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INTERVIEW

トップインタビュー【復刻インタビュー】スキップカウズ(2007年7月号)- いつか想像が現実越える そんな日々がきっと来るはずさ(『スイート10ダイヤモンズ』Disc1『喜びの日』より)

いつか想像が現実越える そんな日々がきっと来るはずさ(『スイート10ダイヤモンズ』Disc1『喜びの日』より)

2007.07.01

今年で結成10周年を迎えたスキップカウズ。この10周年を記念して、バンド史上初の"ロックアルバム"+伝説のベスト盤的ライブ盤の2枚組CDがリリースされた。そのタイトルは『スイート10ダイヤモンズ』。ダイヤ型に切り抜かれ、10年という区切りの年を華やかに演出しているジャケット写真にも目を奪われる。この作品は"花の97年組"(森山公一:オセロケッツ、The Ma'am、松本タカヒロ:ザ・タートルズ)を始め、ビートダイスケ(THE NEUTRAL)、中野敦史(THE GRAND COLOR STONE)、ワタナベフラワー等多数のゲストが参加し、スキップカウズ10年の軌跡も感じることができる作品。今回お話を伺ったヴォーカルのイマヤスさん。インタビュー中に「しゃべれるのは俺の利点だから」と言われていたように、下北沢シェルター店長西村を対談相手に昔からよく知る仲ということもあり、結成した当初の話から今現在のお話まで、とにかくしゃべり倒していただいた。10年前と変わらずに、向上心を持ちギラギラとし続けるスキップカウズ。11年目を踏み出し、ここから逆襲が始まる。(interview:西村 等/下北沢シェルター 構成:やまだともこ)

いつのまにか自分が“にいさん”になっていた

──今年10周年を迎えられますが、スキップカウズってもともとは千葉で始めたバンドなんですよね?

05_ap.jpgイマヤス:それが、実は東京なんだよね。よく誤解されるんだけど、メインは東京なの。ずっと東京でやってたから、千葉でライブやると逆に入らないぐらい。千葉LOOKとすごく仲良くなったのもデビューしてから。前からお互いは知ってるし、(千葉LOOK店長の)斉藤さんとも仲は良かったけれど、LOOKにはあまり出ていなかったんです。俺らは当時ブッキングをお世話になっていたタムトムスコープの斉藤(伸一)さんがガンで入院した時にデビューが決まりそうですってなって、亡くなってからデビューしたんだよね。だから今でも「このアルバムを捧げます」っていう意味で、アルバムに必ず斉藤さんの名前は入れてる。

──人徳でやってるような方でしたよね。

イマヤス:スキップカウズは斉藤さんが手がけた最後のバンドなんだよ。俺らから上の世代はみんなお世話になったの。そのときに「ミッシェル(THEE MICHELLE GUN ELEPHANT)のデビュー盤聴いて、めちゃくちゃ良かったんだよ。絶対売れる」って言ったの覚えてる。亡くなってからミッシェルはすごく売れた。スキップカウズはデビュー直前に動員下がって、デビューして調子が良くなって、斉藤さんはパワステでワンマンを見るのが夢だって言ってて、叶ったんだけどそのときは間に合わなかった。

──ところで最近若いバンドとは絡んでます?

イマヤス:絡んでるよ。2年ぐらい前にこのままじゃいかんと思ったわけよ。知ってるバンドとしかやってないし、若いところと絡んでいかないと老けていってしまう。だから予定が合わないとかはあるけど、来る話は無理してもやるようにしてる。フラカンとかロティカとかすごいよね。あれだけエネルギッシュで。怒髪天もそう。増子さんに楽屋で「相談する人がいないです、どうやったらいいですかね?」って普通に相談しちゃうもん(笑)。

──今の若い子って頑張ってるようには見えるけど、イマヤスさんとかもうちょっと上の方が当時頑張ってた感じには思えない(笑)。システムができあがってきてるからどのラインに乗るか。今はネットが主流だから、フライヤーを頑張って配ろうとかもあまりないみたいですね。

イマヤス:昔は縦の流れがあったよね。うちも縦の流れを大事にしてたんだけど、縦の人がいなくなっちゃったりしてさ(笑)。いつのまにか自分が“にいさん”って言われるようになっちゃってこっぱずかしいんだよね。18歳で初めて下北に出て、当時の音楽シーンってラママとか渋谷に出るのが王道。でも、バンドが多くて出れないの。敷居が高くて昼のオーディションでボロカス言われるの。で、頭に来て渋谷を離れて下北に流れたら下北ブームが来てうまく乗れた。

──ラママはすごかったですよね。

イマヤス:昼のオーディション出るのに3ヶ月待ちとか。あと、代チョコ( 代々木チョコレートシティ)ね。敷居高かったよ。

──代チョコってイメージ的にはハードコアなんですよ。1回、下北に流れてきたんですよね。それが今の251の場所。

イマヤス:俺そのとき出たよ。

今年のテーマは“当てに行く”

──イマヤスさんは若いバンドとはやりたい感じではあるんですか?

イマヤス:やりたい。今年のテーマは当てに行くだからね。パンクでも何でも、曲はいっぱいあるんだから。

──資料読んだら、今回のアルバムは100曲ぐらいある中から選んだって書いてありますからね。

イマヤス:今までボツにしたり、タイミングが合わなかったり、あとは新曲。ライブとCDってギャップがあって、ライブの激しさがCDに反映されないから、ライブをそのままパッケージしたほうが効果あると思ってライブ盤も入れてみたり。

──2年ぐらいライブ見れてないんですけど、ライブ盤聴いてちょっと嬉しかった。今は、この系統のバンドとやりたいとかじゃなくて、どこでも行けるぜと。

イマヤス:ある程度は考えるけど、基本的には何でもやろう。ハードコアは無理だと思うけど、昔スキップカウズの前にやっていたバンドがあって、千葉のダイナマイトコックっていう伝説のライブハウスに出たの。1年ぐらいで潰れたんだけど、そこにものすごい怖いハードコアの集団があって、人がライブやってるのに、従業員が後ろで野球とかするの。軟球とはいえだよ(笑)。精算が精算にならないからそのまま帰っちゃったけど(笑)。あのころの怖いのを経験してるから、東京出てきたときにはちょっと平和だなって思った。高円寺20000V行ったときはここにもあったと思ったけど(笑)。

──スキップカウズは20000Vでもやられていたんですね。

イマヤス:誘われてたまたま出たの。全然うけなかったけどね。

──今も昔も変わらないと思うのは、シェルターでイマヤスさんが酔っぱらってカウンター入ってきたりするのは今の若いヤツも酔っぱらうとそれをするんですよ。そこに入って来れるのは許されたヤツというか、しょうがねえなって思う人。

イマヤス:俺、人のワンマンでドリンク入れたことある(笑)。

──あそこでできるバンドマンは何の商売やってもできる。増子さん(怒髪天)もウォッカとか出してましたし(笑)。

イマヤス:俺なんかたいしたことない武勇伝だけど、ベロンベロンに酔っぱらって床に転がってるヤツって今はいないね。

──少なくはなりましたね。昔は3日に1回ぐらいいたけど、今は1ヶ月に1人いるかなーぐらい。イマヤスさんは昔から酒は絶対飲んで帰ってましたよね。

イマヤス:千葉なのにね。下北にばーちゃんいるから。

──それ有名な話でしたよね(笑)。そう言って酒を頼むんだけど気持ちだけ先走って飲めてない。最終的に道路に寝ちゃってメンバーが置いて帰る(笑)。

イマヤス:メンバーに置いてかれるのは定番だからね。駐車場で車止めを枕にして寝てたことある。

──今でもいるっちゃーいるんですけど、パーセンテージ的に少ない。打ち上げとか業務的に言えば楽ですもん。めんどくさいっていうのがいないから。でもそういうのは寂しいなって思う。残ったらおもろい話聞けるぞっていうのはあるんですけどね。若いバンドは増えてきてるけど、ライブハウスも増えてるから、ひとつの小屋に出たがる人の数が減ってる。他の小屋では夜の部出れるのにって。

イマヤス:昔ってその考え方がないの。ロフトとかシェルターとか特別だからそこに出ないと話にならない。

──数打ちゃ当たるじゃないけど、今はライブハウスも多いからあわよくば的なところもみんな思っちゃってるかもしれない。うちに出てもロフトに出てもその後どうなるかわからないですけど。

イマヤス:でも、俺らはレコード会社の人がずっと見に来てくれていて、最終的にシェルターでデビュー決まったから。

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