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INTERVIEW

トップインタビュー【復刻インタビュー】遠藤ミチロウ×平野悠(2006年11月号)- M.J.Q『unplugged punk』発売記念特別対談 ミュージシャンの最後の砦はライヴしかない

アコースティック・スタイルの可能性を追求したM.J.Q

2006.11.01

ルーフトップ編集長から「今回は遠藤ミチロウさんと対談して欲しい」と突然に言われた。私は「嫌だよ。だって、新人ロック評論家が対談するには大物過ぎるし、自分がロックに無知なところがみんなに判ってしまうのはごめんだ...」と駄々をこねた。私の今の"ロック評論家"としての楽しみは、若く勢いのある表現者(ロッカー)と勝負して、若さが勝つか俺の61年の年輪の老獪さが勝つか、どうやって若い連中の"無知"を曝け出して奴らを狼狽させるかというところで悦に入っているのだから。編集長は実に面白い対談だったって言うけどわたしゃ、「同じ時代を共有してきて、酸いも甘いも理解している偉大な男とは勝負できない」と思って、この対談って"ロックンロール"しているのかな? と疑問符が付いて回った対談だったな(笑)。(interview:平野 悠)

アコースティック・スタイルの可能性を追求したM.J.Q

平野:ミチロウとの関わりで思い出深いのは、やっぱり共同アピールの会('01年3月に上程された『個人情報保護法案』に危機感を覚えたジャーナリスト、作家、フリーライターを中心とする組織で、平野も参加していた)なんだよな。5年前に野音で行なった“個人情報保護法案をぶっ飛ばせ! 2001人集会”にミチロウにも出てほしかったんだけど、ミチロウは「イヤだ」と言って僕達の依頼を辞退したんだ。でもその立ち位置はよく理解できたし、僕は凄く正しいと思ったわけ。

遠藤:決して政治的な関心がないわけじゃないんですよ。ただ、ああいう共同幻想的な集会の場で歌を持ち出すことは、歌の自殺行為だと僕は思ってるんです。仮に自分がそういう場所へ行く時は、あくまで一市民として参加しますよ。

平野:うん、凄くよく判るよ。僕はイラクの反戦デモや下北沢の再開発問題とかにも首を突っ込んできたから判るけど、歌というものが抗議活動のための歌舞音曲(華美な遊芸)として利用されることに対してミチロウは反発したわけでしょう? 要するに、自分の歌が政治的なメッセージにすり替えられることへの怒りだよね。政治集会で歌舞音曲を途中に入れて如何に集客するかっていうのは、昔から散々やられてきた常套手段だからね。

遠藤:だって、法律を封鎖しようっていう明らかな政治集会なんだから、そこに歌は関係ないでしょう? 次元の違う話なんですよ。人が集まらないから歌を唄うっていうんじゃ単なる客寄せの道具だし、そんなことをしなければ人が集まらない政治集会なんて情けないもんですよ。

平野:今、ミュージシャンの多くはどういうふうに自分の政治的意見を発信すればいいのか、相当迷っていると思うんだ。そんな中でミチロウのように己の政治的姿勢を貫いて臆することなく発言すること、そして歌を唄うってことはどういうことなのかを考え抜き体現することは凄く重要なことだよね。ところで、ミチロウは地球を守る意識を共有しようというアースデイとかにも出演はしないの?

遠藤:そういうのも余り出ないですね。ああいうイヴェントだって一種の政治集会ですよ。極端なことを言えば、本気で地球を守りたいんだったら人間が居なくなるのが一番でしょう? 人間が地球にとって一番の害なんだから。

平野:そりゃ確かにそうだよな(笑)。

遠藤:もっと言えば、そういうイヴェントも地球を守るんじゃなくて、第一に人間の生活を守るためのものですからね。一度だけ、ダブル・ブッキングで出られなくなった三上寛さんの代わりにそういうイヴェントに出たことがありますよ。多摩市日の出町の廃棄物処分場でやった環境イヴェントだったかな。そこは単なる義理人情でね。驚いたのは、ああいうイヴェントって僅かな額だけどギャラがちゃんと出るんですよね。こっちはギャラのことなんて全然考えていなかったのに。そこで問題なのは、ギャラを受け取ることによってその運動を批判することができなくなっちゃうこと。ギャラが発生した時点で仕事になるわけだから。

平野:今から9年前かな、ミチロウがプラスワンに出てくれてその歌声を聴いた時に“あ、ミチロウはもうパンクから完全に脱皮したんだな…”って思ったんだよ。“これからはこうして一人でアコースティック・スタイルでやっていくんだな、いいところに行ったな”って。それが今回、M.J.Qなるユニットで『unplugged punk』というアルバムを発表したわけだけど、“unplugged punk”という言葉の真意は?

遠藤:'93年にスターリンを活動休止して、僕はいわゆるパンクと呼ばれる音楽とバイバイしたんだけど、アコースティック・ギターを弾いて一人でやってみると「フォークですか?」って周囲から言われるようになって。そうじゃなくて、単純に僕は一人で音楽をやるためにアコースティック・ギターを持ち始めたんですよ。そこで何かいい呼称はないかと考えて、一人でやってもパンクだよってところで“unplugged punk”という言葉を便宜的に使うようになったんです。今やもう、別にパンクじゃなくてもいいんですけどね。

平野:ソロになってからのミチロウのステージを何度か観てきたけど、あなたは一貫して鎮魂歌を唄ってきたと僕は見てるんだ。でも、今回のM.J.Qはまた違う趣きでしょう? このユニットがミチロウの最終的な帰結なのかな?

遠藤:違いますよ。一人でずっとアコースティックをやってきて、アコースティック・スタイルの可能性としてどういうことができるんだろう? っていう試みのひとつなんですよ。今まで何処にもないアコースティック・サウンドを創りたいんです。でも、まず曲がなかったんですね(笑)。だったら自分がやってきた音楽の中で好きな曲をピックアップして、それを素材として今までにないアコースティック・サウンドを創ってみようっていうのがこのM.J.QのアルA荒バムなんですよ。やっぱり、アナログ的なもの…肉体を持った人間というものに凄くこだわりたかったんですよね。だからこそ等身大の音楽をやりたいと思ったんです。

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