なんて全然通じない。そんな状況の中でどんなライヴをやるかを向こうでよく話し合ったんですね。その対話が、それまでお互い触れなかった部分まで踏み込むようなものだったんです。仲が良すぎて突っ込めなかった部分まで突っ込んだら、お互いの考えてることが全然判ってなかったことに気がついたんですね。それからバンドの雰囲気も徐々に変わってきて、アメリカから帰ってきた時にバンドとして何がやりたいのかをもう一度話し合ったんです。その結果、僕らがハイスタやブラフマンといったエアジャム世代のバンドに憧れて音楽を始めたように、今度は自分たちがそんな存在になって今の若いリスナーが音楽をもっと好きになるきっかけを与えられるようなバンドになるべきじゃないかと。そこに辿り着くまでに凄く時間が掛かったんですよ。バンドの意志がようやく固まって、4人それぞれがひとつのバンドとしてまとまったんですね。それ以降は曲作りも凄くスムーズになって、今回こうして新しいアルバムを生み出すに至ったわけです。
──ファースト・アルバムを発表した時点で当初の目標が達成されて、モチベーションを失ってしまった感覚も若干ありましたか。
荒関:ファーストを出した頃はまだ右も左も判らない状態で突っ走っていて、とにかくいい曲を書かなきゃ、いいライヴをやらなきゃっていう感じで、他のことを考える余裕もなかったんです。作品を出す意義も何もなく、ただ録ることに必死で。僕らは今26で、ファーストを出した23、4の頃は悶々としていたんですね。この先もずっと音楽を続けたいけれど、好きだけじゃやっていけないし、それでも音楽が好きで続けていきたいから必死になってその理由を探していたと言うか...。でも、この2年半はバンドがバンドとして固まるために必要な期間だったと思うし、こうなる前に新しいアルバムを出していたらどうなっていたか判らないし、この2年半は僕らにとってとても大事な時間でしたね。
──今回の『HOPE』は捨て曲皆無で一気に52分を聴き通せる会心作だと思うんですが、タイトルにもある通り、紆余曲折を経てこそ見いだした"希望"が全12曲に通底するテーマとなっていますね。
荒関:タイトルは最初から『HOPE』に決めていました。バンドとしてやりたいことをはっきりさせる時間を経てこそのアルバムだし、一本芯が通ったものを作れた自負はありますね。
──4人でディスカッションをした際に、音楽性の方向については言及したんですか。
荒関:僕らは昔から"こういう音楽性にしよう"と話し合ったことがなくて、各人が好きな音楽的要素を認め合って混じり合ったのがこのバンドの音楽性なんです。
──ローカル・サウンド・スタイルの音楽は何でもアリですからね。オアシス的なブリット・ポップの要素もあり、ゲット・アップ・キッズやジミー・イート・ワールドを彷彿とさせるエモコアの要素もあり、シガー・ロスっぽいポスト・ロック的な要素もあり。そういった雑食性が見事に消化/昇華されている。
荒関:ファーストも愛着のある曲ばかりなんですけど、今度のアルバムはバンドの意志が固まったことでローカル・サウンド・スタイルの音楽性をようやく提示できた作品だと思うんですよ。
"希望"や"願い"を"意志"に変える
──『Get Out』のようにパンキッシュで性急な曲でも必ず流麗なメロディが組み込まれているのがローカル・サウンド・スタイルの音楽性における大きな特徴のひとつですよね。
荒関:そうだと思います。曲作りにおいてはメロディのいい曲が絶対条件ですから。メロディこそが僕らにとって最大の武器だし、しっかりとしたメロディを生み出した上で、それに合うアレンジを考えているんですよ。その結果、今回は凄くヴァラエティに富んだ楽曲が揃ったと思います。
──『Starting Over』や『Beyond The Hope』で効果的に使われているストリングスも曲によく馴染んでいますね。
荒関:ストリングスを採り入れるのは勇気が要ったんですよね。失敗すると凄く安っぽくなるし、どうなんだろうと最初は思ったんですけど、実際にやってみたらそこに在るべき音だなと感じたんです。上手く行ったと思いますね。
──歌詞に目を向けると、臆することなく自分の道を行こう、すべては自分次第なんだというテーマを唄った曲が数多く収録されていますよね。
荒関:"HOPE"をキーワードにして書いた曲ばかりですからね。"希望"という言葉は、"こうあったらいいな"みたいなちょっと弱々しいニュアンスもあると思うんです。だけど、このアルバムで本当に伝えたいことは"希望"や"願い"が人の"意志"になればいいなということで、そんな思いを『The Will』という最後の曲に込めたんですよ。
──"Your hope ends here and turns into your will"(「願い」はこの場所で終わって「意志」へと変わっていく)という一節ですね。おぼつかない足取りで"希望"を模索しながら歩き続けた結果、揺るぎない"意志"へ辿り着くというコンセプチュアルな作品とも言えますよね。
荒関:最初はそこまで意識していなかったんですけど、バンドの中で言いたいことが固まってきたので、最後は"意志"を掴んで終わるのが自然な流れでしたね。僕らの曲作りはメロディ先行で、テーマとする内容を英詞にしてからメロディに乗せていくんです。その後で英詞の対訳を書くんですけど、対訳と言うよりは日本語詞を書くつもりでほぼ書き直しているような感じなんですよ。だから英詞と照らし合わせるとかなり意訳をしているのが判ると思うんですが、そこでニュアンスが大きく異なることはないはずなんですよ。そういう面も今回は凄く上手く行ったなと思ってます。意訳を載せることで、英語が判らない人にもちゃんとした意味を理解して欲しかったんですよね。
──意地悪な質問ですが、いっそのことダイレクトに日本語で唄ったほうが意味が伝わるとは思いませんか。
荒関:僕らが影響を受けた音楽は英詞がほとんどでしたからね。洋楽はもちろん、90年代のJ・インディーズやエアジャム世代のバンドからの影響が強いし、英詞が乗りやすいメロディを作るのが得意なんですよ。その昔、日本語詞の曲を2曲くらい作ったことがあったんですけど、如何せんセンスがなくて(笑)。イースタンユースとかを聴くと日本語詞の素晴らしさを実感するし、日本語詞が嫌いなわけでは全然ないんですよ。今僕が喋ってるのも津軽弁ですしね(笑)。ただ、僕らが音楽でやりたいことはルーツとなる音楽に根差したものなので、今はこのスタイルを貫いていますね。
──まぁ、サウンド志向のバンドにとっては日本語だと色が付きすぎる感はありますよね。
荒関:日本語を書くセンスも、それをメロディに乗せるセンスも持ち合わせてないんですよ。いつも字余りになっちゃって。
──"この歌を唄うために僕らがいるんだ"、"いつだってこの歌は君の味方だから"と『Starting Over』や『Beyond The Hope』で唄われていますが、歌を介したメッセージ性の高さも本作では顕著ですね。
荒関:ファーストの時はメッセージを込めることよりもいいメロディを作ることばかりを考えていたんですけど、バンドの意志が明確になって以降、歌詞の中で言いたいことがいっぱい出てきたんですよね。それがメッセージ性の高さに繋がったんだと思います。
ひとつの転機となったアメリカ・ツアー
──『Leave Me Alone』や『Sailing』のようなスケールの大きさを感じさせる大作が生まれ得たのも、2年半の紆余曲折があってこそだと思うんですよね。
荒関:曲作りのスタンスが変わったことも大きいですね。以前は僕がひとりで曲の骨組みを作ってからアレンジをスタジオで固めるケースがほとんどだったんですけど、今回に関してはベースの黒瀧(孝之)の家にみんなで集まって、鍋をやりながら曲の骨組みを作ったんですよ。みんなでギターを弾きながら曲の破片を集めていって、それを各々が持ち帰ってからスタジオで固めてみたんです。そうやって曲作りにバンド全員が携わったからこそ、ファーストに比べてレンジの広い音楽性になったんじゃないかと思いますね。
──『Everyday Means All』や『Beyond The Hope』のようにミディアム・テンポで唄い上げる曲もあれば、先行シングルにもなった『Carry On』のように切れ味の鋭いビートに彩られた曲もあって、ローカル・サウンド・スタイルの多面性が遺憾なく発揮されたブレンド感ですよね。
荒関:アルバムの構成は曲が出来る前から大雑把にあったんですよ。大まかなアルバムの全体像は曲がない時からすでにあって、出来るべくして出来たと言うか。
──楽曲作りを最初から4人で固めていくということは、アレンジも割とスムーズだったんじゃないですか。設計図はすでに緻密なわけですから。
荒関:すんなり行きましたね。曲の設計図みたいなものを4人でちゃんと共有できていたし、作業のスピードが凄く早かったです。
──『Beyond The Hope』はオーディエンスと一体となったシンガロング・パートもあるし、『High And Mighty』はハンドクラップが似合う疾走感に溢れた一曲だし、ライヴを念頭に置いた楽曲も多いですね。
荒関:以前の僕らは4人でスクラムを組んでるような感じだったんですよ。バンドの内側へベクトルが向いていたと言うか。それが今は、4人が横並びになって同じ方向を見るようになったんですね。内向的に殻に閉じ籠もっていたのが、ちゃんと前を向けるようになったんですよ。
──オーディエンスに対してシェイク・ハンドを求めるニュアンスがアルバム全体からも窺えますしね。
荒関:最近はライヴでお客さんとコミュニケートすることが楽しいし、それは凄く重要なことだと思うんですよ。お客さんの存在を意識するからこそメッセージ性の高い歌詞を書くようになったんでしょうし。
──やっぱり、アメリカのツアー経験がバンドをビルドアップさせたということでしょうね。
荒関:そうですね。ローカル・サウンド・スタイルというバンドのスタイルを確立するためにも不可欠なツアーだったと思います。見ず知らずのお客さんの前でライヴをやるプレッシャーがありつつ、ちゃんと楽しませなきゃいけいないってところで随分と鍛えられたと思いますね。バンドを始めた頃はお客さんのことをそこまで意識していなかったけど、アメリカでのツアーは意識せざるを得ない状況でしたから。その状況下でライヴをどう見せるのかを4人でいっぱい話したし、こうして今があるのはあの経験があってこそですね。
──国境を超えても自分たちの音楽でフロアを湧かすことができたのが大きな自信にも繋がったんじゃないですか。
荒関:やれる時はやれるんだなと思いましたね。ダメな時はさっぱりだったんですけど(笑)。いいライヴができた時は物販がビックリするくらい売れたし、お客さんの反応もストレートで、凄くいい経験ができたと思ってます。
──ファースト・アルバムはゲット・アップ・キッズ等を手掛けたエド・ローズをプロデュースに迎えていたし、当初から海外を見据えた活動に意識的だったのでは?
荒関:洋楽に対して強い憧れがありましたからね。日本のバンドっていうカテゴライズよりも、純粋に格好いいバンドでありたいんですよ。バンドさえ格好良ければ海外でも受け入れられると思うんです。エンヴィもそうじゃないですか。アメリカへ行った時も「こないだエンヴィのライヴを見たんだよ、凄く格好良かった」って言う向こうのバンドもいて、それは日本のバンドだから受け入れられたわけじゃなくてバンドの力量じゃないですか。僕らもそういうバンドになりたいんです。
セルフ・プロデュースを試みた意図
──英詞だから海外で受け入れられる可能性も高いんじゃないですかね。
荒関:まぁ、英語がもう少し上手くなるといいんですけどね(笑)。結構頑張ってはいるつもりなんですが...。
──でも、荒関さんは透き通った瑞々しい歌声だし、発音も明瞭だと思いますよ。ちなみに、アメリカでは言葉が伝わりましたか。
荒関:思ってた以上に伝わりましたね。僕らはレコーディングの時も外国人の方を呼んで、ちゃんと意味が伝わるラインまで唄い込むんですよ。
──エド・ローズとのやり取りもブロークン・イングリッシュだったんですよね?
荒関:そうですね。ただ、エドも気を遣ってゆっくり喋ってくれたんですよ。だから、コミュニケーションの難しさはそれほど感じなかったんですよね。
──そう言えば、本作ではそういった海外のプロデューサーは迎えずに初のセルフ・プロデュースで挑んだんですよね。
荒関:ファーストはエドとタッグを組んで、ホリデイズ・オブ・セブンティーンとのスプリットはウィーザーとかを手掛けたクリス・ショウにプロデュースをお願いしたんですけど、エドとクリスは性格が対照的なんですよ。エドは凄く厳しい人で、音をカッチリ録るんです。ドラマー出身だからピッチにも異常に厳しくて、修正をほとんどせずにできるまでやらせるタイプなんです。それに対してクリスはバンドのノリを重視する人で、多少ミスがあってもノリが良ければOKテイクにするんですよ。感性を大事にするタイプですね。だから、エドが体育教師だとしたらクリスは美術教師なんですよ(笑)。そのふたりのいいところを摺り合わせて自分たちでプロデュースしてみようと思ったんですね。ジャッジのボーダー・ラインも過去2回のレコーディングで判ったし、技術的なボーダー・ラインとノリ的なボーダー・ラインを上手く合わせればいいものができるんじゃないかと。
──なるほど。だから演奏の妙味も音質のバランスもちょうどいい塩梅なわけですね。
荒関:自分たちにとっても凄く気持ちいい感じに仕上がったので、満足してますね。
──エモ好きならもっと歪んだ爆音にしてもいいところを、誰しもが親しみやすいクリアトーンな音質で録ってあるのが間口の広さを感じるんですよね。
荒関:本当はもっと泥臭い音も好きなんですよ。ミネラルみたいにインディー感のあるようなものとか。個人的にも大好きなスターマーケットみたいな音で録っても凄く気持ちいいんだろうなとは思うんですけど、ジャッジの基準はあくまで自分たちらしいかどうかなので、ああいう音作りにしたんですよ。
──セルフ・プロデュースをする上で、自己採点の難しさは感じませんでしたか。
荒関:メンバーのうち誰かひとりでもダメだと思ったら録り直すことにしていたんですよ。リズム隊に関してはベースの黒瀧のOKが出ないとダメで、ギターに関しては僕と後藤(裕亮)のOKラインに黒瀧のジャッジも加える感じでした。
──黒瀧さんは現場の総監督みたいな立場なんですか。
荒関:単に出しゃばりなだけですよ(笑)。まぁ、リズムに関しては全幅の信頼を置いてますけどね。
──バンドのルーツであるエモの要素をふんだんに盛り込んだ『Changes』に顕著ですが、胸をグッと締めつける旋律がどの曲にも罠のように仕掛けてありますよね。
荒関:そうかもしれないです。余り意識したことはないんですけど、自分たちらしいひとつのポイントがそういう部分にあることは4人とも一致しているんですよ。
地元・青森のシーンを活性化させたい
──12曲で50分超えという大作なれどスルメ的に何度も聴けてしまうし、前半はアコギとストリングスだけでじっくりと聴かせて最後は悠然と大団円を迎える『The Will』一曲を取っても、バンドの力量が一段と増したことをまざまざと見せつけた作品ですよね。
荒関:そうであって欲しいですね(笑)。僕らは一定の音楽性ではないし、12曲で50分以上聴かせるならばそれなりのヴァラエティさは必要だと思ったんです。確かにヴォリュームはあるけど、自分たちで聴いても過剰な感じはしなかったので良かったと思いますね。
──ファースト・アルバムに比べて、リスナーの存在をしっかりと念頭に置いた上でレコーディングに臨めたことも関係しているんじゃないですか。
荒関:そうでしょうね。あと、アップ・テンポの曲もミドル・テンポの曲もスロー・テンポの曲も、どれも際限までクオリティを高めたことが良かったんじゃないかと思って。削る部分は削って、伸ばす部分はとことんまで伸ばして、一切妥協をせずに作ったんですよ。4人とも現時点での100%以上の力を出し切った感じなんです。後付けになりますけど、入るべくして入った12曲だと思うし、過不足ない気がするんですよ。
──『Sailing』の歌詞になぞらえて言えば、携えるべき志の高さとスキル、4人がバンドを続けていくことの意義を体得して、ローカル・サウンド・スタイルという船がようやく大海原へと向かう時が来たと言えますね。
荒関:その通りですね。今回のアルバムを作り終えて、本当の意味でここからやりたいことができる段階に来たと思っています。
──これまで養っていた英気を一気に吐き出すかのように、今秋から来年初頭に掛けて長期ツアーを断行されますね。
荒関:本当はもっと長くやりたかったくらいなんですよ。これまでずっと誰かのサポートが続いたし、やっと僕らの冠がついたツアーをやれて嬉しいですね。
──この記事が世に出る頃はすでに初日のシェルター公演を終えていますが、皆さんにとってシェルターはどんなライヴハウスですか。
荒関:好きなバンドのツアー・ファイナルが大抵シェルターで、青森にいた頃から憧れのライヴハウスでしたね。シェルターとロフトは特にそうでした。地方の子でもシェルターとロフトは絶対に知ってると思うし、地方のバンドなら一度は絶対にやりたいライヴハウスですよ。今はこうしてシェルターに出させてもらっているのが不思議な感覚なんですよね。
──来年以降、また海外遠征をしたいと考えていますか。
荒関:ないことはないんですけど、今はいい意味でフラットな気持ちで見ていますね。海外でやる前に国内でやることがあるし、海外はやるべき時にやれたらいいなと思って。まずは地元の青森から盛り上げていきたいんですよ。東京に住んではいるものの、やっぱり地元が好きだし、青森のシーンを活性化させたいんです。僕らが弘前にいた高校の頃は、先輩たちが東京にいる有名なバンドを呼んでライヴをやって、それなりのシーンを作っていたんですよ。文化祭になると10バンドくらいざらに出て、ハイスタが何バンド出るんだ!? みたいな感じで(笑)。それが今は楽器をやってる子も少ないみたいで、シーンも下火になってるんですよね。だから、青森をどう盛り上げるかを常に考えているんです。いつかは青森に帰ってシーンの底上げをしたいけどまだその時期じゃないし、まず何よりもローカル・サウンド・スタイルの認知度を高めて、バンドの姿勢を揺るぎないものにしたいですね。
──いずれはバンド主催のビッグ・イヴェントを青森でできるといいですね。
荒関:それは昔からずっと考えてます。ただ如何せん、場所がないっていう(笑)。まぁ、場所がないなら自分たちで作るしかないと思ってますけどね。