その昔、村上龍が村上春樹との対談集『ウォーク・ドント・ラン』の中で"三作目で飛べ"と自身に言い聞かせるように語っていた。曰く、「処女作は体験で書ける、二作目は一作目で習得した技術と想像力で書ける、体験や想像力を使い果たしたところから作家の戦いが始まる」と。その作家論に従うならば、Lonesome Dove Woodrowsにとって三作目となるフル・アルバム『Chiaroscuro』〈キアロスクーロ〉において、彼らは彼らにしか成し得ぬ娯楽性の高いロックンロールを遂に確立したと言えるだろう。絵画における漸進的諧調により立体性を表す明暗効果をその音楽性に導入したことで、極めて多彩かつ多才なバンドであることを彼らは見事に証明してみせた。色彩の濃淡はおろか、その気になればモノクロームを総天然色に染めることもできるロックンロール。その懐の深さを余すところなく伝える傑作アルバムの誕生だ。(interview:椎名宗之)
光と影の対比が生み出す立体性
──『Chiaroscuro』という今回のアルバム・タイトルですが、"絵画における明暗法"を意味するそうなんですけれども。
TARSHI(以下、T):うん。ちょっと凝ったタイトルなんだけどね。事の発端としてはさ、今までタイガーホールからリリースした作品がすべて"C"で始まるタイトルなんだよ。マキシ・シングルの『Winter Shuffle』は例外だけど、『Cafe de cobalt』も『CHARADE MOON』も『CUT IN HALF』も全部ね。で、今回のアルバムも"C"で始まるタイトルにする? みたいな話がISHIKAWAプロデューサーからあって。そろそろその呪縛から逃れたいとは思っていたんだけどね(笑)。
──ということは、『Champagne』でも『Champion』でも良かったと?(笑)
T:そうそう。『Convenience』でも良かったくらい(笑)。
──1曲目の「SHANDY'S LAKE」はグッと溜めの効いた曲調で、徐々にヴォルテージが上がっていく構成じゃないですか? 他にも「WALK ALONE SLOWLY (But Sleep In Deep)」や「FAKEMENT COOL」といったミディアム・テンポのブルージーなナンバーがあって、そういった楽曲が「SIDE WAY」や「MIDNIGHT SLIDER」のような従来のロンサム節炸裂のソリッドなロックンロール・チューンを際立たせている。つまり、アルバム・タイトル通りにちゃんと"明暗"が活きているんですよね。
T:そうだね。まぁ、『Chiaroscuro』という言葉をネットで見付けたのはたまたまなんだけどさ。『Cafe de cobalt』みたいに英語じゃないものにしたくて、この『Chiaroscuro』もイタリア語なんだよ。曲を全部録り終えた時にこの言葉を見付けて、意味を調べたら今回のアルバムにとても相応しいと思ってね。光と影の対比によって立体感を表すのが"明暗法"ってことなんだけど、それは楽曲だけに限らずあらゆる物事にも言えることじゃない? 人間が抱えているものでもあるし。人間の明るい一面だけをアピールするバンドもいれば、心の闇をクローズ・アップして表現するバンドもいるけど、俺たちはフラットでありたいと思うんだ。清濁併せ呑むじゃないけど、光と影を併せ持っているのが人間として当たり前のことだと俺は思うしね。
──なるほど。結果的に"C"の頭文字縛りが功を奏しましたね(笑)。
T:上手い具合にね(笑)。それに、ジャケットにもちゃんと"明暗"が活きているんだよ。HARISSの(清野)セイジがデザインを手掛けているんだけど、音を聴いてタイトルの意味を理解した上でイメージを形にしてくれたんだよね。最高の出来だと思うよ。
──楽曲自体はそうしたコンセプトに関係なく、その時点で形にし得る最良のものを収録した感じですよね。
T:そうだね。最初に明確なコンセプトがあったわけじゃない。ただひとつだけ事前に考えていたのは、ステレオ・タイプのロックンロールじゃないものをやりたかった。直情的なロックンロールをやるのは潔いし、アリだとは思うんだけど、BPMでは表せないスピード感やルーズなノリ、腰にクる感じとか、そういう本来自分たちの資質としてあるものを素直に出してみたくてね。
──「灰色の鼓動」のように純粋な歌モノとして堪能できる楽曲は、その本来の資質なのかもしれないですね。
T:うん。色としては濃いものだと思うんだ。ただ耳障りが良いわけじゃなくて、その先にあるものを表現できたんじゃないかと思う。
──黒でもなく白でもない、灰色というのが"明暗"を際立たせる上で重要なファクターでもあると思いますし。
T:そう、そこもアルバム・タイトルとリンクしてくるんだよ。「灰色の鼓動」はじっくりと歌を聴かせる曲だね。ハードコア・パンクのように声をひとつの楽器としてアジテーションしていく音楽も俺自身好きだったけど、「灰色の鼓動」に関しては歌と向き合いたかった。中心にはいるんだけど、どこか客観的で醒めた感じでね。でも、その先にはちゃんと希望があると言うか。
片道切符でもためらわずに突っ走る
──「SHANDY'S LAKE」での悠然とした唄いっぷりも、大きな聴かせ所のひとつだと思いますが。
T:ああいう曲をやるようになるとさ、そのまま枯れたシブい方向に行きがちじゃない? それはイヤなんだよ。常にガツガツしていたいし、そのバランスをようやく取れるようになったね。曲作りのセッションの中でいろんなリズム・パターンや楽曲の色合いが生まれるんだけど、それをやっといいバランスで楽曲として残せるようになった。
──リズムの性急さの中にも憂いと輝きのダイナミズムを提示している「STAR DUST BLUE」は、黒でも白でもない灰色を巧みに発色できるロンサムならではの作風ですよね。
T:ただ憂いに流されるだけの曲じゃ面白くないからね。歌詞の世界観としてあるのは、先を見据えているのに何があるのか判らない、でもそのまま突っ走って行く、っていう意識なんだよね。
──「LET'S GET IT, DO IT RIGHT」にも"片道切符だなんて判りきってた筈だろう?"という歌詞がありますね。
T:そうだね。そこに何かがあるのが判っていて、帰って来られる保証があれば行きやすいじゃない? でも、仮に帰って来られないとしても行きたいという欲求がある以上、男なら意を決して行くべきだと思うんだよ。
──それはやはり、アラフォーならではの境地なんでしょうか?(笑) 歳を重ねるごとに退路が断たれるわけじゃないですか。
T:年々腹が決まるよね、誕生日を迎えるごとにさ(笑)。まぁ、そこまで悲壮感の漂う感じじゃなくて、もっと業突く張りになってきたって言うかね。欲しいと思ったものは何が何でも手に入れてやろう、っていう。
──そうした貪欲さは、表現においてもまた然りですか。
T:もちろん。自分に必要なものは常に採り入れるし、必要のないものは容赦なく捨てていく。捨てることに躊躇しない。それは音楽を作り続けていく上で常に考えていることだね。
──若さという生臭さがあると、なかなか捨てる行為に踏み切れないものですよね。
T:路頭に迷うこともあるからね。あれもいいなと思って行ってみたら、そこで行き止まりだったりさ。手当たり次第にいろんなものに手を付けて、自分の中のフィルターを通す前にそれを表現しようとして失敗してしまったりとか。俺にもそんな経験はあるよ。結局、何を表現するにも一度は自分の中で噛み砕かないとダメだし、そうじゃないと責任感も生まれないんだよね。
──確かに。あと、本作で唯一のスロー・ナンバーである「トランシルヴァニア」は異色の出来ですね。まるで霧の彼方に実体が浮かんでいるような音像で。
T:何て言うのかな、いわゆる自分らしさの主張みたいなことを余りしてこなかったんだよね。それよりも、自分に見えた風景や感じた匂い、その場の空気感を人に伝えるやり方が身体に染み付いている。「トランシルヴァニア」はまさにそういう情景描写の曲だね。
──"トランシルヴァニア"と言えば、吸血鬼ドラキュラの出生地として知られていますよね。
T:そうだね。クリストファー・リーが出演していた『吸血鬼ドラキュラ』とか、ああいう白黒の怪奇映画が昔から好きでね。あの空気感は俺の中でダムドに通じるものがあるんだけどさ(笑)。で、歌詞がまだない時に、たまたま家に手塚治虫の『ドン・ドラキュラ』があったわけ。それを読み直して、吸血鬼をモチーフとして使えるなと思ったんだよ。まぁ、『ドン・ドラキュラ』とは全然関係のない歌詞なんだけど(笑)。「トランシルヴァニア」みたいな曲は、単純にレコーディングしていて楽しいんだよ。楽曲の世界観にどっぷりと浸れるからね。
たかがロック、されどロック
──ロンサムの楽曲には珍しく、「FAKEMENT COOL」では中身のない上っ面だけの人間に対する憤りが全面に出ていますね。
T:うん。ネタバラしをすると、この「FAKEMENT COOL」と「BROWN DOG HOWLIN' BLUES」は凄く昔にあった曲なんだよ。「BROWN DOG〜」はロンサムの前にやってたバンドの頃からあった曲で、当時は拙い英語の曲だった。「FAKEMENT COOL」は今のメンバーになる前からあった曲で、ずっと寝かしておいたんだよ。今の自分たちなら納得の行く表現ができると思って引っ張り出してきたんだ。こういう横ノリでグッと腰にクる曲も、今の俺たちなら上手く形にできると思ってね。歌詞は当時とほぼ同じで、とにかく怒ってたね(笑)。世の中のすべてが気に喰わなかった。ただ、「FAKEMENT COOL」の歌詞は自分自身に対する戒めとしての意味が大きかったんだよね。あんなふうになるんじゃねぇぞ、っていうさ。
──鬼気迫るヴォーカルが秀逸な「BOOGIEをくれてやろう」は、まさにロンサムの真骨頂ですね。
T:俺たちみたいな音楽を語る上で、ブギと言えばルースターズの「DO THE BOOGIE」が巌然と存在しているわけだよ。「BROWN DOG〜」もそうだけど、あの3連シャッフルのリズムはやっぱり染み付いたものなんだよね。
──レコーディングは今回も我がスタジオインパクトで、敏腕エンジニア・杉山オサム氏のもと敢行されたんですよね。
T:オサムちゃんは俺たちのやりたいことをよく理解してくれていて、まさに阿吽の呼吸だったね。「FAKEMENT COOL」は形にする上でちょっと迷っていた部分もあったんだけど、オサムちゃんが「これは70年代のストーンズの雰囲気で行こう」と言ってくれたことで突破口が生まれた。ミック・テイラーのギターがグイグイ行くような感じがポイントだったんだよね。
──ギター・リフが主体の「BREAKIN' DOWN」も、『メイン・ストリートのならず者』の頃のストーンズを彷彿とさせる部分がありますよね。
T:そう、まさにね。「BREAKIN' DOWN」は、ハード・ロック誕生前夜みたいな感じに仕上げたかったんだよ。ニュー・ロックやアート・ロックが出た後、年代で言えば70年代初頭的なさ。
──ディープ・パープルで言えば、イアン・ギランが加入する前と言うか(笑)。
T:うん、前、前(笑)。その雰囲気を出したかった。あと、あの間奏のサイレンはオサムちゃんがその場で作ってくれたんだけど、音の入りと出るタイミングがバッチリだった。あれは神業だったよ。とにかくレコーディングは順調だったね。今回は今までと違って、スタジオに入る前に曲が全部仕上がっていたからさ。それは俺たちの場合、奇跡に近いことなんだよ(笑)。歌詞も万全だったし、曲をどうやって形作っていくかに集中できたのが良かったんだろうね。凄く楽しかったし、煮詰まることは一度もなかった。
──これだけ振り幅の広い楽曲が揃ったことで、バンドの本質みたいなものが肉感を持って描出できた感がありますね。
T:そうだね。振り幅の広い楽曲だからこそ、オサムちゃんの勧めでBABAが直接ベースにマイクを貼り付けてみたり、KAZUも新しいエピフォンのギターでファズを使ってみたり、今まで余り使ってこなかったフェイザーやトレモロといった足元のモノを使ってみたり、いろいろ試せたんだよ。ちょっとアコギを入れてみたりもしたしね。振り幅は広いんだけど軸はブレてないっていう、自分たちのやりたかった表現がようやくできた。ロックンロールは究極のミクスチャー・ミュージックだと俺は思っているんだけど、最近はロックンロールの枝葉ばかりが見られている気がしてさ。
──"木を見て森を見ず"と言うか。
T:うん。そうじゃなくて、もっと幹の部分に周囲の目を向けさせたいんだよ。それができるのは俺たちの世代だと思うし、ロックンロールの懐の深さを体現していきたい。かと言って、大上段に構えて芸術性を追求するのもどうかと思うし、ロックンロールは娯楽であるべきだと思う。ただ、それだけでは終わらない何かが確かにある。だからこそロックンロールは人の心を鷲づかみにして揺さぶり続けるんだと俺は信じている。まぁ、月並みな言葉になるけど、たかがロック、されどロックだよね。